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狐の睨み


 「まあこんな所で立ち話もなんだし」と促され、それは同意なので店を出た。


 あのショッピングモールは、古鶴台が出来た時期とほぼ同じ頃に建てられたらしく、以前は草がぼーぼーの空き地だったらしい。かなり広い空き地だが。

 開発の為に地質の検査をしてみたら、高度経済成長期に不法投棄されたらしいダイオキシンが埋められていて、当初の予定よりかなり遅れての完成だったそう。

 その周りは、かつて漁業に従事していた古民家が小さくひしめいていて、現在というショッピングモールが、五〇年ぐらい前の景色に囲まれているような不思議な姿をしていた。ちょっと細い通りに入れば、時間が止まったような昭和の空気が漂っている。道も軽自動車すら通れないぐらい細くて、草臥くたびれ切ったアスファルトはひびだらけで、ちょっと灰色がかっていた。この辺りの事は、まだ詳しくない。


 そんな僕に代わるように、人狐は慣れた調子で前を歩くと、吸い寄せられるように寂れた通りの一つに入り、小さな公園に向かう。雑草が僕の膝ぐらいまで伸びてしまっていて、二〇年は軽く放置されていそうな。

 遊具もブランコが一つだけで、雑草に埋もれてしまっているが辛うじてその向かいには、ベンチらしき長方形の石の塊が見える。

 園の四方には取り囲むように大木が生えていて、いい日除けになっているが蝉の声がとんでもない。ここで会話をするとなると、結構声を張る事に意識をしないといけなさそうだ。



「とまあとぼけてはみるものの、全部知ってるんだけどね」


 いつ壊れてしまってもおかしくなさそうな、木製のブランコに掛けた人狐は言う。


「現在のこの辺りの地理は、一番合戦さんとコンビを組んでた時に覚え直してるし、どこに家族を放つかは自由自在。影から影へ、あるいは人間や獣に化けつつ、去年のあの戦いの後も、監視はさせて貰ってたよ。療養中に見つかったら冗談じゃないからね」

「何でお前は生きてるんだ」


 僕はベンチには掛けず、正面から人狐を見据えるように立って言う。


 こんな時にまで軽口に付き合える程穏やかじゃない。倒し損ねていたとは信じられなかったが、敵として睨み付ける。


「あはは。厳しいねえ本来はそういう人? まああの頃は越して来たばかりだから、いきなり素を出す訳無いか」

「…………」


 以前より髪が伸びた。いつかのように、眼鏡もかけていない。


 でもそうやって軽薄に笑う様は、あの頃よりよっぽど自然に見えた。


「勿体ってもいい事無いから言うけれど、何が起きてるのかは知ってるよ。町の事は毎日、家族達から報告が上がってる。あなたに負けて、一ヶ月くらいから。ほら、親切にも私がそういう奴だって話してくれてた赤嶺あかみねの常時帯刀者と、一番合戦さんを追いかけて来た赤猫あかねこも。そして、あなたとその影にいる犬と、一番合戦さんの正体も。あなたと一番合戦さん、今喧嘩中なんだって? 早めに謝っといた方がいいよ」

「何が目的だ」

「何も」


 人狐は笑う。


「私ここの住民だし。あなたは知らないだろうけれど、私元々ここに住んでたんだよ? 地元を散歩する事に、誰かの許可が要るとは思えないな。ていうか、水分補給したら? 一時間ぐらいこの炎天下を歩いてたんでしょ? そんな汗塗れの怖い顔で睨まれるのも息が詰まるし、その鞄、お茶か何か入ってるの?」

「いいよそんなの……」

「よくありません。万一熱中症にでもなって倒れられたら、今町を闇雲に移動しまくっている赤嶺さんに見つかった際非常に面倒になります。まあ向こうは私がどんな姿をしているのかも知らないみたいだけれど、プロ相手に不要な接触は避けたいの。放置して帰ろうにも騒ぎを起こすような事はしたくないし。炭酸き?」


 そう委員長時代のような調子で言うと、右腕に提げっ放しだった袋から、三ツ矢サイダーを突き出して来る。


「……要らないって」


 鬱陶しくなって、鞄から水筒を取り出してみせた。運動部が特に好んで使ってる、コップが無いラッパ飲みのやつ。半分ぐらいまで一気に飲み干す。


 人狐はその様子を確認しながら、足元にも注意していた。木々に覆われている為、園内はほぼ影に包まれている。


「……今はお寺の辺りね。了解。もしバスに乗り込んでも、一時間じゃここには来れないでしょう。タクシーなんて四台しか無い町だし、どれもお年寄りの足に使われて埋まってるし」


 手下からの連絡を受けているらしい。赤嶺さんの動向を探っているのか。

 人狐はそう確かめるように呟くと、サイダーを袋にしまいながら顔を上げる。


「よし。余裕があるみたいだからゆっくり話そう。九鬼くんもどうせ暇でしょ?」


 いちいち挑発には乗らない。


 返す気が無い僕に気付くと、人狐は小さく微笑んだ。


「怖いな。別に今更、取って食おうなんて思ってないよ?」

「その気になればまたぶん殴ってやれるんだよ。今度こそ粉々に」

「勿論それは承知しているぜ。俺は考え無しに飛び出して来る程あほじゃねえ。だが、考えてもみろよ人間。俺は今家族を放って、町を監視してるんだぜ? てめえの昨日の晩飯は何で、ついさっきまで一番合戦と何を話していたかまでしっかりな。長子だから一応は俺が主代わりとはなっちゃいるが、元は全部俺なんだぜ? 頭を潰した程度でさて、本当に殺し切れるかい? その前にてめえが妙な真似をしようとしたら、俺は途端家族へ指示を出すかもしれねえ。今いる場所に見える人間、全員ぶっ殺せってな。てめえの軽率な行動が引き金で、町は血の海になるかもしれねえぜ。だけで済むならまだしも、一番合戦に大義名分を与えちまう事にもなる。矢張りてめえという存在は危険だから、元人間とは言え殺すべきだとな。まして元鬼討だ。百鬼に関しちゃ素人より分別が付く。にもかかわらず、暴れて大量の死者を生んだとなれば、半分化け物になって頭がやられたのかと取られても当然だろう。堂々と厄介者を始末出来ると、喜んで飛んで来るだろうなあ。おまけに自分のミスは隠蔽いんぺい出来て。でけえ口を叩くのは結構だが、もう少し頭を働かせるんだな。無駄話しにわざわざ待ち伏せてた訳でも無えんだ。聞きてえ事は大体教えてやるから黙って聞け」

「…………」


 そんな事は分かっているが、何でもいいから早くその軽口を黙らせたかった。


 黙り込む僕をどう解釈したのか、人狐は満足げににんまりすると続ける。


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