第3話 私は運転ができない
「それにしても……」
「どうしたの?」
「先月の事件についてだけど……」
僕はぴしゃりと言う。
「その話題は駄目だ」
彼女はうなずいた。
「これ、マニュアルの車よね。よく、運転できるわね……。免許もないのに」
「これ、マニュアルって言うのか?」
「……多分」
彼女は、商店で買った鮭とばを、はむはむと助手席で口にしている。
「よくわからないけど、なんとなく、わかるよ。パソコンの操作と同じだ。ほら、Lがはじめてヘリコプターを運転した時、みたいな」
「よくわからないわ」
と、無表情で、はむはむ。鮭の香りが車にいい感じで漂う。鮭ぐるま。
ガーーー。
ラインをすれ違う車は、全くない。廃墟へ向かうには、持ってこいだ。雪も多く積もっているし、こんな山奥に来る人もそうはいないだろう。
「私、一度でいいから、素敵な廃墟に行きたかったのよ……」
「うん」
「夢に見たことも、あるのよ……」
「それは素敵な夢だ」
「明晰夢、っていうのかしら?知ってる?」
「うん。僕も、時々見るよ」
うっとりとした表情が、ミラーを通して見える。
「普通の夢なんかとはまるで違う。『夢を自覚できる夢』のことね。なんでもできるのよ」
彼女は続ける。「夢の中なのだから……」
「そうだね。僕はやっぱり、空を飛ぶな。運良く明晰夢に出会えた時はね。もう、びゅんびゅんに飛ぶんだ。本当に、いい気分でね……」
彼女は「それな!」と、若者言葉で返す。
「そう……、明晰夢に出会えた夜は、空を飛ぶの。本当に、最高!」
続ける。「そう……、パーマンになったみたい」
「パーマンを知っているの?」
彼女が、キッ、と僕に視線を向けるのが、ミラー越しにわかった。オーラでもわかった。
「藤本先生を、舐めているの?」
「い、いや、そんなつもりは……。わ、悪かった」
「わかればいいのよ」
機嫌が治ればいいのだが。
「他に明晰夢とエンカウントした時は、何をする?夢の中だから、何でもできるんだよ?」
『今、夢の中にいる』そのことを自覚できる、選ばれし者にしか体験できない夢、『明晰夢』。その『夢』の中では、全てが自由になる。自由に行動できるし、したいことは、全てできる……。「メイセキム」……。
「そうね、空を飛ぶこと……それが第一ね。好きなだけ飛んだら、次は、そうね、性的なことかしら」
「うん。僕もそんな感じだ」
「カンジダ?」
「違う。感じ、だ。だ。」
「月に一度も、明晰夢にエンカウントできればいいのだけど……」
「僕は全く駄目さ。半年くらい、明晰夢の世界に行ってないや。最後に行ったのは、うみねこホスピタルの待合室でうたた寝していた時だったな。あれは、気持ちよかったなあ」
「やっぱり、明晰夢はずっと記憶に残るものよね?ね?」
「まあね……。 それより、性的なことって、どんなことを明晰夢の中ではするの?」
僕は、「それとも、されるの?」という言葉を言うことを、堪えた。さすがに失礼かもと思ったから。
「知りたいなら、教えるけど……。別に、遠慮することないのよ。私だって、聞きたければ聞くし……」
その配慮はどうやら無縁のようだ。
「一言でいうと、『ざっくばらん』というところかしら」
彼女はニコリとも笑わない。
「それにしても、運転、まかせて申し訳ないわね。私も手伝うことがあればいいのだけど……」
「君に、車の運転を手伝う腕はないじゃないか」
「まあ……」
「まあ……は、さすがに、古いな」
僕はかすかに、笑った。
「ひどいブラックジョークね。でも、そういう所、嫌いじゃないから。それでも、人のハンディキャップについては、ギリギリの発言ね」
「形だけ、謝る。悪かった」
「ええ。形だけ、許すわ。そろそろ、見えてくるからじゃないかしら……」
車の通りの全くない、山道を曲がると、そこにはかつてあった、今はもうない、人の生きた証が見え始めていた。
名前は明らかにはしない。
X鉱山、跡地である。
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