第19話 甘い罠を眺める

 ドク達は老婆を警察には突き出さなかった。

 銃をぶっ放されたオルガとしては複雑だったが、結局は同意した。この小さな島で調査を進める以上、事を荒立てるのは良くないという判断をしたのだ。

 ドクの(辛辣な)言葉で憔悴した老婆を、もといた受付にぶち込んで、3時ごろまでたっぷりと調査を続けた。二人が地元警察の管理する「離れ」に戻ったのは、日もだいぶ傾いてからだった。


 簡単な食事を済ませて、二人は今、ようやく腰と気持ちを落ち着けている。ソファに寝っ転がっているのがドクで、ベッドに腰かけているのがオルガだ。


「じゃあ、私達を襲ったのは、教会じゃないっていうの?」

 オルガは飲みなれていないウォッカを舐めて、顔をしかめながら言った。イヤなら飲まなければいいのに、「飲まなくちゃあやってられない」らしい。まあ、いくら軍人とはいえ、こう何度も命を狙われたのでは無理もない。むしろ、平然としているドクの方がおかしいのだ。


「教会本部の指示とは思えません。さっきも言いましたけど、この土地で起きたことに今の教会がリスクを背負ってまで隠蔽する価値はありませんから」

「じゃあ、誰があのお婆さんをあそこまで追い込んだっていうの?」

「う~ん、まあ、教会組織である事は間違いないんでしょうけど、教会本体じゃあないって感じですかね」

 相変わらず、ドクの説明はまどろっこしい。

「ちゃんと、分かるように説明してよ」

「『また、授業が始まる~』とか言ってからかうじゃあないですか」

「キチンと聞きます」

「ウォッカ片手に言われも、説得力は皆無です」

 さすがにドクのつまらない講義でも、酒を持ち込む生徒はいない。

「いいから説明してよ。それとも、私には話さなくてもいいって思ってるの?」

 しかし、その酒の所為で、オルガの声がやたらと艶っぽい。顎から、鎖骨につながるラインが、嚥下の度に怪しく動く。

「……分かりました。でも、まだ、この段階じゃあ想像の範囲を超えませんよ?」

 ドクは目の前の危険な罠に踏み込まないように、注意しつつ説明をしなくてはならない。艶めかしいアレはとても甘そうだが、飛びついた瞬間に、天国への強制送還が執行されるからだ……。




「あの老婆がああいう偏った思想に囚われたのは、教会の所為で間違いないでしょう。でも、今回の件で教会本部から指示があったとは思えません。奴等が本腰を入れて動き出したら、我々は今頃棺桶の中ですよ」

「でも、宿の仲間は殺されてるわ」

「ええ。でも、あれは別に考えるべきでしょう。宿の連中を殺したのは、明らかにプロ。老婆に銃殺を依頼するような輩とは、明らかに思考回路が違います」

「じゃあ、私達は違う組織から、同時に狙われているってこと?」

「はい。……いや、二つどころじゃあないかもしれません」

「どういうこと?」

「我々を襲ってきているのは……形の無いモノかもしれないんです。組織や、個人なんて関係ない。その毒に感染した人間なら、子供だって銃を向けてくるかもしれない……」

「……意味が分からないのは私だけじゃないはず……」

「つまり、組織を構成しているのは人ってことですよ」

「ねえ、ケンカ売ってんの?ちゃあんと説明しようとしてる?」


 ずい、とオルガが身を乗り出した。

 ちょっと、顔が赤くなっていて、目が潤んでいる。もちろん、酒の所為だ。


「頑張ってるんですよ」

 ドクが手で制そうとするが、その手を掴まれる。

「じゃあ、もうちょっと分かり易く説明して」

 オルガはそのまま、ドクの横たわるソファの端に座った。

 ドクの手はオルガの胸に、巻き込む様にして押し付けられている。

「……ふかふか……」

「なに?」

「い、いや、まあ、なんというか、『愚者の騎士団』だって一枚岩じゃあないですよね?」

 危ないところである。

 危機は、すんでの所で回避された。そして、体勢を立て直すには、基本に立ち返るに限る。「例示」は説明方法の基本中の基本である。

「そりゃあね。大の大人が集まってるんだから、意見が完全に一致することなんてある?」

「ありません。だから、そういうことなんだと思うんですよ」

「ねえ、やっぱり馬鹿にしてるでしょう?」

 顔が近い。

 ドクは、一応、しかめっ面をしてみせる。

「してませんって!っていうか、酔ってるでしょう?あした説明しますから、今日はもう休みましょうよ」

「……平気です」

「よっぱらいは常に『酔っていない』と主張するものです」

「平気だって。ちょっと顔が熱いけど、頭は回ってます!」

 このやりとりの中で、オルガは完全にドクの体にのしかかってきた。アルコール臭と軟らかい香りが、ドクの鼻腔をくすぐる。

「分かりました!分かったから、少し起き上がって下さい!!」

 悲鳴に近いドクの言葉に、オルガはニヤケ顔を見せる。

「照れてるんだ~」

「うわぁ、めんどくせぇ!!」

「いいから説明を続けなさい~」

「分かりましたから、ちょっと、突っつくのをやめろ!」


 ドクは観念した。たぶん、このヨッパライは寝落ちするのだろうが、自分の頭を整理するのも悪くないと考えたらしい(本当か?)。


「え~と、だから、なんというか、どんなに強固な組織でも、全員の意見が一致するなんて事はありえませんよね。ハト派にタカ派、右に左、強硬派に保守派もある。そのの中心部分が組織の代表意見と言ってもいい」

