常時帯刀者


「ブラックドッグとは、ただの伝書鳩のようなもの。その場限りの関係に過ぎない伝える相手が、どんな人間なのかさえよく知らない。確かにな。でもそいつに伝えなければならない使命を持つ限り、全くの無知ではない。決して詳しくはないが、探し当てる事が出来る程度には知っている。でなければ、役目を果たす事が出来ない。それを目印にお前達は、主の存在を発信しようと駆け回るんだ。逆に言えば、その伝言を伝えられればそれでいい。お前は私がどんな顔や姿をしているかは知らなかったが、何か百鬼絡みの人間ではあるとは知っていたんじゃないか? 具体的には、鬼討だとか。惹役ひきやくとはその体質から、その地の鬼討に管理されているものだ。引き寄せる百鬼に、危害を加えられないよう。見方を考えれば近隣の百鬼を一身に集める事になるから、惹役ひきやくの守りさえしっかりしていれば、その地を安定させる事が出来る。つまり惹役とは、鬼討と密接な関わりを持っている者と言える。だからお前は、わざわざその厄介な避雷針に近付いて、私を知らないかと尋ねたんだ。惹役ならば鬼討らしい私を、何か知ってるんじゃないかって」

「…………」


 黒犬は答えなかったが、図星を指されたような居心地の悪さを、確かに影から放っている。


 つまり一番合戦さんは、最初から僕が惹役だと見抜いていた。だからあの時、自分が黒犬を見た訳でもないのに、信じる事が出来たんだ。

 何で今まで黙ってて……いや、それは、彼女からの偏見や迫害を恐れて切り出せなかった、僕自身が証明してる。


 知られるのが、怖かったからだ。


 そんな事をする人じゃないって分かってて、それでも今まで話す勇気を持てなかったのは。


 かつて枝野組で古参組から、若輩者若輩者とそしられていたのは、若い家のくせに長の娘と組んでいるのは勿論、代々生まれる者は決まって惹役ひきやくと、呪いを受けた家系の者でもあったから。

 だから九鬼家は強かったのだ。並みの人間とは百鬼の遭遇率が違うし、それは鬼討になれば場数へと直結する。神刀を一本しか持っていないような浅い歴史でも、僕が長の娘である先輩とのコンビを認められ、下ろされる事が無かったように。

 追い出されて、新しい土地に来てまで、また軽蔑の目を向けられるような事は避けたかった。一番合戦さんはそんな人じゃないって、分かっていても。

 何で元とは言え同じ鬼討で、先輩からの教えを受けていながら、僕は一番合戦さんに惹役とバレていると、今まで気付けなかったんだろう。


 ……これが、力の差か。


 鬼討ならば誰でも知る程の名家、枝野。その長い歴史の中でも最も才能があると言われた天才、枝野詩御しおんと、有能ではないにしても鬼討をやっていた九鬼助広すけひろ。この二人の知識と経験を合わせても、一番合戦かがりには敵いはしないと。


