第7話 蜘蛛の糸

「春の魚亭」


 オーベルジュと言ったら罰が当たる。


 ドクが港町ならではの安宿に決めたのには理由がない。雰囲気のよさそうな所へ飛び込んだだけだ。あえて言うなら、雑多な気楽さを好むドクの性質だろう。


 だから、怒られている。


『あんたは迂闊だっつ~の』

「すんません……」

 深夜、宿屋の廊下だから声は必然的に低くなる。

『こんな宿じゃあ、襲撃に耐えられるわけないでしょうが』

「いや、まさか自分に矛先がくるとは思ってなかったもんで」

 いいながらドクは通路にを設置していく。こいつは店にも(大して)迷惑が掛からないから都合がいい。

『まったく、そんなんだから教授になれないのよ』

「この歳で教授なんてやってるのはアイツぐらいですよ。僕の方がスタンダードですって……よし、これで大丈夫でしょう」

『逃走ルートは頭に入れた?』

「もちろんですよ。窓から飛び出て、そのまま隣の屋上に飛び乗れば、後は屋根伝い。路地にも降りられるし、隠れ場所はいくらでもある」

『そんなにうまくいくかしらねぇ』

「ボマリアの紛争地域でも何とか乗り切ったじゃあないですか。今回だって大丈夫ですよ」

『慢心と過信は死という終着駅への特急切符♪』

「嫌なこというなぁ~、分かってますよ。分かってますけど、明るい要素の一つぐらいないとモチベーションに重大な障害が発生するでしょうが」

 ドクは慎重にドアを閉じた。罠が壊れないようにだ。

「しかし、ただの研究者が何でこんな目に合わなくちゃならないんですかね。この前の調査でも憲兵に追われましたし、なんだか自分がスパイなのかと勘違いしちゃいますよ」

『こんなドジなスパイはおらん。だいたいあんたが馬鹿正直に身分を明かすから情報屋の犬に嗅ぎつけられるのよ。偽名ぐらい使えっつーの!』

「犬を放ってるなんて知るわけないじゃあないですか!狙われているのも想像がついていなかったんですから。っていうか、オルガさんが僕の事を話しちゃったのが原因でしょう」

『私達を売ったとはかぎらないわよ。「何があったんだい?」なんてイケメン将校に聞かれたら、正直に話しちゃうのが乙女ってもんよ』

「イケメンは関係あるんですかね!」

『ほほほほほ、ヘタレた馬には鞭をくれてやらないと走らないからね♪まあ、とにかく彼女は自身の部隊を信頼しているみたいだったし、「感謝したいから」なんて言われたら嘘つく事も思いつかないわってことよ』

「なるほど、ですね」

 ドクは納得して視線を窓から通りへと投げた。

 まだ人影は見えない。



 オルガは、バルブレア軍がドクを襲撃しようとする動きを知らない。すべては本国の参謀司令部から指示なので、ポポフに駐留する一般兵士には知らされていないのだ。


 ――原因は不明でなければならない。


「撃墜」であれば軍事作戦を進めなくてはならなくなるし、「墜落」だったら謝罪になる。「不明」であるからこそ、軍を駐留することができる。


 だから、彼女が無事に生還したと分かった時、執行部はいち早く彼女の身柄を確保し、墜落から発見までの行動を念入りに聴取したのだ。接触した人間の口を封じるためだ。「愚者の騎士団」で尊敬を集めるジム騎士団長が送り込まれたのも、同じ話を二度させることで情報の精度を上げるためということになる。

 そうして慎重に聴取した結果、オルガが接触した人間は「社会的影響の少ない鳴かず飛ばずの助教授」ということが判明。ドクが宿屋に飛び込んだ頃にはすでに子飼いの犬たちが町中を嗅ぎまわっていた。

 もし、宿屋の主人がわざわざ「あの隅でコーヒーを飲んでいる男が、あんたの事を探してましたよ」と教えに来てくれなければ、今頃ドクはリリーに相談もせず、酔っぱらって高いびきをかいていただろう。

 微妙なラインだが、総合的に判断すればラッキーな男なのかもしれない。


 そして丑三つ時。


 宿の周囲が、人の気配でやかましくなってくる――。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 蝙蝠でさえ眠っていそうな深夜。

 路地の片隅――街灯の作る濃い闇の中で男達がうごめいている。

 

「オールクリア、いつでも行けますよ」


 明らかにホワイトカラーを捕まえるにはオーバースペックの軍人が状況を報告した。太い首、太い腕、引き締まった腹筋に、頭の悪そうな笑顔。自尊心を愛国心に置き換えてしまっているストイックな変人。そんなのが5人もいるおかげで、その一角は異様にムンムン、ミチミチしている。

