第6話 街へ
「忘れ物はないですか?」
ドクは自らリュックサックを背負いながら訪ねた。
「大丈夫。ぬかりはないわ」
ぶかぶかのズボンをロールアップし、シャツは腕まくりして裾を縛っている。ドクの荷物から見繕ったありあわせ物だが、なかなかどうしてサマになっている。防寒着として野暮ったいパイロットジャンバーを羽織っているが、それもそういうものとして見えてくるから不思議だ。
「変じゃないかな……」
最後のチェックを鏡の前で行っているオルガつぶやいた。その容姿の所為で、なんだか嫌味にも聞こえる――。
軍人と分かる服装は止めた方がいいと言い出したのはドクである。
象鼻半島は中立を主張しているエドラドール公国に属しているため、内海じゅうの嫌われ者であるバルブレアに対しても友好的ではあるが、制服を着た軍人がブラブラと街中を歩けるほど好意的ではない。よって「必要以上に目立つ必要もないだろう」というのがドクの主張だった。オルガにも異存はなく、今、こうして服を着替えたところだ。
ちなみに、着ていたパイロットスーツはワッペンを外してから焼却処分した。スーツの方に愛着はないらしい。
「じゃあ、行きましょう」
ドクが促し、オルガが後を追う。
二人は小屋を出た。
オルガが小屋を出る時――複雑な表情を浮かべて「一瞬」振り返った事をドクは知らない。やはり、注意力の問題なのだろう……。
街道までは整備された山道を行く。冬を超えて、どこか浮かれた雰囲気がする木々と緑の間を進んだ。ちなみにドクの右腕にいる三人目は絶賛休止中である。
「街から飛行船は出てるの?」
「出ていますが、船の方が手続きが早くて安いですよ」
ときどき振り返りながらドクが答える。
「船旅は好き。潮風ってワクワクする」
ため息をつくドク。
「庶民をなめてますね。三等客室は肉体労働者の汗と、おっさんの油の匂いしかしませんよ」
「え!?」
「出航の時間によっては船内で寝る事もありますから、貴重品は抱いて寝るか、下着の中に入れるのが利口です。ああ、基本的に雑魚寝なので胸の一つや二つ触られても大声を出さない事ですね。『それぐらいでうるせぇ!!』って怒鳴られて嫌な気持ちになりますから」
「ちょっと、一つや二つって!!」
両腕で思わずガードを固める。
気が早い。
「触られたら得意の右ストレートで思いっきり殴ってやればいいんです。向こうもそれを覚悟してるんですから。ただ、オルガさんの場合は手加減しなくちゃあダメですよ?さすがに障害致死事件になると船員が飛んで来て、船倉にぶち込まれます」
「乙女の貞操を死守するために何があろうと飛行船にするわ。あと、あなたの私に対する認識について話し合いましょう。場合によってはいろいろ削らせてもらうわ……」
走り出そうとしたドクの襟を、電光石火の右腕が捉えた。にこやかな眼元の奥で黒目が怪しい光を放っている。
「そうね、まずはなんで海路を勧めたのか聞きたいわ♪」
「も、黙秘権を行使します」
ギリギリとオルガの右腕に力が入る。なぜこの細腕がこんな出力を有しているのか、甚だ疑問である。
「これは裁判じゃあないわ。尋問よ」
「捕虜の取り扱いは――」
「国際条約なんて戦場じゃあシャレみたいなもんよ」
「待遇の改善を要求する!!」
「あなたの神に祈るのね」
ドクの悲鳴が山間に響いた……。
まあ、そんなやりとりをしながらも足を動かして4時間。山道はしだいに緩やかになってきた。木々の隙間から街が見え始め、空気も平地のそれに変わりつつある。
多少息が上がっているドクの背中を、オルガが余裕の笑みを浮かべて付いていく。「カラーの色が違う」とはいえ、フィールドワークを生業とする男としてはなんとなく面白くない。しかも、相手は美人で性格が悪いときている……。
「あら~教授はお疲れみたいですねぇ?」
振り返る、というより睨むドク。
ニヤニヤ笑っているオルガは楽しそうだ。
「……僕は荷物を持ってるんで、そこは考慮してください」
「私は病み上がり♪っていうか、そのリュックサックに何が入っているの?食料だけじゃあないわよね」
「ええ……論文と調査資料です。せっかく降りたんで……大学へ郵送しておこうと思って……」
「あそこにあったの全部?」