「そこまでは分かるわ。そのゆらぎがなければ、私はここにいない」

「そうでしたね。あなたは、あの組織の最も純粋な善意を体現していると思います。でも、ちょっと考えてみてください。そのゆらぎ――これからは『思想』といいましょうか――それは、何時の時点で発生したと思いますか?」

「え………それは……正確には言えないかな……。なんとなく、日々の中で形成されていった気がするけど……」

「うん、ほとんどの善良な組織はそうですよね。大きな思想の枠はあっても、細かい部分は個人の善意に任せている。でも、もし、ですよ?その思想に、ごく自然な形で接触する事ができたとしたらどうします?」

「どうするって言われても……どうすることもできないわ……だって、日常に紛れ込むんでしょう……」

 満足そうにドクがうなずく。

「あの老婆もそうだったんじゃないかって思うんです。彼女は、日常的にある思想を吹き込まれていた……。それは、とても善良で、気持ちのいい、分かり易い思想で、彼女の母も、祖母も、信じていた。思想はマグマと一緒で、生まれたては熱いけれど

柔軟性に富む。しかし、年月を重ねれば、固く、強くなっていく。彼女が何代目かは分からないけど、積み重ねられた倫理観は、人の命よりも重くなってしまっていた。特に、真面目で善良な人にとっては……」

「ちょっとまって、混乱してきたわ。え~と、私達を襲うように指示したのは、何年も前に仕込まれた組織の一思想だっていうの?なんだか、胡散臭い話に聞こえるけど……」

「いやいやいや、そんなオカルトな話じゃないですよ。とても、簡単な仕掛けでそれは可能になります」


 オルガが怪訝そうな顔をしながら、グラスを傾けようとする。それを見て、ドクはそのグラスを奪った。自分が飲みたかったのもあるが、危機管理の方が実体に近い。

 喉に広がる熱さを感じながら、ドクは「あくまで仮定ですが」と前置きをした。


「ある人間が、この土地に隠したいモノがあったとします。それは厳重に封印されましたが、慎重なその人は、心配でたまりません。そこで、ある細工を施しました。それは、教典の解釈を意図的に歪めることでした。歪めるといっても、あらすじを大幅に変えるわけではありません。皆の意識を、少し、別の所に向かわせるだけ。言うならば、家具を変えない部屋の模様替えのようなもの。誰も気付かないし、文句を言う人もいません。やがて、その『解釈』はジワリと浸透していき、その『解釈』に従順な信者を獲得します。そうなれば、もう、しめたもの。その従順な信者は、さらなる信者を生み、集団心理によって秘密は永遠に守られます……」

「そんな……ありえるのかしら……」

 オルガは、いまいちピンと来ない。

「可能性の話です。でも、まあ、できるとは思いますね。例えば『フコブの受難』で嫉妬に狂った商人の妻が、夫の女性遍歴を洗いざらい喋らせる場面がありますが、そこに『不必要な過去をよみがえらせる人間は悪魔によって支配されている』という解釈を咥えます。実施に、教典内で妻は自殺してしまいますからね。無理な解釈ではありません」

「でも、教会の説教なんて、神父さんによって変わるものでしょう?普遍的な解釈じゃあない限り、何代も続けていくなんて無理よ?」

 ドクは首をふる。

「一部の教会――それも、地域特性が強い場所では、神父交代の際に綿密な引継ぎがなされます。地域の信頼こそが教会権力の地盤ですからね、突飛な事はできないようになっているそうです」

「そうなんだ……」

「確証はありません。でも、もし、この仮説が正しくければ……」

「ここに何かがある確率が高い……」

「そういう事です」

「でも、遺跡には何も痕跡がなかったのでしょう?」

「考古学の世界では、一回目の調査なんてウェイトレスを口説くようなもんですよ。馴染みなって、初めてチャンスが来る。それに、教会も調べてみなくちゃだめでしょうね。隠そうというベクトルと反対側に、真実があると思います」

 ドクの目が輝いている。

 これまで、物的証拠に乏しかった調査だったが、ここに来て、初めて靄が形を帯びはじめて来た。研究者として、興奮を抑えられない。

 しかし、オルガは純粋に不安を感じていた。もし、ドクの話しが本当なら、敬虔な信者の多いこの島では、自分達は袋叩きに遭いかねない。

 不安がこぼれる。


「でも、大丈夫かな……」


 ここで、オルガの肩を抱いて「大丈夫だ」と言う器量が、ドクにはない。「気を付けないといかん」と難しい顔をするのが、関の山――だから、甘い蜜を眼前にして、見るだけしかできないのだ……。



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魔女・飛行機・義手 ~さえない文化人類学者と女性パイロットのささやかな抵抗~ @ahab

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