 

 さすがに制服は着ていないようだが、明らかに軍人。変装しているつもりだったら、可哀想なぐらいセンスがない。


 ハンチング帽をかぶった小さい――しかし異様にがっちりした年配の男が声を抑えて、しかし圧力を込めて指示を下した。

「よし、お前たち二人は宿の正面から向かえ。我々は万が一に備えて通りで待機している。何かあったらそのホイッスルを思いっきり吹くんだぞ?」

「「「「了解!」」」」

 隊長らしい人間の指示に対して、気持ちのいい返事が小さく響く。5人の中でひと際おおきい男と、チョビ髭の男が前に進んだ。彼等がドクを捕まえに行くらしい。


 路地を斜めに横断して二人は玄関の前に立った。

 宿屋とはいえ、この時間であれば鍵をかけている。しかし、二人は何事もなくドアを押し開いた。先に解錠しておくように指示がなされていたのだ。ぶっ壊されても面白くないので店側は言う事を聞かざるをえない。


 1階は食堂で、宿泊施設は2階にある。

 店主の了承もなく、二人は受付を素通りし、食堂を抜けて階段へと進んだ。途中、男達の顔に蜘蛛の巣がひっかかり、大男の方が舌打ちをしたが、「ボロ宿とはいえ掃除くらいしねえか!」と怒声を上げるまでには至らなかった。

 軍人として最低限の脳味噌は所有していることが証明されたことになる。見た目から少し怪しいと思っていたのだが、よかった、よかった(?)。


  2階は安宿の手本のような造りだ。


 両手を広げれば簡単に届いてしまう狭い廊下に、びっしりと並んだ居室。居住性など二の次で、「突っ込めるだけ突っ込もう」という精神が容易に想像ができる。


「あそこだな……」


 もちろん、声に出してはいない。

 アイコンタクトとブロックサインで意思疎通をはかっている。

「しかし……」

 チョビ髭の男が空中をまさぐった。

 そう――やたらと蜘蛛の巣が多い。

 掃除嫌いにも程がある。


 蜘蛛の巣は気持ち悪いだけじゃあなく実害もある。糸を払う動作をいちいちブロックサインと勘違いしてしまうのだ。

 つい、先頭を行く大男が口を開いてしまう。

「こんな所へ、よく泊まろうとするな……」

 チョビ髭が肩を掴んで「口を開くな」と注意をする。「すまない・分かった」と表情で返事をし、大男は再び前を向いた。


 その瞬間。


 大男の身体が、まるで「気を付け」の号令をかけられたように、急激につっぱったかと思うと、その場に崩れ落ちた。


 この場合、駆け寄ることは絶対にしてはいけない。チョビ髭もその鉄則に従った。しかし、意味はなかった。


 突然訪れる痛みに近い衝撃。いとも簡単にチョビ髭の意識も肉体から離れた。

 


 

 そして視点は待機していた方へ移る。



 路地の角。

 ドクの宿泊している二階の窓を確認できる場所で三人の男が待機していた。流石に無駄口を叩くほど日和ってはいないが、正直、イレギュラーが起きるとは思っていなかった。

 なにせ、相手はモヤシ研究員だ。頭の重さに反比例して筋力が低下している人間に人を殺める訓練をしている連中が不覚をとるわけがない。しかも、荒事なら中隊で1位、2位を争う二人が向かったのだ。銃をもって反撃されたとしても、お釣りがくる。


 しかし、予想は常に外れる。

 というより、あさっての方向にぶっ飛んでいく。


 二人が向かって数分――。

 何かを無理やり二つに割る様な、バリバリと空間引き裂くような音が響いた。

 尋常な音ではない。

 ただ、どこかで聞いた音だ。


「今の音は?」

「……分からん。しかし、何かがあったな……」


 実をいうと軍隊において反射神経が良いということは、必ずしもプラスに働くとは限らない。先走ったマヌケは「的」にされるからだ。しかし、一方で腰を落ち着かせてしまったドジは変化に対応する事ができない。腰を浮かして待つことが優秀な軍人の証ということになる。その点、この指揮官はなかなか良い。

 一目散に飛び込むことをせず、窓側と玄関側に一人ずつ立たせ、そして自身は両方に対応できるように間で待機したのだ。


 緊急連絡用の笛は鳴っていない。鳴ってはいないのだが、宿泊客を含めてここにいる全員が「このボロ宿で何かが起きた」と認識していた。時間と共に部屋の明かりが次々と灯り、人の動く気配が伝わってくる。

 

