第2話 美女と野獣
翌日、いつものように証明の申請を受けていると、不意に声がかかった。
「ネメアの獅子がなんでこんな所にいるの?」
手元に出てきた申請書に注意を向けていたが、声の主は申請書を差し出した手の主のようだ。俺は顔を上げた。
目の前にいたのはごく普通の女子高生・・・とは言えないか。信じられないほどの美少女だ。古典的なセーラー服がもったいないくらいだ。長い髪の清楚なイメージだが、目の奥には断固とした意志が感じられる。これだけの美少女、かつて出会っていれば忘れるはずもない。しかも、俺の正体を知っているなんて。
訝しげに彼女を見つめる俺の表情に、彼女は無言のままだったが、少しずつ雰囲気が変わってきた。なんというか、存在感が徐々に俺を物理的に圧倒するようになっていくような感じで、それがピークに達した時、彼女の姿が変わった。
金髪、碧眼、白磁の肌、どことなく元の彼女の面影は残しているが、明らかに白人の女性だ。しかも、その美しさは半端ない。元の彼女も相当な美人だったが、次元が違い過ぎる。俺ですら意識をしっかり持っていないと、魂を持っていかれそうだ。これだけの美しさ、人間であるはずがない。まさか女神か?
「アルテミス・・・様・・・」
思い当たった名前が思わず口に出た。正直に言って、ギリシアの神々は敵である。前世で俺を殺したのはゼウスの息子だし、俺の前世での親、テュポーンはゼウスの最大の敵だ。相手がアテナででもあるのなら、俺も敵わぬまでも反抗的な態度を露わにしてやるのだが、アルテミス相手ではそうはいかない。さっきの俺のセリフのとって付けたような敬称はそれを表している。
アテナは多くの英雄の後見人として、俺のようないわゆる「怪物」とは敵同士だった。しかしアルテミスは、文明化されたギリシアの他のほとんどの神々とは違って、俺たちのようなより古くからある「自然の力」の具現化と近しい側面を色濃く残している。オウィディウスが変身物語の中で彼女をティターニア、ティターンの娘と呼んだのは、彼女がオリュンポス以前のティターンの神々の力の後継者であることを、詩人の霊感で感じ取ったからであろうか。
前世で一頭のライオンとして、
実際に会うのは初めてだが、この美しさは衝撃的だ。パリスの審判には立候補すらしなかったとはいえ、さすがは
おっと、ちょっと待て。こんなところで神としての本性を現されたら大変なことになる。ゼウスとセメレーの神話をご存じだろうか? 神々は本性を現すだけで人間にとっては災厄となりうる。俺はあたりを見回した。が、何もかもが止まっていた。市役所に来ているお客も、職員もだ。時間自体が止められているのか、麻痺させられているのか、それはわからない。
「安易に本性を現したりしないわ」
俺は恐縮した。彼女を見くびっていたと非難されてもやむを得ない。
「すみません。しかし、アルテミス様がなんでこんなところに・・・?」
「こっちが先に聞いたんだけど。まあいいわ。私には私の仕事がある。それで一時的にこの娘に宿っているの。仕事の内容は言えないわ。
それで、あなたは?」
これ以上突っ込んでも回答は期待できないな。俺は素直に自分の立場を答えることにした。
「単に人間として生まれ変わったってだけですよ。人間は仕事にありつかないと生きることさえなかなか難しい。それで無難な公務員を選んでここで窓口仕事をしているってだけのことです」
彼女は疑わしそうだった。
「少なくとも『ただの人間』ってわけじゃないみたいだけど」
「確かに前世の記憶もあるし、力もある程度引き継いでいます。しかし、自分の意思で生まれ変わったわけでもない。なぜ生まれ変わったのかは、それこそ
彼女は俺の顔をまじまじと見つめた。それから肩をすくめてみせると言った。
「わかったわ。神代とは違うのだから、あまり変なことはしないでね」
「雄ライオンの性格はご存じでしょう? 何もなければ、こちらも何もしませんよ。面倒ですからね」
「そう、信じることにするわ」
彼女の姿が元に戻ると同時に、周りの喧騒が復活した。俺は知らんふりで淡々と彼女の出した住民票の申請を受け付けした。申請書を持って奥に引っ込むと、役所に入ったばかりの女の子が話しかけてきた。
「あの娘と何話してたんですか? すごい美人ですね」
「昔ちょっと知ってた娘だよ。大きくなったね、とか、そんなような話さ」
「お知り合いですか。昔から可愛かったんでしょうね」
「そうだね。近所でも評判だった」
俺はそのまま端末の前に座って住民票を作り始めた。いつもの動作をしながら、頭は別のことを考えた。アルテミスのいう仕事ってなんだろうな? 俺が生まれ変わったこともあるし、この先なにかが起きるとでもいうのだろうか?
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