「はい、全部……。これが無くなったら……僕の半年間は意味がなくなっちゃいますからね……」
「半分持とうか?」
ドクは余裕そうなオルガを見て、一瞬考えるが……。
「いや、いいです……。これは僕が持つべきものなんで……。それに、ホラ、もう街道ですよ……」
ドクが看板を指さす。
確かに「街道→700m」の文字が見えた――。
街道といっても、都心部のように路面が石畳になっているわけじゃあない。踏み固められた砂利道が、街まで湾曲してつながっているだけだ。
ドクとオルガは一休憩した後、街道をのんびりと進んだ。港町ポポフまでは歩いて二時間ほどだが、途中、農家のトラックに乗せてもらい夕方前にはたどり着いた。
すり鉢状に広がった湾。
そのへりにある「夕日ヶ丘広場」から二人は街並みを見下ろした。サンセットにはまだ時間がある。
「へえ~けっこう素敵な港町ね、ちょっといいかも」
オルガ嬢はお気に召したようだ。
「歴史のある街ですよ。海運の中継地点として発展してきたんです」
なるほど、湾から放射上に伸びている街は複雑に入り組んでいて、ごちゃごちゃとした古い発展の痕跡がうかがえる。道も車を走る事を想定していない造りだ。
ただ、街並みは古典的な美しさを残している。みっちりと並んだ石造りの建物が色とりどりの屋根を並べている姿は一枚の絵画のようである。
まだ冷気を含んでいる海風が斜面をつたい、オルガの髪を後方に流している。二人はしばらく黙ったまま潮の香りを嗅いでいた。
「着いたわ、ね」
少しの沈黙を置いてオルガが口を開く。
ドクは「そうですね」とだけ答えた。
「これからどうするの?」
悪い質問ではある。
「郵便局に行ってこいつを大学へ送ったら、街で美味しいものでも食べますよ」
ドクは面白味のない回答を置いた。
オルガは不満げでもある。
「美味しいものねえ……」
「オルガさんは飛行船でしたよね?乗り場はそっちの階段を真っ直ぐ行けば着いたはずですよ」
一方のドクはヘラヘラしている。どうやら彼は反対の階段を通って中心部の方へいくらしい。
オルガは睨む。
「……楽しそうね」
「え?」
「そんなに私の手料理が嫌だったのかしら?」
「(ゲッ!!)いや、そうではなくて、ホラ、新鮮な海の幸の事ですよ?ぐおお!!」
オルガのブーツがドクの登山靴を思いっきり踏み潰したらしい。
「あら失礼。――まあ、いいわ」
明るいため息を一つ。
それから向き直ってオルガは胸に手を当てた。
「騎士団の一人としてお礼を言います。命を助けてくれたこと、機密保持に協力してくれたことは、決して忘れません。ありがとう――『ドク』」
ドクは涙目で、その礼を受ける。
ただ、慣れていないので全然サマになっていない。壊れたブリキ人形みたいになっている。
「いえいえ、手伝ったのはリリーさんですよ。僕は単純肉体労働員」
その姿に思わず笑みをこぼしてオルガが返す。
「リリーさんにもよろしく」
「伝えておきます。っていうか、今は半分起動している状態なので、聞こえてはいますよ。起こしましょうか?」
「ううん、わざわざ悪いわ。回りに人もいるしね。じゃあ改めて、リリーさん、本当にありがとうございました。何につながるか分かりませんが、部隊で私にできる事を考えていきます」
ドクの手袋をしている右腕がピースサインをした。
「行くわ」
「あ、いけね、ちょっと待ってください」
笑顔で立ち去ろうとするオルガを、タイミング悪く呼び止めるドク。多少の決心を揺さぶられ、オルガは思わず嫌な顔をする。
「そんな顔をしないでくださいよ、すぐに出ますから……えっと……たしかここら辺に……あった!」
リュックサックから出て来たのは木製で5センチ大の象?独特の形をしているが、どうやら鳥をかたどっているらしい。デフォルメされた姿が可愛い。
「お守りです。古い山岳民族の習慣で、旅の無事を祈る相手に送るんですよ。僕のお手製ですから品質は保証できかねますが、よければ貰ってください」
オルガは受け取ると、指でソレをなぞった。
急ごしらえの感じがしなくもないが、それが逆に温かさを伝えている。
「今度は墜落しないで、離陸した滑走路へ必ず帰って下さいよ」
「あたりまえでしょ。同じヘマはしないわ」
「さすが、頼もしい。それじゃあ……」
「また……ね…」
