第18話 島の歴史
「オルガさん!」
ドクはなだらかな傾斜を駆け登る。
地面を蹴る感触がフワフワし、一向に進まない錯覚が襲う。
いくら職業軍人だといっても、オルガはパイロットというエリート臭のする地位にいるし、なによりそこは警戒していないだろうという思いがドクにはある。
間に合え――。
遅々として進まない景色に苛立ちを覚えつつ、ドクはへりへ踊り出た。
到着と同時に響く乾いた炸裂音……。
ドクは祈るように状況を確認した――。
「やめるんだ婆さん……。あなたにソレを指示したのは神じゃなくて人です。垢まみれのホモサピエンスなんですよ」
ドクは手袋を外し、手のひらを向けた。
オルガに向かって銃を向けているのは受付の老婆――。どうやら初弾は外れてくれたらしい。
「なんで……」
オルガが、信じられないという顔をしつつも自身の銃口はしっかりと向けていた。
「なんで……」
オルガが繰り返した。
確かに、目の前の老婆に銃は似つかわしくない。編み針がいいとこだろう。
しかし、現に彼女は武器を両手で握りしめている。
「やかましい、この異端者め!」
外見と言葉に生じたあまりのギャップに、オルガは思わず怯んでしまう。
だが、ドクはそれを冷淡に見ていた。
それは色々な地域で見てきた姿――。
信仰が狂信へと変わる瞬間。排他的な感情を、築き上げてきた平穏に対する挑戦とみなし発露する攻撃本能。冗談にも見える変容が、隣人に訪れる瞬間だ。
異常に悲しい事だが、珍しい姿ではなかった。
「異端者は失礼だと思いますよ。彼女も私も同じ教会の徒だ。もちろん、信仰の深さという点ではあなた――この土地に住んでいる人とはレベルが違うでしょうが……」
「あんた達は『神の箱』に手をかけようとした!あんな歴史資料館の許可証一つで!」
歴史資料館は国の施設で、館長は外部の人間だ。この島の住人がどう思っているかなど想像に難くない。
「ここは歴史資料館の所有地です。人の家にお邪魔する時は、その家の主人に許可をとるものでしょうが」
「神の秘密は人が所有できるものではない!」
聖典の一文を引用して、老婆は声を張り上げる。
ドクはできるだけ冷静に応えようと努力する。
「聖典をよく勉強されている。でも、それは人間同士の口論に使っていい言葉じゃない。奴隷として生きるしかない民族が、日々を超えるために、すがるようにして使う言葉だ。あなたは結果的に教会を侮辱している」
銃口がドクに向けられた。
オルガが思わず照準を直すが、ドクがいさめた。
「おばあさん……ここの秘密は、過去のものです。そして、それは教会が行った罪で、信仰とは何の関係もない。第一、神がそんな事を人間に指示するワケがないでしょう?」
「神の秘密は人が所有できるものではない!」
老婆は繰り返した。
盲目という美徳を歓迎するのは、神ではなく教会だという事を、いつ人類は気が付くのか。
「秘密……」
オルガは、この老婆が憑りつかれている正体が分からない。困惑している彼女をドクが誘導する。
「ええ秘密ですね。ただ、誕生から二千年弱の宗教では重大な問題かもしれませんが、長い人類の歴史から見れば、とるに足らない秘密です」
「神の箱に対して、なんという言いぐさを!」
まさに引金を引かんとする老婆をよそに、ドクは淡々と言葉を繋ぐ。
「この島は教会によって征服された土地なんです。この遺跡はその時、徹底的に壊されたんですね。彼女(老婆)がいうように、異教徒の祭壇だからという理由で――そしてこの地には教会がもたらされた」
「そんな話、この内海周辺諸国じゃあいたるところにあるわ!珍しい話じゃない!」
オルガは、当たっていないとはいえ発砲されている。そんな理由で殺されてたまるかと怒りたくなるのも当然だ。
「そうです、珍しい話じゃあないんです。『悪魔を追い払い、その地が浄化された』とか、いかにもな寓話に置き換えられて各地に点在しているつまらない話です。でも、そのいかにもな寓話は長い年月をかけて形を変えた、いわば蒸留酒みたいなもの。つまり、話の原点は『悪魔を追い払い』なんて言葉では到底言い表せない悲惨な事実。それがいつしか勧善懲悪のほんわかした話になっていったんです」