 彼女はただの天才ではなく、最速でその称号を手に入れた、常時帯刀者なのだから。


 自分の小ささを認めてしまう事になるとは分かっていても、僕は歯を食い縛るのをやめられなかった。まるで、出し抜かれていたと感じてしまって。


 やっぱり彼女は僕より上で、先輩よりも、上なんだ。知識も力も、鬼討という役目を作る要素では、どこを取っても絶対的に。


「だから、怒ってないよ。黙っていた事について。お前の所為で仕事が増えるかもしれないじゃないかなんて、そんな事も一度だって思ってない」


 その声や表情に、軽蔑や優越感は全く無かった。至って穏やかで、ただ淡々と、同情すらもない対等な位置からの言葉だった。

 なのに何でか、全部そう聞こえてしまう。見透かされていた羞恥心と、怒りみたいなもので。


 僕はなんて小さく、勝手な奴なんだろう。


 この思いは、態度に出てしまっているのだろうか。一番合戦さんは一貫するように、静かな声で続ける。


「だから、昨日あいつがお前の所に現れたのは、まあ当然だよなって思ってた」


 俯いて、気を落ち着かせようとしていた僕は顔を上げる。

 そうか。知ってたんだから。僕が百鬼を惹き付ける、惹役ひきやくだって。


 待って。


「……知ってたって事? あの人が、百鬼だって」


 やっぱり山を見ていた一番合戦さんは、そこで初めて目線を動かす。

 つい、と僕の目を見ると、笑った。


 いつものにこっとした、屈託の無い笑顔じゃない。歯は見せず、ほんの小さく口角を上げた、妖しい微笑で。


 不気味さにか艶めかしさにか、背中をぞくっと何かが走った。それが彼女をぐっと大人びて見せて、急に一番合戦さんが、得体の知れない人になる。


 いや、それが本来なのか?


 だって一番合戦さんにとって僕の正体が怪しいように、僕にとっても一番合戦さんとは、よく知らないかもしれない人なのだ。今の僕の、彼女に対する認識を作り上げているその土台は、あの人狐ひとぎつねなんだから。


「……ただでさえ常時帯刀者の鬼討なのに、七月にジャージなんて目立つ。だったか?」


 それまで真っ直ぐ立っていた一番合戦さんは、おもむろに片方の足に体重をかけ、だらしない様になる。


「まあ確かにな。見てるだけで暑苦しいと思うよ。でもブラウスの裾は出てるって矛盾してるし、もう一学期も終わるって言うのに、結局半袖も着ないままで」


 ……何の話だ?


 微笑を浮かべたまま話し出す彼女に、僕は警戒しつつ言葉を返す。


「……落ち着かないから薄着は嫌だって、前言ってた気がするけれど」

「半分違うんだけどな。当たりと言えば当たりだが」


 蝉の声が、一斉に大きくなった。

 あの波は、何を基準に生まれているんだろう。


 まだ七時とは言え、屋根の無い屋上だ。直射日光に晒され、そろそろ汗が滲んでくる。

 今日は少し風があって、ゆったりと入道雲が泳いでいた。


「嫌なんだよ。肌を出すの」


 千切れた入道雲が、太陽を隠す。

 薄い影がゆっくりと、一番合戦さんの背後から僕を覆った。


「日焼けしたくないから?」

「だな。もうこれ以上は、焼けたくない」


 そう言うと、ごく自然な手付きで、一番合戦さんはジャージを脱いだ。余りに当たり前みたいな動きをされて、僕は声を上げる事も出来ない。

 足は流石に年中ジャージを穿いてあるだけあって、顔や腕より白く、最早生白いぐらいだった。

 信じられない上にこの真夏日の中、ジャージの下に黒のニーハイを穿いている。あの露出している肌の生白さから多分、日常的に。


 もう、暑いなんてものなのか?


 一体何が、彼女をそこまで駆り立てる?


「まあ日焼け程度でどうなるって訳じゃないんだけどな。今更いいじゃないかって、開き直ろうかとも何度か考えたけれど……」


 ぺっとその辺にジャージを脱ぎ捨てていた彼女は、右のニーハイに指を入れると、一気に足首まで下ろした。

 露わになった右足に、僕は息が止まる。


 火傷。


 火傷……なのか?


 頭に飛び込んで来た単語を確かめつつ、その痛々しさ……。いや、もうおどろおどろしいと言ってもいいその姿に、僕は目が離せなくなる。


 焼けただれていた。まるで今そうなってしまったかのような、ぐずぐずのピンクに。


 傷は足首に向かう程酷くなって、膝より下はもう……。皮膚の変質具合が別物になっていて、熱は肉にまで届いたのだろうか。足の表面が硬そうな白や黒に変色してしまって、とても、見れたものじゃ……。


「う……」

「右が酷いんだよ。左は皮膚が崩れた程度なんだがな。骨まで焦げたから、白っぽかったり黒くなってる所は、本当なら壊死えししてる」


 一番合戦さんは右足のニーハイを上げないまま、さっぱりと笑った。

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