第9話 勇気をちびる

「何やってるの!?」

 オルガはあくまで低く、囁くように叫んだ。手はドクの袖を強く引っ張っている。

「……ヒトチガイジャナイデスカ、ワタシハ――」

「そういうのはいいから。とにかく、ちょっとこっち!!」

 オルガは強引にドクを建物の影へ連れて行った。

「ちょっと、待ってください、痛いですって!」

 ドクは引きずられながらも穏便な措置を懇願した。もちろん、オルガもそうしたいが、混乱した彼女の頭がそうはさせない。


 壁際に押し付けられ、両手で左右の退路を塞がれたドクは眉毛を八の字に歪めた。まるで浮気をした夫が妻に問い詰められているようだ。

「どういうこと!説明して!」

 その迫力に、ドクは思わず「ごめんなさい、私がやりました」と言うところだった。イヤイヤ、悪い事はしていないと首を振ってから口を開く。

「いや、話せば長い、聞くも涙の物語でして……」

「ふざけてると、今、この場で私の同僚を呼ぶわよ。しかも、ヤラシイ事をされたってオマケもつける」

「わかった。落ち着こう。君はクールだ。いいね?」

「じゃあ話して。リリーさんは?」

「さっきまで相談していたから、今は休止してもらってる」

「何の相談?もしかして……ウチの軍隊に狙われてる?」


 泣きそうなのはオルガだ。

 ドクは、顔だけでなく、顔の左右に伸びる腕の震えからもを感じた。


「気にする必要はないですよ。まさか、こんなに早くバルブレアが象鼻半島に手を伸ばしているなんて誰も予想できなかったんですから」

 男らしくないドクにだって、格好つけたい時もあるらしい。

「……私の顔を立てればなんとか」

 モヤっとしていた部分を明確にされ、オルガは感情を受け止められずにいる。軽はずみな発言を悔いるとか、そういう次元の話ではなくなっていた。悲壮感が彼女を支配している。

「それは止めた方がいい。っていうか止めて欲しい」

「なんで!」

「待遇が良くなるだけで、拘束される事は変わらないからですよ。それに、脱出の算段はできているんです」

「航路は無理よ!監視が厳しすぎる」

「定期船はね?でも、遊覧船の方はぜんぜんなんですよ」

 ドクは定期船とは反対側の桟橋を指さす。

 オルガは一時的にドクを解放すると、そろそろと覗き込んだ。なるほど、兵士は一応いるものの、乗客のチェックまではしていなそうだ。

「……確かにそうね。でも、遊覧船は戻って来るのよ?」

 あんたはバカか、とでも言いだしそうだ。

「ええ。だから、途中下車する予定です(車じゃないけど)。ほら、遊覧船は奇岩地帯を抜けるでしょう。そこからなら、なんとか陸にとりつく事はできるんで」

「岩礁地帯の海を泳ぐの!?無理よ!!潮に揉まれて大変なことになるわ!!」

「まあ、まあ、まあ、そこは大丈夫なんですよ。ちなみに泳ぎはしません。この義手には秘密兵器があるんです」

 そう言ってドクは右腕を叩く。

 カンカンと、乾いた金属音が響いた。

「だから、オルガさんは気にしないでください。あ、でももし捕まったらできるだけ庇ってくださいよ?いきなり実験対象にされるのは勘弁ですから。だから、それまでは大丈夫。なんとかしてみますよ」

「…………」

「……え~と……」

 沈黙ののち、オルガは決意を込めた目でドクを睨むと言い放った。

「じゃあ、私も遊覧船に乗る。男女でいる方が怪しまれないし、手伝えることがあるかもしれないでしょう?私は自分が取った行動の責任として、ドクが無事に脱出するのを確認する。それは義務よ」

「結構です」

 間髪入れず返すドクに、オルガはまたまた詰め寄る。第三者が見ていたら、間違いなくイジメだと思うだろう。ドクは胸倉を思い切り締め上げられた。

「うおっ、わああ、ちょっと待った待った!落ち着いて、聞いてください!……いいですか、あなたが定期便に乗らなかったら怪しまれるでしょう?ここは互いの為にも、サラッと知らないフリをするのが一番なんですって。無理にあなたが立場を悪くする必要もないし、なにより、僕がそれを見たくない。助けて欲しい時は全力であなたの名前を言いますから、ここは僕を信じてください。きっと大丈夫ですよ」

「…………」

「…………」


 ドクは手をオルガの頭に置いた。

 オルガはそれを振り払うようにして、手を離した。

 ……ドクの心がちょっと折れた。


「……あなたの何を信じろっていうの」

 目が怖い。

 答えを間違えたら殺される――ドクは必死に答えを探した。

「……あなたを嫌いには……なりませんよ?」

 

 なかなかの回答だとドクは思った。

 しかし、まさかの沈黙――。

 「やってしまった感」がドクを包む。

 

 しかし、どうやら大丈夫だったらしい。

 オルガの手は徐々に緩みながらドクの頬に添えられ……。


 唇と唇が触れ合った。

 

「お守りのお返し。バルブレア流の旅立ちの挨拶……」


 吐息の様な囁きを残して、オルガは去った。というより逃げて行った。

 