「そうですね、何かの縁がありましたら、また!」
「また!」
ドクとオルガは広場で別れた。
お互い背を向けて歩いていく。
ふと、ドクは立ち止まり振り返った。
オルガの背中はもう大分離れている。しかし、遠目でも分かる凛とした後ろ姿に、思わず「あんな美人と知り合うなんて、もうないだろうな……」とつぶやいた。
モテない男の条件として「伝えるべき言葉と秘めるべき言葉を間違える」というのがあるが、ドクの場合はそれを地でいっている……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ドクは何とも言えない感情を反芻しながらも広場を去り、いくつかの階段を下りながら先を進んだ。
ブラスコ洞窟の調査を始めて数ヶ月――何度か訪れた街だが、どうも道が複雑で難しい。道行く人に訪ねながらやっとこさ目的地の郵便局にたどり着く。
窓口に座るのは人の良い爺さん。海外へ書類を送るめずらしい客をよく覚えていた。
「おお、教授さん、久しぶりだねえ。ルーベンス大学だったかい?」
「そんな名門大学じゃあないですし、教授でもありません」
ドクはどさっと紙の束をカウンターへ乗せる。
「契約書なんて混じってないよね?別料金だよ」
「ぜんぶ洞窟の調査資料ですよ」
いちおう規則だからさと、爺さんは料金表を取り出してきた。
「5キロ……7キロ……10キロ以下で、行先が……」
ぶつぶつと口に出しながら値段を確認する。
「空輸にするかい?早いよ~」
「そんなに急いで届けなくちゃならない書類じゃあないから陸路でいいですよ」
「そうかい?」
「ええ」
「ほんとに?」
「はい」
「まあいいか。よし、しめて3500エンだ」
「はいはい」
ドクが紙幣をカウンターへ置く。
「まだ調査を続けるのかい?」
「もう調査自体はほぼ終わりなんですが、なんとなく離れがたくて……もう少し滞在するようですかね」
ドクが言うと、おつりを払うタイミングで爺さんは顔を近づけて来た。どうやら耳を貸せということらしい。
「ここ最近、やっこさん達が乗り込んできてる。何をするってわけでもないんだが、国外への連絡はかなり厳しく見張ってるらしい。教授さんも気を付けなさい」
「やっこさん?」
「やっこさんさ」
ドクは考える。
「やっこさん……バルブレアですか」
政情を考慮した結果、オルガの所属するあの国にたどり着いた。
「そうだよ。他に誰が来るっていうんだ。いきなりとっ捕まえるなんて事はしないだろうけど、フラフラするのは控えた方がいい」
「なんでまた?」
「どうも試験中の飛行機が撃ち落された可能性があるらしいんだな。まあ、どうせ言いがかりなんだろうが、その事故だか事件だかの調査の為に一個師団が送り込まれて来たってわけさ。まったく、きな臭くてたまらんよ」
窓口の爺さんは吐き捨てるように言った。
結局、ドクは晩御飯をそこらの酒場で済まし、早々に宿へ入った。爺さんが言っていたとおり、街の中心部にはバルブレアの制服を着た軍人が幾人も目に入った。まるで占領地での光景だが、一応はこの国の了承を受けての派兵らしい。
「爺さんの話、どう思います?」
ドクはリリーを起動させてたずねる。世界情勢に詳しいのはドクなのだが「読み」となるとリリーの力が欠かせない。
『私も同感よ。嫌な感じね』
「ですよね……。爺さんの話が本当だとして、撃ち落された試験機がオルガさんの乗っていたアレだとすると……」
『試験機が他国領土で消息不明になったのだとしても、まず疑うのは墜落でじゃない?試験機なんだから。万が一、撃墜され可能性があったとしても、他国領域だったら文句も言えないわ。それを一個師団なんて……』
「ええ。だとすると、オルガさんの事故を利用された可能性がありませんか?」
『あるわね。調査目的で派兵した軍隊をそのまま駐屯させる……。ホントだとしたらバルブレアは随分と古臭い手を使うのね。マッドサイエンティスト国家とは思えない時代錯誤っぷりよ』
ドクも頷く。
「やり方が強引すぎますよ。っていうか、むしろ強引にならざるをえない状況ってことなんですかね?」
『確かに、そうかも。オルガちゃんが無事ならいいけど……』
「やっぱり、そっちですか」
