強く正しくあろうとも
「無事か九鬼ッ!!」
土砂降りに降られたのかと思う程の汗をかいて、どうやって喋れているのか疑う程の荒い息も整えず、一番合戦さんは僕に詰め寄る。
あれ。
荷物は刀だけだけれど、制服のまま?
仮眠を取る際着替えなかったのだろうか? スカートに皴が寄っている。
「ああ無事みたいだな、よかった……! メール見たぞ! もう大丈夫だ! 狐だろうが
一番合戦さんは柄に手をかけ、いつでも抜刀出来るように辺りを見渡す。
「あーいや、大丈夫だから……」
覚悟していたものの、こんなに必死かつ速攻で駆け付けてくれて、こんなにストレートに安心されてしまうと、流石に良心が痛んで歯切れが悪くなる。
「ん?」
きょろきょろしていた一番合戦さんが、怪訝そうに僕の言葉に反応すると、二リットル入ったペットボトルのアクエリアスが飛んできた。
一番合戦さんがそれを受け止めると、正面の横断歩道を渡った先にある電柱の影から、それを投げた豊住さんが姿を現す。
そう言えば隠れる前にコンビニで買っていたけれど、一番合戦さんに渡す為だったのか。
「なっ……!? と」
よずみと続けようとして、はっとした一番合戦さんは塞いだ口を覆う。話しかけたらシバくという、残念な気遣いを思い出したらしく、自分から話しかけるなんて出来ないと思ったんだろう。
「いや飲みなって。その脱水量普通に危ないし」
豊住さんは横断歩道歩道を渡り、こちらに来ながら言った。確かに軽く二リットルぐらい消費していそうな汗だけれど、五〇〇ミリサイズを渡したみたいに二リットルサイズを勧めるのはどうかと思う。
「…………」
案の定一番合戦さんは呆れたのか、暫く豊住さんを睨んでいると、アクエリアスを飲み出した。飲むんだ。
豊住さんを睨んでいたのはちょっとした絶交を宣言しておいて、 まして従うような形のコミュニケーションを取りたくないという葛藤の方だったらしい。体調よりプライドって、やっぱり相当な意地っ張りだ。
然ももう飲み終わってる。ごくごく喉を鳴らす様が男前で似合い過ぎるし、これじゃあ本当に五〇〇ミリサイズを渡されたみたいだ……。
豊住さんを見た途端ぶすっとした一番合戦さんは、空になったペットボトルの蓋部分と底を掴むと、ぐしゃっと一息に押し潰す。簡単にしてるけれどそれいろはすじゃない。
「ゴミ」
ぺしゃんこになったペットボトルの処置をどうしようかと思った彼女に、横断歩道を渡り切った豊住さんが手を差し出す。
「…………」
一番合戦さんは暫く豊住さんを睨むと、ぶすっとしたままペットボトルを渡した。
豊住さんが受け取ると、その手首を掴む。
「騙したな」
「限界なんだって」
貫くような眼光で、それでも真実を知るまでは怒りを抑えて尋ねる一番合戦さんに、豊住さんは目を逸らさずに即答した。
「スカートの皺。着替えないで寝たでしょ」
「いつもだ」
「だったらとっくに注意してる。ブラックドッグには?」
「会ってない。邪魔をするな」
「嫌」
「殴るぞ」
「私達の負けなんだよ」
豊住さんは動じない。
「足掛け一月追って見つからない百鬼に、あなたは殺されるって告げられてる。今こうして、着替える余裕も無い程追い込まれてる現状で、とても勝てるとは思えない」
「
一番合戦さんは吐き捨てる。
ブラックドッグの件を豊住さんが知っている事に、動揺は全く無い。
「一人で向かう気ならこうやって、
「九鬼くんは自分でやるって言ったの。私は強制してない」
一番合戦さんはぎょっとして僕を見ると、信じられないと言いたげな顔になる。
「……何で」
「心配だったから。一番合戦さんの事」
「………」
即答する僕に、一番合戦さんは言葉を失った。
豊住さんの手を離して、悪い夢でも見ていたみたいに顔を覆う。
「……自分達が何をしているのか分かってるのか?」
やがて手を下ろしながら、一番合戦さんは僕らに言った。
悪い夢だと願うように。
「私が今ここにいる事で、本来いる筈の場所にいない事で、死ぬのが他の誰かになってしまうかもしれないんだぞ? こんな事をして何になる。先延ばしにしかならないじゃないか。そんな、私が心配だからって……。何も言えなくなるような理由で、こんな事をするな。こんなの、正しくない」
「だからって一番合戦さんが死ぬ事を、よしとするなんて出来る訳ないでしょう? 話し合えば他に方法が見つかるかもしれないじゃない。どうして何も言わないで、こんな大事な事一人で決めちゃうのよ。私が同じ事をしても、黙って見てられる?」
「それがお前の決めた道なら、文句は言っても邪魔はしない」
「嘘よ」
「しない」
一番合戦さんは繰り返す。
「周りが何と言おうと、そいつの人生はそいつのものだ。それが間違いでない限り、どう感じようと絶対に邪魔はしない。自分が満足したいが為に、誰かの生き方を否定しない。心配ってなお前ら。聞こえのいい言葉を持って来れば、私が折れるとでも思ったのか? 確かにその気持ちは嬉しいし、申し訳無いとも思ってる。立場が逆なら冷静でいられないだろうさ。でもお前達の気遣いを重んじるが為に、他の誰かを犠牲にする事をよしとは出来ない。お前達の為に人殺しになろうなんて思えない。そんな思い遣り結構だ。怒りを覚える。そもそもお前達は、辛い事があったら挑みもせずに逃げるのか?」
怒りを露わにし始めた一番合戦さんは、強く僕らを
「本来人生とは先の見えないものだ。辛い事も楽しい事もあるけれど、それがどれ程の割合でいつ訪れるかは分からない。だからどうとでも変えられる。それがたまたま
僕には分からなかった。そこまで公正にこだわろうとする一番合戦さんが。
どうして生物としての生存本能を否定してまで、正しさを求める。何が彼女をそこまでさせる。愚問も甚だしいだろう。それが正しい事だからだ。
先代の鬼討が死に、担い手がいなくなっただけで、鬼討になろうと思った人だ。特別何故そう在るかの理由なんて無い。そういう特性の人間として、彼女は生まれただけなんだから。
生粋で筋金入りの、責任感と正義感の塊。
水清ければ魚棲まず。
この人は本当、人として欠落してるぐらいに
確かに彼女は正しい。周りが何を言ったって、決めるのは自分なんだから。それが間違いでない限り、外野が口を挟む筋なんてない。その上彼女の判断は、何より正しいのだから。
それを思い知らせるように、一番合戦さんは言う。
「だから、二度とこんな事をするな」
「嫌だ」
僕は一番合戦さんを見て、はっきりと言っていた。
彼女がどれだけ、強くて正しいかぐらい分かってて。
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