 ドクは、その姿をただ見送った。

 

 一言も発せない情けない男だが、さすがに彼女が最後に言った言葉が照れ隠しの嘘だという事は分かった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 今生の別れにはならない――。

 そういった確信がオルガにはあった。だから、ドクがアイラ大学という無名な大学の助教授である以外の連絡先を得ないまま去った(正直なところ、大学名さえわかれば調べられないことは無いだろうという打算もあるにはあった)。

 後ろ姿を印象に残したかった、というのもある。


 それはそれで、である。


 ドクを確保しようとしたバルブレア軍隊の在り方に、オルガは強い憤りを感じていた。いくら重要機密事項だからといって、それを保持するために一般人を不用意になど、どこの独裁国家かと言いたくもなる。


 オルガは離れていく港を眺めつつ思う。

 

 展望デッキにはドクの姿がまだ確認できていた。

 傾いた眼鏡を直しつつ、呆けた顔でこちらを眺めている。「秘密兵器があるから大丈夫、信じろ」と彼は言ってはいたが、どんな機能があの義手に隠れていようとも、それなりに危険はあるはずだ。

 想像したところで「秘密兵器」がなんなのか分からないから、心配しようもないのだけれど、どこか間の抜けた人の好いアホ面を見ていると無性に不安になる。


――まさか、心配させないと「秘密兵器」なんて言葉でごまかしたのかな?


――っていうか、まだ「秘密」を隠してたなんて、信じられない!



 思考がまとまらないまま、オルガはガラス越しに「べ~」と舌を出した。こういう仕草は自分には似合わず、あざとすぎると敬遠していたが、無意識にやってしまった。


 ビクッと体をこわばらせるドクは、今度会った時に殴ろうと、オルガは心に誓った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 風と波が大地の石灰岩を浸食して、奇妙なオブジェを作り出している。

 港町ポポフ自慢の観光名所、ポポフ奇岩群だ。この隙間を縫う様に巡る観光船は人気のスポットになっている。


 ドクは甲板からこの奇岩群を楽しんでいる。


 まだその時ではない――。


 脱出ポイントは「天窓洞」。

 洞窟の天井にぽっかりと空いた穴。

 そこから差し込む太陽のスポットライトを遊覧船が通過する時、その穴に向かって糸を放つのがドクの計画。洞窟の上は散策路を経由して街道につながっている。


 問題は二つ。

 乗客に見られる危険性が高いこと。

 もう一つは、洞窟の天井が高いこと……。


 高所恐怖症とまではいかないが、高い所がとっても好きではないドクにとって、この計画は涙が出るほどイヤだ。正直、泳いだ方が気持ちは楽。しかし、潮が速いので、程度のドクの泳力では危険性が高い。


 苦渋の決断(大げさ)。


 イマイチ決心が固まらないままだが、船は洞窟内に入り、熟練の操舵技術で目的地へと向かう。洞窟内に入って20分後、船はスポットライトへと姿をさらした。

 天井に開いた大穴から、青空がのぞく。ドクは甲板の最後尾へ移動し、手を上に伸ばした。

「よいしょ!」

 ドクは糸を飛ばす。


 粘度と伸縮性の高い糸が射出。

 まるで生物の様に天井を捉える。

 

 ……捉える?

 ……捉えてない。

 捉えられない!!


 糸が届かないのだ。

 洞窟内には外からの風が集約されて、ビル風の様な突風が生まれていた。糸が流されしまうのだ。

 今度は先端に「玉」を作って、おもっクソ投げる。

 でも、彼の貧弱な肩ではやっぱり届かない。

 

「やばい!」


 嫌な汗がドクの背中を滑る。


 何かないかと、周りを見回すが役に立ちそうなものはない。風を切り裂くもの――風を突破できるもの――風……。


 船はすでにスポットライトから離れつつある。ドクは今度は風上から、あえて風にのせるように糸を放った。

 ぽちゃん……。

「もう一度!」

 ぽちゃん!

「頼む!!」

 ぽちゃん。


 四度目のトライで、なんとか糸を風に乗せることができた。だいぶ天窓から離れてしまったが、強度も問題ない。ラインはつながった!

「怖くない……怖くない……僕は蜘蛛だ……糸は強靭なたんぱく繊維……ガンバレ……」


 糸に重心をかけて、伸縮性を十分に生かす。体を持ち上げたと同時に、今度は伸縮性の少ない糸をくり出し体を支える。


 理論上はできる。


 優れた運動神経を持つオルガだったら難しくはないだろうが、義手はドクに付いている。脱出しなければならないのも彼だ。誰も変わってくれない。

「こちとら女神様の祝福(?)を受けとんじゃい!!ビビッてたまるか!!」

 ヤケクソ感を滲み出しつつ、ドクは宙を飛んだ。それは決して、優雅な飛翔ではなく、馬に引きずられた罪人みたいだった。足はガニ股。目は涙目。涎は口角からこぼれている。


 でも、いいじゃないか。

 目的のため、勇気で弱点を克服する姿は、どんな外観をしていても美しいのだ。たとえ、ちょっとチビッたとしても!!

 

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