第2話 出会う

 数日降り続いた雨が上がり、ドク・アルドベックは例のほったて小屋から這い出してきた。


 パンパンに膨らんだリュックサックを背負い、つばの広い麦わら帽子をかぶっている。ほどよく色あせた栗色のジャケットとカーキ色のズボンを身に付けて、傾いた眼鏡の位置を何度も直していた。


 地面に広がる水溜まりが空の青を写しこんでいる。葉に溜まった雨水がバラバラと落ちて来た――おそらく、のついた鳥の所為だろう。春も近い。

「さてと……」

 彼は虹のかかっている空を仰ぐと、いつもの道をのんびりと進んだ。決して先を急ぐ道程じゃあないので、濃厚に香る木々の匂いを嗅ぎつつ歩く。


 ほったて小屋があるのは、象鼻半島を中央で左右に分断する山脈の中腹。そこから目的地まではほとんど傾斜のない山道を進む。彼はこの道をえらく気に入っていて「最も贅沢な通勤路」とひそかに呼んでいる。

 なるほど、景観はすばらしい。

 木々の隙間から望む内海の広がり。

 多様性に富んだ植生。

 そして、そこに点在する文明の痕跡――。

 自然と人の歴史が違和感なく混じる景色は、ドクでなくとも美しいと感じるだろう。



 やがて、山道は山脈を形成している岩盤に届く。

 その岩盤には、浸食と人の手によって広げられた横穴があって、そここそが彼の(今の)仕事場である。


 ブラスコ洞窟――。

 昔から「象鼻半島の中腹に変わった洞窟がある」と一部の登山家達には認知されていたらしいが、学会で取り上げられたのはほんの数年前。

 洞窟内の壁画が論文のとおりであったら、人類最初の(少なくとも初期の)象徴的表現となる貴重な遺跡だ。


 ドクは、地面の乾いた場所にひとまず荷物を下ろして準備を始める。

 小さなカンテラを取り出し、画板を首にかけて、メジャーを腰に取り付ける。

 もう何度目か分からない洞窟への調査だが、未だにこの瞬間は心拍数が上がってしまう。何万年という時空を隔てて現れる文明の痕跡に、高揚感が抑えられない。


 準備は良い。

 深呼吸は二つ。

 よし――。

 いざいかん時空を超えた旅へ!

 


 しかし――。



 彼は洞窟に入らなかった。

 

 

 イレギュラーが起きたからだ。


 


「ん?」


 ドクが洞窟へ足を踏み出そうとした時、ふと、けたたましい鳥の声が響いたのだ。ドクは何気なしに視線を鳴き声の方へ向ける。


 獣にでも襲われたのだろうか、鳥の姿は見えない。しかし、ドクはその光景に違和感を覚えた……。


「なんだ?」


 何か黒々とした物体が森の方へ向かって転々と落ちている。生物ではなさそうだが岩ではない。間違いなく前回の調査では無かったものだ。

 ドクはおそるおそるその物体に近付いていく。

 どうやら金属片のようだ。

 鋲の打たれた鉄板が細切れになって散らばっている。ドクは、そのいくつかを無意識に拾い上げた。

「何かの外装か?」

 見上げた空には雲一つない青空。

 少なくとも、今、空から落とされたものではないらしい。

 ドクは金属片に導かれながら森の中へと進んだ。不思議と木々は左右に押したおされて歩きやすい。

「……変だな……」

 ドクの眉間に皺が寄る。

 嫌な予感がする……。

 

 そして視界に飛び込んで来たモノ。

 それは、この森の中では禍々しさすら感じさせる物体――大きく破損した戦闘機だった。

 木々をなぎ倒しながら森へ突っ込み、ひときわ大きいこの木で止まったらしい。むき出しになった内部構造が、巨大生物の内臓を連想させた。


 ドクは思わず振り返る。

 嫌な予感は的中した。

 ブラスコ洞窟の上方10メートルぐらいのところに引っかかれたような傷がついているのだ。おそらく、バランスを崩した飛行機があそこに機体をこすりつけた後、森へ突っ込んだのだろう。


「ああああー!!」


 大声を出してドクは機体に走り寄る。

 彼も悪人ではないので、ここが何もない砂漠だったら人命救助を最優先で考えただろう。しかし、今の彼にはその余裕がない。

「墜落するにも場所を選んでくれよ!!」

 わしゃわしゃと墜落した飛行機の回りを動き回るドク。

 正直なところ、この遺跡の価値は洞窟内に集中していいるので、外側の岩盤を削られようが遺跡の価値に何ら影響はない。ただ、この地を大事に思う者にとって、この光景はショッキング過ぎた。

