第6話

 家に帰ってくると、相変わらず母親が私を出迎えることはなかった。リビングとキッチンを確認すると、私の作っておいた食事に使われた食器がシンクに入れられている。今までこんなことをしてくれることすら無かったから、ほんの少しだけ嬉しかった。私は洗い物を済ませて部屋に戻る。本棚から一冊の本を取り出して読み始めた。随分前に流行った児童向けのミステリー小説で、今でも続刊が書かれているらしいが、私は読み始めた当時以降の巻を持っていない。今読んでもトリックや犯人の動機などに不自然な点は無く、女子小学生である主人公の年齢や感性と自分のそれはかなりずれてしまったなあと一抹の寂しさを感じるくらいだ。父母の離婚以来、時間が止まったように思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。私は本棚に本を戻して、残り少ない夏休みの課題を終わらせるため、勉強机に向かった。


 夏休み最後の数日というのはいつもあっという間に過ぎていくもので、気付けば8月31日、全国の児童、生徒が憂鬱な気持ちで過ごす日がやってきた。しかし今日の私は例外だ、今日、あの画家が私をモデルにして描いた絵を見せて貰える。私は喜び勇んで、いつもと同じ時間に彼の家を訪れた。

 もう慣れきった大きな門の横にあるチャイムを鳴らす……いつもなら1分とせず出てくるはずの彼が、今日に限って出てこない。

 試しに、門を押してみる。軋む音を立てて、それは開いた。彼はいつも戸締まりはしっかりしていたはずなのに。疑問を浮かべつつも、私は何かに突き動かされるようにして巨大な洋館の中に足を踏み入れた。

 彼と一緒に歩かないと、自分の足音がいやに大きく聞こえる。壁も床も白い、大きな空間は平衡感覚をおかしくしていく。様々な装飾、多くの部屋、目が眩む。私はほとんど倒れるようにして、彼が絵を描いていた部屋に足を踏み入れた。

 この部屋は最初に彼が言ったように、落ちたものを拭き取りきれず染みついた絵の具や、散らかったまま片付いていない画材で汚れている。それでもまだ真新しいという印象だ。思えば、この洋館で生活感のある場所はここくらいだったのではないだろうか、いつも出してくれるお茶やお菓子、それを入れるカップやお皿、新品ということもあっただろうけど、あまりに現実味を感じられないそれら。まさか彼は本当に、噂に語られる幽霊や吸血鬼だったのだろうか、食事や睡眠を必要としない、人間の生みだした天才げんそう

 そこまで思索して、私は自嘲の笑みを浮かべた、馬鹿馬鹿しい、おとぎ話に夢中になる歳でもないだろうに。

 ふと、床に落ちている封筒が目に入った。拾い上げて裏返した表側には、私宛てということが記載されている。中には手紙が入っていた。



 あなたにこの手紙が渡っているということは、僕は無事あの街からいなくなったのでしょう。ここには、あなたに会ってからの僕の心情を書き綴っています。僕は勿論画家であって字書きではないので、上手く纏められるかはわかりませんが。

 この街には仕事で来ました。しかし僕はあの洋館に魅せられ、ここを新たな活動の拠点にしようと考えました。別に、仕事に不満があったわけではありません。好きなものを描くことは出来ませんでしたが、その分の見返りは得ていましたから。

 そんなある日、あなたに会いました。僕の家の前で暑さに耐えながら回覧板を抱えているあなたが、僕には何故だかとても魅力的に見えました。あなたの絵を、描かずにはいられませんでした。

 僕はあなたと交流する時間が楽しかった、いつまでもこの時間が続けばいいと思いました。でも画家の自分は、わざと絵の完成を遅らせることは出来ませんでした。

 そしてあなたは、自分の家庭事情を僕に話してくれましたね、あの時は顔に出さないよう気をつけていましたが、僕はあなたがとても可愛そうだと思いました、この愛しい少女に何かしてあげたいと思いました。

 ですから僕の描いたあなたの絵はあなたに差し上げます。無論元々そのつもりでしたが、僕の魂を込めた傑作をあなたに譲りたくなったのです。

 僕はこれを機に旅に出ます、あの家の管理はしかるべき人に任せていますから問題ありません。何故旅に出るのかと聞かれれば、それは僕が画家として生きるためです。今まで僕は天才と呼ばれ、そしてそういう風に絵を描いてきました。けれどそれは僕が目指した画家の姿ではありません。僕は元々、誰かの生きる一場面を切り取り、表現することがしたくて、人間を描きたくて画家になったのです。

 あなたの絵は、僕が生まれ変わってからの第1作目です、自分で言うのもなんですが名の知れた画家の描いた絵です、売って、そうして自分の人生を豊かにするために使ってくれても構いません、僕は、あなたの幸せを願っています。


 そうして、私と画家の一夏の関係は幕を閉じた、私は今、彼のおかげで幸せに生きている。父と母はたまの機会に会うようになり、私の生活も脅かされてはいない、彼がいたおかげで、私の世界は回り出したのだ。

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洋館には吸血鬼が住んでいる まつこ @kousei

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