第5話 ゆるやかな時間

 びっくりするぐらい穏やかな夕暮れである。


 太陽が水平線にオレンジ色の帯を引いて、一日の仕事を終えようとしている。トンビの鳴き声が谷にこだまし、気温がゆっくりと下がってきた。ほったて小屋には明かりが灯り、ストーブにも火が入る。


 部屋は暖かな静寂につつまれていて、沸騰したヤカンのごとごとした音しか聞こえない。ドクは筆をおいて資料とにらめっこをしているし、オルガは在庫が少なくなってきた食料とにらめっこをしている。


「今日はキノコ雑炊にします」

 

 沈黙を破ったのはオルガ。

 ドクが露骨に嫌そうな顔をするが、オルガはお構いなしである。街から離れれば「料理番」は絶対なのだ。


 オルガがここへ来てから今日で3日目――墜落してから6日が経とうとしている。体調も随分と良くなり、手持無沙汰から料理番をかってでた。ドクは、超武闘派現役制服組の彼女にそんな仕事をさせられない(本音としては恐ろしくてさせたくない!!)と反対したが、「一瞥」で黙らされて現在にいたる……。


「文句は?」

「ありません……」

 正直、リゾットはあまり好きではないのだが、やってもらっている以上、文句はいえない。

「では!!」

 腕まくりをしたオルガはナイフを取り出す。頼むから必要以上にクルクルと回さないで欲しいとドクは切に願った。


 オルガは意外にも料理が好きなようだ。ただ、恐ろしい事に本人の自信と腕前のバランスがとれていない。料理の腕前はいたって中の中――なのに、自信は一流シェフ級という残念な状態になっている。

 しかも、面倒くさいことに舌は肥えているらしく、食べる度に首をかしげるのだ。出されているドクとしては、どう反応していいのか分からず、毎度「いや、そんなことない、おいしい(食べられる)」と太鼓を持たなければならない。

 正直、消耗戦である。




 ――一方でオルガ。


 彼女はこれまでの人生において、もっとも穏やかな時間を過ごしていた。

 彼女がここに滞在している(ドクにしてみれば不法占拠らしい)主な理由は、機密事項の隠匿と療養だが、機械の分解等にはリリーの協力をあおがなければ進まないため、一日のうち作業に充てられる時間は3時間程度に限定される。


 ぶっちゃけヒマ――。


 リリーが活動できる時間を使って試験機の分解を行った後は、散歩と読書(ドクの荷物に小説が数冊あった)ぐらいしかやる事がない。ドクの調査にも同行するが、既に実測や記録を終えている段階なので、手伝える事もほとんどない。

 

 う~ん、とオルガはうなる。


 しかし……。


 


 幸福すら感じている。


 この姿を彼女の同僚が見たら目を丸くして驚くだろう。なにせ、「機械人間」と影で揶揄(やっかみ半分だが)されている女なのだ。木々の香りを感じながら目的も無く散歩している鬼軍曹(実際には士官)なんて何かの冗談としか思えない。


 実のところ、彼女自身も驚いている。

 

 仕事をしているドクの背中を、ただボ~っと眺めるのが嫌じゃあない。理想の男性像とは程遠い存在だが、なぜか彼の作り出す間延びした空気感がピタリとはまる。小説のページを止めて、その背中を見入っている自分を発見した時は死にそうになった。


 ああ、こういうのも――。


 と、思ったりする自分に戸惑いつつも……である。


 これまで彼女が倫理観を培ってきた基盤(生家とか、士官学校)では、このような時間の過ごし方は「怠惰」として否定されてきた。しかし、ここではそうするしか過ごしようがない。

 ドク曰く「価値観は土地に定着するものですから、戸惑うのは当然です。大事なのは、何がそこでの生活に有効なのかを『現状』から考えることです。有益だからといって、違う土地の作物をいきなり持ち込んでも芽が出るとは限らないでしょう?そうやって我々人類の始祖は生き残って来たんですよ」らしいのだが、それをまるまる受け入れるだけの地盤を彼女は持たない。


 ただ、なんとなく生き方が一とおりだけではない事を知った。正確にいうとのだが、今、した……。




 そうしてさらに3日が過ぎる。


 

 今日も墜落現場でオルガとリリー(もちろんドクも……)が作業を続けていた。遅々として進まない作業に感じられていたが、ここに来てリリーが声を上げる。(ちなみにリリーの目は義手に数カ所設置されていて、顔を向けなくても視覚情報を取得できる)