「……粛清」
オルガの言葉をドクが否定する。
「それは一方的で、好意的な見方だと思います。客観的にみれば、それは『虐殺』でしょう」
老婆の顔が怒りと恐れで青色になった。彼女が構えている銃が、痙攣をしている。
「この土地は、あまりにも孤立していた。そして、過酷な環境は人口の増加を許さなかった。だから、彼等――我らが信仰している宗教の一団――は、最も安易で悲劇的な布教を行った。なぜなら他にバレる心配なんてなかったからです」
「そんな……」
「奇しくも、新教との勢力争いが頂点に達しようとしていた時期です。布教に失敗したなんて言えるわけがなかったんですよ。そして、文字通り、虐殺は行われた……でも、特筆すべきなのは虐殺行為があったかどうかじゃない。それが今まで守られてきたって事実の方が凄いんです」
オルガが眉を寄せる。
「ちょっと、虐殺より秘密主義の方が大事っていうの?」
「やだな。学術的に見ればですよ。いいですか、人類の虐殺行為なんて、過去にいくらでもあったんです。古くは石器時代に、われらのご先祖であるサピエンス系の猿は別の文化的な猿を大量虐殺し、結果的に絶滅させている。農耕が始まれば、さらにその規模は大きくなり、人を人として扱わないという考え――奴隷という制度まで生み出した。先の大戦も、人類が起こしてきた虐殺の一例にすぎないんです。ただ、武器が変わっただけ。思考回路が複雑になっただけです」
ドクはずいと老婆の方へ歩みよった。
「おばあさん、いいですよ。あなたはこの特異な歴史の先端にいます」
老婆はもう、何がなんだか分からない。
「熱心な宗教によって、善良な人が無実の人間をゴミの様に殺そうとするなんて、歴史の中では珍しくもなんともない。でも、赤子も妊婦も老人も、そして築き上げてきた文化も、ミナゴロシしてまった罪悪感からか、数世紀にわたってクソみたいな秘密を守り通してきた異常さは凄い!人類が培ってきた知識をどこかに捨ててきたみたいだ!」
「ちょっと、ドク……」
オルガが流石に止めようとする。
だが、ドクには届いていないようだ。
「すごいじゃないですか。だって教会本部もそんな事はのぞんじゃいないんですよ?世界中、そんなチンケな秘密を欲しがっている人なんて誰もいないのに、まるで自分達が教会の庇護者とでもいわんばかりだ!挙句の果てには殺人にまで手を染めようとしている!こんな愚かな生物は他にいますか!?」
老婆は呼吸を荒くし、手足が震え始めている。
もう、オルガも銃を構えていなかった。
ドクはそのまま銃口を掴んだ。
「……落ち着いて呼吸をしてください。主に祈るように、しっかりと……」
ドクの言葉を聞いて、老婆が驚いた顔を向ける。さっきまで、散々「神」を冒涜していた男が、まるで神父様のような口をきく……。
「そう……いいですね。うん、大丈夫」
老婆はそのばで膝をついた。
昨日降った雨の所為で、芝は潤いを取り戻している。
「あなたはこれまで教会につかえてきた。でも、そんなのはアホでしょう?だって、あなたが本当に信じたいのは神なんですから」
ドクは彼女の両手をとった。
「彼等は大抵が善良ですが、中にはとんでもないのもいる。でも、それが人間ってもんですよね。あなたが長い時間をかけて見てきた世の中もそうだったはずです。ゴミも宝石も、まぜこぜに溢れているのがこの世界だと私は聞いています。なにも、信じる道が同じだからってゴミの言うことを聞く必要はないと思いますよ?」
オルガは盛大に溜息をついてこのインチキ助教授を眺めた。
まあ、老婆を傷付けないで事を治めたのは立派だが、よくこれだけ口が回るものだ。精神的に追い込む手法など、尋問官より質悪い。
――まだまだ、裏の顔がありそうね。
そんなドクを頼もしいと思うオルガ。
この人も、少し変わっている……。
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