長い長い、一人語り。―― ④





 ……何だあてめえ?




 顔をしかめて、そんな事を言われたと思う。

 その先に口を開いた、こちらから見て右側の男の顔を、指をいっぱいに広げた片手で、むんずと掴んだ。その瞬間、おじさんが作る団子や餅みたいに、男の顔がどろっと溶ける。

 血と、肉と、皮が、熱いどろどろの汁になって、指の隙間から垂れた。肌を伝う端から煙を上げて、燃え尽きたように消えていく。


 それは脂っぽい、秋刀魚さんまが焼けるような臭いだった。


 右の男は、明かりを川にぶん投げて叫んだ。辺りはふっと真っ暗になって、左の男は何が起きたのか分からず、横で転げ回る右の男に駆け寄っていく。右の男は、気でも触れたように叫んでたよ。


 馬鹿だな。下手に振り払うから、楽に死ねないんだろ。




 何しやがんだてめえ!? ――いや……? ……何なんだてめえは……? まるで、あの夫婦にそっくり……!? ――あ、あいつらに子供はっ、いねえ筈だろっ!?




 左も煩い男だ。


 右と左、川に落っこちないように、それぞれ蹴りを浴びせてやった。

 顔を蹴られた左も溶けて、馬鹿みたいにのた打ち出すが、右の奴はもう騒ぐ事も出来ないのか、蹴られて焼けただれた中身を晒す腹に、手も当てないでぐったりしてたよ。

 溶けた顔には剥き出し同然の目玉があって、こっちをびくびくと凝視してくるから、まだ生きてるとは分かってた。


 薄く嗤いが込み上げる。




 何だ。お前ら。こんな近くにいたんだな。驚いたよ……。世間は狭い。お前らのお陰で、私はこんなになっちまった。一時いっとき元の姿を、本当に忘れていた程。なあ? 楽しかったか? 後ろから火を点けて、私を焼き殺すのは?




 あの夜、ぽーんと宙を舞うあの僅かな間。確かに見ていたのを思い出したんだ。汚い笑みを浮かべた、この畜生共の顔を。


 ゆっくりと距離を詰めながら問うと、左は尻餅を着いたまま、じりじりと後退りながらわめき出す。




 わ、悪かった! 悪かったよ! 子供がいるなんざ、知らなかったんだ! おおっ、お上だってそんな事、一遍も言わなかったし……!


 ……お上?




 その言葉が引っ掛かって、つい足を止める。

 左はどう解釈したのか、ぺらぺらと続けた。




 そうさぁ! 雇われただけなんだよお俺達は……! なあ、見逃してくれよ……? もう十分だろう!? ちょっと金が欲しかっただなんだ……本当だよお!




 汚えな。


 終いに小便を漏らし出した、左の喉を掴んでやった。余りの私の手の熱さに、肉はぼろりと容易に崩れる。

 もう叫べない。もうぎゃいぎゃいと、こちらの耳を千切りたくなるような不快な言葉は。

 口が利けないならとひゅーひゅー喉を鳴らしつつ、虫みたいに手足をばたつかせて、必死に苦しみを伝えてくる。右はもう、肉塊になっていた。穴が開いた腹は綺麗に焼けて、血肉の一片も零していない。


 つまらない事だ。


 つい、と視線を、男だった肉塊から、今度は虫と化したものに戻す。まだばたばたとやっているそれを、冷め切った目で眺めた。


 この程度で足りると思っているのだろうか。


 馬鹿を言うなよ。簡単にくたばりやがって……。あの時私が、一体どんな思いをしたのか、少しでも考えた事があるのか? 無いだろうな。そのざまでは……。


 だから私は、人が嫌いだったんだ。


 歩き回るのが好きで、ただそれだけで、それは気の利く奴の家に転がり込んで、飯でもありつけたら嬉しいなあぐらいの散歩で、腹が鳴らない生活を送れればそれでよく、欲しいものなんて他に無い……。私はただの、野良猫だったんだから。


 冷めた目をしたまま、虫みたいな奴の手足をもいでやった。


 骨も肉も、触れれば尋常じゃない勢いで朽ちていくように焼けただれ、それは簡単な作業だった。


 はは。


 川に捨てもしないで、そのまま立ち去ると歩き出す。


 殺してやる。こんな人間共。


 この恨み、この程度で足りるものか……。私が一体、何をした? 何で殺されなきゃならなかったんだ? 畜生、畜生。何が悲しくてあんな目に遭わされた相手と同じ姿に……。私はもう、この化け物達から戻れないのか? なあ!?


 走り出していた。何を目指す訳でもなく、むちゃくちゃに。悔しいのか、悲しいのか、ただ涙が止まらなくて、れ違う奴らを全部燃やした。


 火か。これは。あの時私を殺した火が、まだ私の中で燃えているのか。


 目に映った人相の悪い奴らをみんな殺しながら、一晩中走り回った。



 やがて、空は白んで……。もう店からどれ程離れてしまったかも分からない道の上、くたくたになって立ち止まった。どこか見覚えがあったんだよ。いつか、歩いていた気がして。

 あの銀坊とかが言った、無かった事にされていた、昔の記憶だろうか。ぺたぺたと何となく、足が向かう方へ身を任せてみた。何か思い出せる気がして。


 広い道が見えてきて……。それまで、小さくどんぐりみたいにひしめき合ってた建物とは、明らかに住んでる奴が違うと分かる通りに出た。大きな屋敷ばかりが並んでいる。中でもそこは、それは立派だったらしい。空き地だったけどな。

 土が焦げてて、火事だと分かった。がらくたになった屋根や柱は片付けられていて、土だけがぽっかり寂しく、屋敷に挟まれて浮いていた。


 何でかそこから、離れる事が出来なかった。

 足がすうーっと吸い寄せられて、暫く地蔵みたいに立ってたよ。見るものなんて、土しか無いのに。でも何故だかそのまま、何も気付けずに去ってしまうのは、どうしても嫌だったんだ。




 ……そちらの屋敷の方ですか?




 何にも無いそこを、屋敷と呼んだ声がした。


 そちらを向くと、身形のいい老いた男が立っている。


 年相応に曲がった背中と禿げた頭、角が取れたような穏やかな顔付きは、好々爺こうこうやという言葉がぴったりだった。

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