第3話「最低な夜に」

 □□□□□□


 ミハルさんが出ていってひとりになったダブルベット。

 俺はどうしようもない気分になって朝までふて寝をきめようと思っていた。

 しばらくボーっとしていたが、何もすることがないので気が付けば無意識にテレビをつけていた。

 大音響でワザとらしいあえぎ声と、男の吐息が鳴り響く。

 慌てて声を落とすためにローテーブルに置いてあるリモコンを操作しようとベットから飛び降りた。

 するとローテーブルの角でスネを……そんな間抜けな俺は悶絶しながらリモコンを操作してなんとかテレビを消した。

 そのあと笑いたくなったので笑った。

 涙がでるほど笑った。

 もやもやした気分をすぐにでも払いたい。

 とりあえず、外の空気を吸いたくなった。

 決心変更、部屋を後にすることにした。

 日付が変わる前の時間帯。 

 ラブホ街は今からがんばろうとしてるふたり、がんばった後にそそくさ出てきたふたり……だいたい、そのどちらかの部類に入る人々がぽつぽつと歩いていた。

 ひとりでいるのは自分だけ。

 なんだかすごく寂しい気分になった。

 金沢の春の夜は肌寒い。

 ホテルを出た直後、急激に冷めてしまったので思ったよりも堪える。

「へっ、くっしょん……ちくせう」

 いろいろ溜まったものもあったので、職場と同じような勢いでくしゃみをしてしまった。

 すると何人かのカップルがその声に振り返ってしまったため、気まずくなり赤面して愛想笑いをして誤魔化した。

 さらに悪いことは重なる。

 遠くで急ブレーキの音、思わずそっちを見ようとした。だが、俺の視線はホテルに入ろうとしていたカップルに釘付けになってしまった。

 俺と同じようにその音で振り返った女が知り合いだったからだ。

 目が合う。

 職場ではおとなしそうで、子供っぽくて、いわゆる天然の女。

 いつもと違う表情――普段は考えられないような女の顔――が凍りついた。

 どうも俺に気づいてしまったらしい。

 俺はいつものように笑顔――軽薄な笑い方とよく言われる――で会釈した。

 隣の男はよくわからない。

 四十歳ぐらいのおっさんだ。

 俺はため息をついてしまった。

 いろいろ理由はある。

 その女の名前は真田鈴。

 二十七歳。

 同じ軍人だが、下士官の俺とは違い、彼女は将校様。

 陸軍中尉殿だ。

 職場では直接の上司ではない。

 同じ中隊の小隊長の一人。

 民間に例えると、中隊というのが二百人程度の会社。

 小隊長は営業部のなかにある三十人ぐらいの課があるとしたら、そこの課長みたいなもの。

 ちなみに俺は中隊本部の人事係。

 中隊長が人事は握っているがそれを補佐する仕事。

 民間でいうと総務部人事課のヒラ。

 そういう訳で立場上、書類的な個人情報を含めてそういうものを中隊二百人分握っている。

 建前では将校の書類を俺が見てはダメだが、仕事の効率化ということで中隊長に許しもらって……いや仕事を押し付けられているため、拝見している。

 だから、知りたくもない個人情報だって知ることになった。

 借金。

 離婚。

 もっとドロドロしたこととか……。

 もちろん誰にも話さない。

 人事のことを知っているのは中隊長と中隊の先任曹長――家庭で言うと親父と母親――と俺だけ。

 なんでまた、俺にそんな重たい仕事与えるもんかな……と今更思う。

 もっと現場でアホ達と汗流して、大声だして、クソみたいに訓練する方が一万倍は性に合ってるはずなんだが……。

 何のために苦労して遊撃課程レンジャーを出たかもわからん。

 クソがっ。

 あいつら、嫌味で俺にこんな仕事をやらしてるんじゃないだろうか。

 坊主頭のおっさんと熊殺しのような鬼の形相のじじい――中隊長オヤジ先任上級曹長センニン――の顔を思い出しながら、悪態をつく。

 ホテル街を抜け犀川に架かる橋を渡った。

 川沿いに流れる寒風に打たれるのを利用して、頭の中から真田中尉のことを忘れようとした。

 でも、それを振り払うことはできなかった。

 余計なこと……そう、彼女がうちに飛ばされた理由を思い出していたから。

 上司部下関係なく、職場の男と関係を多く持ちすぎたたことが問題になったため、転属させられたという裏の理由。

 いっしょにホテルに入った男がうちの部隊の人間じゃないか……と頭の中で照合していた。

 そんな嫌になことを平気でしてしまった。

『彼女が中隊にいるのは条件付だ、職場でのそういう事例があった場合は士気に係わる……噂でもあれば報告するように』

 中隊長の言葉が思い出される。

 爆弾。

 そんな人物は早く手を打ちたいんだろうか……つまり少しでもきっかけがあれば人事的な処置をしたい。

 どっかに行ってもらうということだ。

 クソッタレ、本当にクソッタレだ。

 ミハルさんには捨てられるは、職場の仲間の素性を探る……いや、疑うことになるなんて。

 なんて日だ。

 みーし、胸くそ悪いし……なんとも最低な夜だった。


 ■■■■■■


 半分は部隊、半分は高校。

 何かあれば実働部隊として動く独立歩兵第九大隊。そして学校でもある第一〇九少年学校。

 綾部軍曹のように現役と言われる兵隊のほか学生と呼ばれる高校生達が混在している。

 いわゆる出世とは無縁な者達の巣窟。

 特に将校は何かしら私のように経歴に傷を持っているか、扱い難い人間の部類と見られている。

 そんな所で私は第一中隊で騎兵――装輪戦車――小隊長をしている。

 基本的に午前中は現役達の訓練、午後は学生たちの訓練とか勉強なんかを教え、夜は躾的な指導を寮で行う。

 子供の相手、苦手でしかない。

 どうしようか悩んだ挙句、なるべく普段通り、自然体で子供たちに向き合うようにしている。

 本当に今の自分のそれが自然体かどうかはわからない。

 学生の前に出ている私は親友で同僚の日之出晶ヒノデアキラが一言で表すとすれば「天然」だそうだ。

 お陰で四月に入ってきた新入生達からも「スズちゃん」と呼ばれるぐらいなめられているが、そういうのも悪くない。

 平日、あまり力むことなく生活できることは、この精神状態を維持するのにちょうどいい。

 なにせ、それとは真逆の週末があるからだ。 

 ――よくもまあ、こんな変態が十歳も年下の子供たちを指導しているものだ。

 そう思う時がある。

 平日でも、学生の男の子達の視線を感じてムラムラすることもある。

 普段は制服だけど、体育の時間とか水泳とかそういう時は少なからず感じてしまう。

 もっとも学生だけには死んでも手を出そうとは思わないが……。

 ただ、少しだけ、そういう時に表れる男の子達の欲情を見ては、心の奥のほうで悦んだりしていた。

 罪悪感。

 胃がキリキリする。

 いつまでも吐くことができないような吐き気に襲われる。

 でも、もっと深く、もっと快感を味合わせてくれる別の感情が勝ってしまうのだ。

 あの人が教えてくれた、私の本性。

 私が最も軽蔑しているその本性。

 今の部隊が私には合っていると思う。

 微妙な精神の均衡を保つのにちょうどいい環境なのだ。

 気軽に話せる同期アキラもいる。

 やっと見つけた居場所なのかもしれない。

 だから絶対にこの生活を壊したくない。

 絶対に。


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