 隊長は決断を迫られていた。


 行くべきか――行かざるべきか――。

 二択なのだが、素子がそこら中に転がっているおかげで、思考があっちゃこっちゃしてしまう。よく「最悪のケースを想定しろ」などと言う輩がいるが、そんなものは結果論だ。当事者にしてみれば、ぎょうさん飛び散っている可能性の中で「それっぽい」ものを選び取る事しかできない……。


「もう5分待て――」


 それが、この優秀な指揮官の出した答えだった。事実、それは正解だった――。



 安宿内に喧噪が広がってから数分後。監視していた角部屋の窓が開き、宿泊客の一人が外へ身を乗り出し始めた――間違いなくターゲットの男だ。ベランダ側を監視していた男が隊長を低い声で呼ぶ。

「隊長、来てください!」

 すぐさま状況を把握した隊長は、急いで駆け寄ってきた。このままターゲットがベランダから飛び降りてくれれば、とっ捕まえるのは簡単だ。


 しかし、その宿泊客は飛び降りようとはしない。何故か右腕を屋上側に伸ばしている。

「合図?助けでもくるのか?」

 一瞬、確率の低い不安が頭をよぎるが、ありえないと首を振った。研究者が助けを呼んだところで来るのは弁護士か、警察がいいところだろう。どちらも彼等の脅威になりえない。


 大丈夫だ――。

 

 高を括っていたわけじゃあない。

 状況から判断すれば、選択肢は「飛び降りる」か、「強行突破」しかありえないのだ。これは(客観的に見ても)可能性からくる現実的な選択だった――。


 しかし、(繰り返すが)予想は常に覆される。

 予想が的中するのは、予想が外れるという予想が覆されるから的中するのだ。


 ターゲットは右手を伸ばし、中空で「ひっぱり確認」を行うと、スルスルととっかかりのない宿の壁を上り始めたのだ。


 まるで空中にロープでも垂れ下がっているかのように、男はするすると登っていく。下から眺めている二人にとってみば質の悪い冗談のようだ。


「撃て……」

「……は?」

「撃て!死んでも構わんから、奴に鉛玉を食らわせろ!」

「イ、イエス!」


 ばっちり二人とも10秒は硬直したあと、二人はようやくターゲットが逃げ出そうとしていると気が付いたらしい。慌てて拳銃を上着から取り出す。

 しかし、タイミング的には厳しい状況だ。既にターゲットは屋根に足をかけていた。


「狙え!死んでも責任は私が取る」

「イエス!イエス!イエス!」


 弾丸が幾度も雨どいや外壁を削ったが、ターゲットの肉をそぎ落とす事はなかった。屋根に立った男は不敵の笑み(少なくとも二人にはそう見えた)を浮かべると闇に溶けて行った。


「追え!逃がすんじゃない!」


 叫けば叫ぶほど自らの失態を肯定しているようで、聡明な指揮者はじきに声を荒げる事をやめた。司令部への報告は頭の痛い問題だったが、それは自分の問題で部下の問題ではないと判断したらしい……。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ドクは泣きそうになっていた。

 いや、正確に言うと泣いていた。

「死ぬ!いきなり発砲してくるなんて、あいつらアホかよ!」


 屋根から屋根へ、ドクは自分でも驚くようなスピードで駆け抜けている。段差なんてなんのその。多少の高低差なら、恐怖心から来る勢いで飛び越えるし、なんともならないほどの高さなら義手に仕込まれたギミックを惜しみなく使う。


 ギミック……。


 それをギミックと呼んでいいのか分からないが、とにかくソレを使う。


 宿屋で追跡者を振り切った仕掛け……。


 ドクの利害関係に無関心なリリーでも、オルガに対して秘密にしていた仕掛けがソレ。生体工学の一環で、生物の機能を義手に持たしている。



 リリー式義手・モデル「蜘蛛」

:タンパク質など、取り込んだ物質を変質させて手のひらから「糸」として放出することができる。また、電気壺と呼ばれる機関を持ち、糸に高電圧の電流を流して目標を感電させる事も可能――しかし、その際に使用する糸は金属を混ぜ込んだ専用のものが必要。


 もともとの義手にはそんな機能なんて付いていなかったのだが、ドクが調査先で何度も危険な目にあったので、護身用として装備することになった。当初は毒針を装備する計画だったのだが、ドクの「人間大量破壊兵器はかんべんしてください」という懇願により「電気スタンガン」が採用されたのだ(リリーは最後まで渋っていたらしい)。

 


 結果的にドクは計画どおり脱出している。


 窓から飛び出て(ただし屋上へ向かってだが)、そのまま隣の屋上に飛び乗れば(蜘蛛の糸を使ってじゃないと無理)、後は屋根伝いに逃走――。


 微妙なところだが、やっぱりラッキーだといえるのかもしれない。


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