猫の腹


「一番合戦さんが赤猫なのはさっき知ったよ。あなた達の見張りに付けてた家族が教えてくれた。まあだからって裏切られたとかどうとか、私は思わないけどね。こっちは騙してなんぼの狐だし、向こうは被ってなんぼの猫だし。確かに驚きはしたけどね。猫ねえ……。一番合戦さんが。きっちりしてるし、とてもそんな風には見えなかったけれど。いやそれは、上手く猫を被られていたってだけなのかな。猫だけに。だとしてもまあ、詰めが甘い。九鬼くん。彼女はこれから、何をやると思う?」

「何って……復讐なんじゃないの。まずは面倒な僕と、赤嶺さんを殺して、あの銀って人と合流してから……」

「確かにかもしれないね。江戸はもう無いけれど、お上に業腹ごうはらなのは事実だし。でも本当にその気があったら、こんな風に動いてるのかな」

「え?」

「鬼討に負けない為に勉強する。これは分かる。常時帯刀者までやり込むモチベーションも十分。『憎い相手だ。二度と遅れなんて取りたくない』。成る程成る程」


 急に涼しい顔で一番合戦さんの声を出されてびっくりする。


 いや豊住さんなんだけれど、本人が現れたのかと思ったぐらいそっくり。


 何? 声帯を一番合戦さん仕様に変化へんげさせたって事? 変化ってそんな部分的な芸も出来るの?


 然しそれは、豊住さんからすればちょっとした遊びのようで、僕には何の反応も返さない。


「でもさ、だったら何で記憶も復活したのに、動き出すのが今なんだろう。取り戻し終えたのは一七の冬。つまりは、去年の年末から今年の年始にかけて。今は七月。それも、厄介事が幾つも飛び込んで来た最中に。実行に移すタイミングとしては甚だ悪い。これじゃあまるで、バレそうになったから仕方無く動き出したみたいじゃない」

「……だからこそなんじゃないの? あの銀って人が偶然現れたから、味方も揃って丁度いいって」

「だとしたら計画性が無さ過ぎる」


 豊住さんはばっさりと否定した。


「あの怒り狂っていた明暦めいれきの大火でさえ、あの人は努めて冷静に動いてたよ? 万一バレてしまわないよう、わざわざ小分けにして火を放つって。最早機械的な判断力に息が止まるね。どれだけ完璧に殺したかったのか。考え無しの無謀に見えて最善を打つ。あの人の十八番おはこだよ。私と戦おうとした時も、そんな感じの事しようとしたでしょ。あの人は感情を交えて策を練らない。死ぬと脅されおののいていようと、奪われた怒りに気が触れそうになっていても、そうしてきちんと、理詰めで事を運ぶ。真面目だからね。一番合戦さんは馬鹿に見えて賢いんだよ。単に、血も涙も干上がる程容赦が無いだけなのかもしれないけれど。だから、あの人が見かけ上は無策に見えても、ほんとに頭すっからかんで動く様なんて想像出来ない。偶然銀って人が現れたからって、海でも渡られない限り追い付ける鼻があるのに? それに、わざわざ親切にあなたに正体を教える筋なんて、そもそもに無いでしょう。その上野放し状態って。本当にその気なら呼び出して、屋上で斬り捨てるのが本来じゃない。そっちは油断しきってるんだから」

「……つまり?」

「一番合戦さんに復讐心は無い」


 豊住さんは言い切った。


「もし少しでもあるならば、わざわざ教えておいて逃がされているという、あなたへの態度が意味不明。全く理に適っていなければ、一番合戦さんには損しか無し。赤嶺さんが昨日から放置されている時点で、一番合戦さんにその気は無いよ。だって銀って人と二度目に会った時に、『助けてくれ。こいつらに追われてるんだ』って言っちゃえば、あの人絶対あなた達を攻撃してたでしょ? 上手く混乱も誘えるし」

「ああ、うん……」


 だから声真似が上手うまぎて気が散る。


「だから屋上での一番合戦さんの挑発は、九鬼くんに嫌われる為だけのお芝居だと思った」


 またさらりと、豊住さんは爆弾発言をかました。


 その声真似の完成度よりも、どうでもいいと言うように。


「……え?」


 何それ。何でそんな事をする必要があるんだ?


 確かに豊住さんの言う通り、殺すタイミングなんていつでもあったのに。既に悪人みたいなものなのに、まだその上から悪者る?


 僕に嫌われる事が、何でこのタイミングで大事なんだ? そんな事をして、一番合戦さんが得るものなんて……。


 そこで思考は止まって、言葉が浮かばなくなる。何が分かった訳ではないけれど、何かとても、嫌な予感に突き当たって。


 多分その先にあるのは、とんでもない何かだと。



「……まさか一番合戦さん、また一人で何かやろうとしてるって訳じゃないよね?」

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