『彼女が撃墜されたと嘘を言わなければ、彼女の帰還自体が無かった事になりかねない状況ね。ただの墜落ならバルブレアに否があるんだから、口封じをする可能性はいくらでもあるわ』
「あの人、以外と頑固そうですからね」
『助けちゃう?』
リリーは機械だからか、どこか他人事だ。
「憶測で軍隊に乗り込むほど、僕に英雄的思考は備わっちゃいません。彼女の柔軟性に賭けましょう」
常識的な判断はドクの得意分野だ。美人が心配だからといって世界で最も恐れられている軍隊に殴り込みをかけるなんてアホな事はしない。
だが、事態は思わぬ方向へ転がっていく……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「オルガ・タリスカー二尉、入ります」
飛行船乗り場にある管理棟の一室に、オルガは軍隊式の礼式を整えつつ入った。表も外も、バルブレアの兵士で溢れかえっているが、ここはまだポポフである。
「おお、よく帰って来た。君の消息が途絶えたと聞いたときは、流石に取り乱してしまったよ」
わざわざ席を立って迎えたのは若い将校だ。すらりとした長身に、糊の利いた制服。涼し気な眼元と仕草が彼の評価を影で支えている。
「ご心配をおかけしました、ジム・ローゼス騎士長」
オルガの頬が緩む。
自隊の頼れる兄貴分である騎士長がわざわざ出張ってくれていたのだ。試験機を墜落させてしまったパイロットとしては心強い。
「まず座ってくれ、仕事の話は後だ。とにかく、君が無事かどうかを教えてほしい」
ジム騎士長が合図をすると、室内にいた兵士が下がった。上下関係を気にせず喋ってくれと言う軍隊なりのサインだ。
「怪我は大丈夫かい?」
応接用のソファで向かい合うオルガとジム騎士長。軍隊の常識であればオルガが着座することなどありえない。
「ええ。運よく、近くで歴史調査をしている人に助けてもらいましたので、今はこのとおりです」
「それは何よりだ。タリスカー家の令嬢を傷付けたとあっては、君の父上に何を言われるか分からん。ホッとしたよ」
悪戯っぽく笑うジムには嫌味というモノがない。
「そんな――でも、びっくりしました。どうして象鼻まで出てこられたんですか?この国は軍事協定を頑なに拒んでいたと記憶していましたが……」
「君ほどの腕を持つパイロットが消息を絶ったんだ。撃墜の可能性は否定できなかった」
「それで威嚇と調査を目的に、ですか」
「そうだ。多少、仰々しいとは思うが、それほどまで君の価値は高いということだ。自慢していい」
ウィンクする男が気持ち悪くないのは稀有なケースだろう。
「からかわないでください。自分の価値は知っているつもりです」
「そういうな。私が出て来たのは自分の意志だぞ?」
「それは本当に感謝しています。心強いです」
オルガは素直に礼を言った。
騎士団のつながりは強い。
「しかし、山に墜落したまでは分かるが、居合わせた研究者に偶然助けられたとは運が良いにもほどがあるな。人定にあたった兵からはずいぶんと山奥だったと聞いたぞ?」
「はい。象鼻半島の中腹に洞窟があって、そこに描かれている絵や生活の痕跡を研究していたらしいです。私は発掘用の小屋で療養させてもらったんですが、そこはエドラドール政府に調査費を払うと無償で貸してもらえるようで、衣食住には困りませんでした」
「……なるほど。そこで研究していた人はどんな人かな?」
オルガは一瞬躊躇するが、ジム騎士長はすかさず相好を崩す。
「いや、君ほどの美人が、なんだ?その、十日?も一緒に過ごした人がどんな人なのか、男性としては落ち着かないというかだな……」
「ジム騎士長?」
「ははは、上司である私が気にするのも良くはないんだろうが、まあ、部隊のマドンナだったら遠くから懸想するぐらい許されるだろう?」
「もう――」
オルガは困った顔で首を傾げた。
「それでどうなんだ?男だとは聞いたが、まだその小屋に泊まってるのか?」
「はい。でも、街で久しぶりに美味しいモノを食べるって喜んでましたから、今日はここに泊まると思います。まったく――」
思わずこぼれたオルガの不満顔。それをジム騎士長は確実に捉えていた。
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