……何をそんなに見たくない?


 その零すような声に、僕は我に返る。


 一番合戦さんのものだった。俯いたままで、前髪に隠れたその表情は見えない。


 びっくりする。態度に出そうになったので慌てて引っ込めたけれど、何だろう。聞いた事の無い感じだった。甘ったるいとは違うんだけれど、含みがあると言うか、艶っぽい。もうかなり嫌そうなんだけれど、どこか満更でもないような。


 一番合戦さんはそのままもう一歩だけ下がると、お兄さんと目を合わせないまま続ける。


「……下らない事を覚えて。昔と何も変わってないんだな」


 お兄さんは、俯いたままの一番合戦さんを真っ直ぐ見て、得意そうに歯を見せた。


「またまた。俺がそういう奴だって知ってるだろ?」

「そうだな。全く呆れる」


 言葉の割に、怒りや不快感は全く無い。

 寧ろ困っていると言うか、愛嬌のある言い方だ。でもずっと纏わり付いている哀愁みたいなものの所為か、声はどこか悲しげに聞こえる。

 そこで一番合戦さんは顎を擡げると、初めてお兄さんを直視した。


 目が潤んでいる。


 顔を上げて、目がお兄さんを捉えるまでの動き全てに躊躇いが覗く。一瞬矢張りやめてしまおうかと逸らした目は、それでもお兄さんを見据えた。


 軽く潜る直前みたいに、浅くも意を決して吸われたその息は、選びに選んだのだろう言葉を発する。


「……その格好は、何だ。やっとまともな生活を送る気になったのか」

「ん? ああこれか? ふふん。まあな。お前にぎゃいぎゃい言われなくてもこのぐらい、俺にとっちゃあ造作も無え事よ」


 全く躊躇いの無いお兄さんの返事が、やけに早く聞こえるようだった。安いと言うか、作り事のような。

 この一番合戦さんの迷いが露わになった前での朗らかは、ただ無粋なものと映ってしまって。


「まあ俺からすればお前がかたぎんだけどな。さっきはまたこんな面倒そうな所から出て来たと思ったもん――」


 頭の後ろで両手を組みながら笑った、お兄さんの目元に痙攣けいれんが走る。

 ほんのわずかな時間である。一秒も無い。ぴくりと一瞬、右目の下まぶたが動いたと思ったら、その目は一番合戦さんの腰元を見ていた。


 左腰に収まる、神刀に。


「何だお前。鬼討になったのか?」


 声は変わらず明朗で、 快活と男らしさが滲み出ている人だが。


 神刀を見た瞬間だけ、雰囲気が変わった気がする。


 その声がどこか芝居がかって聞こえるのは、そんな僕の思い込みだろうか。


 どう変わったのだと説明を求められたら、きっと上手く答えられない。その感覚に言葉を当てはめるとするならば、怒り、だろうか。そんな強烈な、本能的に感じ取るような凄まじい負の感情を、零したような気がした。


「ああ。常時帯刀者だ。鬼討の中でも、最も誉れのある地位にいる」


 一番合戦さんは目を逸らしはしなかったが、その問いには明らかに何かを思っていた。

 浮かべた笑みが綺麗なんだけれど、苦しそうで、ぎこちない。


「そっか。大したもんだ。すげえ頑張ったんだな」

「どうなのかな」

「どうってこた無えだろ。才能があればなれるようなもんじゃねえ」

「だから、そういう事なんだ」


 そういう事なんだ。


 一番合戦さんは繰り返す。


 そして柄に手をやりながら、目を逸らすように俯いた。


「……悪い。そろそろ時間なんだ。仕事がある」


 嘘じゃないのに、何かの言い訳のようだった。


 そんな一番合戦さんに、お兄さんはさっぱり笑う。


「おう。頑張れよ」


 気遣われたと分かるその笑みに、一番合戦さんも応えようと顔を上げた。


 笑顔なんだけれどやっぱり、どうしようもなく悲しげに。


「同じ道を歩く事は出来ないかもしれないけれど、お前の幸せを、私は誰より願ってるよ」

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