『よし、こんなもんでしょう!』

 顔を上げるオルガ。

「え?終わったんですか?」

『まあね。どっちにしろ機体全部を処理することはできないから、未公開技術だけに絞って処理すれば御の字でしょう?それ以上は本国から専用調査団が来て処理するわよ』

「ありがとうございました。リリーさんがいなかったら、ここまで処理できなかったですよ」

 ドクが自分を指さすが、確実に流された。単純肉体労働が軽くみられるのはどこの世界でも同じらしい。

『いいのよん。この時代の技術がどこまで進んでいるのか知るいい機会になったし、何より楽しかったわ』

「エアキャビテーションでしたっけ?」

『うん。なかなか面白い技術ね。でも、こんなデリケートなセッティングじゃあ、水はともかく個体が入り込んだら作動不良を起こすわよ。まったく、テストパイロットを何だと思ってるのかしらね』

「帰ったら進言してみます。どこまで聞き入れてもらえるかわかりませんが、事故は防ぎたいですから」

『伝え方に注意しなさいよ~。下手うつと、怪しまれて終わりよ』

「教えられたとおり、頑張ってみます。『雹』と『推進力』ですよね」

『いい子ね。とあなたの為に幸運を祈るわ』

 リリーの誇りがチラリと覗いたので、オルガは「愚者の騎士団」特有の敬礼で返した。





 二人(三人)は小屋に戻らず、昼食として持ってきていた岩の様な硬さのスコーンをのんびりとかじっていた。街への行程を考え、出発は明日にしようという事になったのだ。


『どれくらいでポポフの街にたどり着けるかしら』

 リリーの質問にドクが答える。

「僕の脚でまる一日ですからね。オルガさんなら病み上がりとはいえ、もっと早く着くかもしれません。街道までなら半日で着くかも?」

『ちょっとあんた、送らない気⁉』

「ちゃんと地図は書きますって。整備された山道ですし、明るいうちなら迷う事もありませんよ」

『信じられない!!相手は軍人で、戦闘力が高くて、料理と人体解剖の違いが分からないけど女のコなのよ!!私にはだいぶ劣るけど美人なのよ!!きっとナイフでクマを撃退するけど女子なのよ!!』

 リリーの怒声が響く。

「なんで自分より強い人を護衛しなくちゃならんのですか。暴漢に襲われても、間違いなく僕なんて足手まといですよ?彼女は荷物もないし、僕の役目なんて話し相手だけですよ?」

『なさけない!あんたそれでも○○○ついてんの⁉』

「だって、この前の話、リリーさんも聞いていたでしょう?肉が足りなくなったから猪を捕まえようかなって言ってたんですよ!シャレになりませんて!猪なんて何キロあると思ってるんですか!!」


「あ、あれは士官学校でサバイバルの訓練を受けた時に罠の仕掛け方を……」

 オルガの声が挟まったのだが、リリーもドクも聞いちゃいない……。


『たしかに、普通の女子はナイフ一本で猪を倒そうとは思わないけれども!』


「ナ、ナイフ一本じゃあなくて!!」

 やっぱり届かない……。

 

「それに、昨日の朝、鷹か何かに襲われて傷付いた鳩がいたんですよ。ああ、リリーさんが休止していた時ですね」

『そうなんだ』

「彼女はそれを見て『あ、ラッキー。お肉発見♪』って言ったんですよ!!『可哀想』とか一言も無しですよ!!やばくないですか!!」

『あぁ~それか~。未婚の女としてはヤバいな~。確かに、台所を預かる立場としては思う所もあるんだろうけど、やっぱりね、順番が必要よね。まず「可哀想」から入って、次に「でも、これじゃあ生きられないだろうから、せめて……」って感じにね、するべきよね~』


「だって、お肉がもうないじゃないですか!限りある材料でも美味しく食べたいじゃないですか!!料理にはコクが必要じゃないですか!?」


「寝言も『突撃~!!』とか『斉射~!!』ですよ?思わず飛び起きて自分がいる場所を確認しちゃいましたよ」

『あちゃ~』

「でしょう?こんな彼女に、モヤシみたいな僕が必要ですかね」

『……まあ、確かに一考の余地はあるわね』


 真剣に悩みだすリリー。

 目をつぶるドク。


 ――間。

 

 涙目になりながら、オルガがおそるおそる手を上げた……。


 その非常事態にリリーがいち早く気付く。

『ど、どうしたのオルガちゃん!!変なものでも食べた?』

 ドクは失礼である。

「ゲっ!どうしたんですか、オルガさん!!目から消化液を垂らしても吸収はできませんよ⁉」


 鼻をすすりながらオルガは声を絞り出す。 


「グス……すいません……こんな女でも傷付くぐらいの柔らかい部分があったりするんです……せめて多少の気遣いがあっても……」


 とりあえずドクは〆られた。


 そして、オルガを街まで送っていくことが決定した――。



 

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