第2話「彼の軽薄な笑顔」
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金曜の夜から日曜にかけて、携帯のメールが忙しく鳴り出す。
私はそういうコミュニティに入っていた。
金沢は北陸最大の都市……軍都ということでそういう方面はお盛んだった。
出会いを求める男女が集うコミュニティ。
わりきり。
不倫OK。
そんな
私はプロフィールの『職業』という欄に『軍人』とは書かず、ふつうの職業の人間を選んでいる。
当たり前だ。
こんなことが職場にばれたら、間違いなくクビになる。
本当は
まあ、こんな会で正直に名乗る人なんているはずはないが……。
いたら、さすがの私でもどんだけ無防備なんだと注意したくなるようなおバカさんだろう。
プロフィールには事務系OL、
補助金を男性から女性に渡す。
いってみれば援助交際なんだろう。
好きでやってるから交渉の段階で金額は少なく設定することが決まっている。
ほんのお小遣い程度という建前だ。
そういうわけでお金は貰っている。
もちろんお金欲しさではない。
私はわりきってくれる相手としたいだけだから。
今まで『してきた』男達から得た経験。
安全なのはそういう人々との関係だった。
もちろん危ないのが『当たる』時もあるが、お金を挟まない方がよっぽど危険だというのは、私の経験値が証明していた。
相手がわりきらずやってしまうと、面倒くさいことになったことがある。
体が目当てなのに、心を欲しがる男はごめんだ。
ここの部隊に来る前……前の部隊では私に狂ってしまった若い子が数人暴走してしまった。そして大騒ぎになって調べられ――いわゆる部隊内における不特定多数の男性との性行為――が問題になり、今の半分学校で半分部隊であるここに飛ばされた。
まあ、そこの隊長と不倫していたということはバレなかったが、処分しなかったのはあのひとの保身とかそういうのもあったと思う。
馬鹿みたい。
うん、本当にクズだと思う。
親友の
彼女はするなとは言わない。
できないと知っているから。
それでも……。
やめなきゃいけないと思う。
でも、週末になると……独りになると発狂しそうになる。
激しい寂しさと欲情に襲われる。
何もしないと、胃の中身を液体になるまで吐き出す。
狂ったようにおもちゃで自慰をしようとしてもオーガズムはやってこない。
痛いだけ。
苦しいだけ。
そう……セックスじゃないとだめなのだ。
ただ単に快楽を求める訳ではない。
自慰なんてなんの慰めにもならない。
人の温かい部分を自分の中に入れて夜を過ごさないと、本当に狂いそうになるのだ。
だから抱かれる。
だれでもいい。
ひどいことをせずに、気持ちよく包んでくれるひとならだれでも。
そして、できればその日だけで忘れてくれる人が。
だから、このコミュニティは気に入っていた。
今日の相手は既婚者で四十くらいの会社員らしい。
そんな男と待ち合わせをして、犀川沿いの料亭で少し高そうなご飯、少しのお酒を飲み、そしてそれをするためだけのホテルに向かう。
まだ、ベットに入るまではわからない。
いきなり豹変する変態もいるが、私のカンは『当たり』と言っている。
少し恋人気分を味わいたいという彼、まだ肌寒い五月の金沢はぴったりと体を寄せ会うにはちょうどいい気候。
私は彼の腕にぶら下がるようにして体を寄せ、ホテルに向かい歩いていた。「どこがいい?」と相談しながらホテル街を歩き、そして決めたところの入り口の前に差し掛かった。
その時、遠くで車の急ブレーキの音がしたので何気なく振り向いて……後悔した。
私は間違いなく、強張った顔だったと思う。
知り合い……職場の人間と目が合ったからだ。
綾部軍曹。
いつもだらしのない格好、無精ひげの目立つ、遊撃課程も出て武闘派なのに中隊の人事係をして、慣れていないのかPCのキーボードもブラインドタッチができないような人。
たぶんひとつかふたつほど年上だったと思う。
その彼が目が合った。
彼はその瞬間いつものように軽薄な笑顔を浮かべていた。
私は背中に冷たい汗が伝わるのを感じた。
……でも、なぜだろう。
馬鹿だと思うけど。
少し安心した。
誰かに見つかったことに。
少し興奮した。
なんて思われたんだろう。
そう思いながらホテルに入っていった。
その日の相手は予想通りだった。
つまり、とても丁寧で優しい人だった。
当たり。
でも物足りない。
本当の当たりは優しく私を
節度があるけど、いろんな快感を与えるような人。
それでも、当たりであっても……あの人に比べれば全然だめなんだけど。
だから私は気持ちいいふりをして、そして乱れるふりをした。
理由は物足りないだけじゃない。
……不安だったから。
あの綾部軍曹は人事係だ。そして、中隊の人事係というものは、そこに所属する全員の個人情報を握っている。
建前では下士官である彼が将校の私の個人情報を握ることはない。
将校は中隊長が握ることになっているが慣習的にどこの部隊もこの下士官の人事係がすべてを知っているのが普通なのだ。
つまり私の前の部隊での事情も、今の部隊にいるための『条件』も知っている。
……どうしてこんな時間に独りでラブホ街を歩いているのか。そして、あの笑顔……もしかして、私のことを調べていたのか?
私がそうやって不安になっていたら、相手の彼は果てていた。
私はいったふりをして……いつも言っている言葉をつぶやいた。
その瞬間だけ不安なことは消える。
たとえ、ふりだったとしても、なんか高揚するものがあるから。
絶頂イコール満足という訳ではない。もちろんあるに越したことはないけれど……。
そそくさと行為の後始末をする男を見るのは面白い。
すごく可愛らしい。
私は彼にもたれかかり、甘える声で囁く。
彼は私を抱き寄せ、満足そうにしばらく目を閉じていた。
こうしている時、こうしている間は、人の温かさを感じることであの不安が消える。
目を閉じる。
彼の汗の匂いを感じる。そして、今日もこれで狂わずにすむ。
そう安堵のため息をついた。
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