 半べそ状態で意味のない動きを繰り返す……多少、哀れでもある。



 どれくらいそうしていたのか、ドクもようやく落ち着いてきた。動き回ったおかげ(?)で周囲に点在する遺跡に被害がないと分かったらしい。


 落ち着いてしまえば妙な方向に思考が飛んでいくのがこの男の悪い癖で、機体を触りながらこんな事をつぶやく。


「この機体……変わっているな……」


 彼も男の子時代があったから、当然、飛行機は嫌いじゃない。「まずは人命では?」というツッコミを聞き流しつつ、知的欲求をこの破損した軍事機密にぶつけ始める。

「主翼が随分と後ろについている……こんなんで機体が安定するのかな……機関銃や装備がないのは試験機だからか?……ん、ここからエンジン構造が分かるぞ」

 めくれあがった鋼板からエンジンが覗ける。

「これは……知らない形だな……でも……なるほど……前から入って来る空気を利用するってヤツか?まだ実験段階だと聞いていたけど……すごい……美しいな……」

 夢中である。


 実のところ専門知識は皆無に近い。たまたま同僚にそっち方面の研究をしている人間がいて、多少の講釈を受けていただけ……。ドクが喜んでいたのは、工芸的な美しさによるところが大きい。

 専門ではないのだ。

 夢中になる必要なんてどこにもない。

 お前の目的はそっちの洞窟だろうと、同僚がいたら後頭部をはたかれていただろう。

 

 迂闊なのだ。


 だから、こんなことになる。


「動くな。動けば射殺する」


 いくら鈍感な男でも、この言葉の意味ぐらい分かる。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 オルガ・タリスカー二尉は困惑していた。

 こんな所に人がいるとは思わなかったし、ましてや軍事機密の中でも「赤」に該当する試験機を興味本位で覗き込む成人男性がいるとは思わなかった。

 墜落をどこかで目撃した軍事関係者かもしれないが、それにしても間抜けである。

「両手を上げて、そのまま。よし、ゆっくりとこちらへ……」

 おずおずとこちらを向く男。

 年齢は二十代から三十代くらい。恰好から軍事関係者ではなさそうだが、どうも胡散臭い。

 調査を外注した専門家という線もある。


「ここで何をしている」

 オルガ二尉の質問に、ドクは一度体をビクッとさせてから答える。

「え~と、この近辺の調査をしています……」

 銃を向けながら「よし、殺そう」とオルガは引金に手をかける。

「ちょっと!答えたのに殺そうとしないでください、正直に答えたでしょう!?」

「……何人で調査に来ている」

「一人です。人手のいる作業ではないので」

「持ち帰る物がないと?」

「そういうジャンルじゃあないんですよ。そういうのはもっとアグレッシブな人達に任せます」

「メモくらい残してあるだろう。それはどこにある」

「近くに調査拠点として利用している場所があるので、そこに保管していますが……」

「この短時間で調査拠点まで作っているのか!?随分と手際がいい……」

「借り上げたバラックを改修しただけですよ。まあ調査も大分進みましたし、もうすぐ引き払っちゃいますけどね」

「いつのまに調査を進めていたんだ!?ま、まあいい、そこへ案内しろ。その資料を見たい」

「ええ!?わざわざ資料なんて見に行かなくても、この場で私が説明しますよ」

「!?バカにするな、仮にも私はパイロットだぞ。それぐらいの知識はある!」

「共和国の軍人さんは、すごい範囲まで勉強してるんですね~」

「お前、本当に馬鹿にしているな。よし、そこになおれ。最後の言葉を聞いてやる」

「ちょ、ちょっと待ってください!分かりました、分かりましたから、案内しますよ。だけど、大事な資料なんで汚さないでくださいよ」

「馬鹿言ってるんじゃない!捨てるに決まってるだろう!」

「ええ~!理不尽!!」

「うるさい!貴様が民間人だろうが、軍人だろうが、最高機密を知られたからには放っておくわけにはいかない。命までは取るつもりは無いが、資料は廃棄させてもらう」

「そこまですんの!?コレを調べただけで?」

「当たり前だ。コレを生み出すのにどれだけの年月がかかっていると思っているんだ」

「まあ、百万年ぐらいですけど……」

「……お前、やっぱり馬鹿にしてるな。資料は自分で探すからとりあえずそこに跪け」

「なぜーー!?」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ドクはもう半べそではない。

 ほとんど泣いている。

 だが、それも仕方がないだろう。調査許可を取るところから含めると、まるまる半年間かけた苦労が泡と消えそうなのだ。それも、突然現れた分からずやの軍人のせいで……。

「あの……」

「なんだ」

「考え直してはくれませんかね……」

「くどい。無理な物は無理だ。だが、水と食料を分けてくれれば命は助けてやる」

 横暴である。

 だが、背中に銃が突きつけられている以上、ドクに拒否権はない。

 一瞬、「振り向きざまに飛びかかったら何とかなるかな?」とも思ったが、間違いなく肉体派ではない自分を思い出して諦めた。相手は軍人――いくらアドバンテージがあっても勝ち目はないだろう。

 それにしてもと、ドクは振り返る。

「なんだ?前を向いて歩け」

「いや……大丈夫ですか?」

 オルガの方は歩くのもしんどそうだ。

 真っ黒なアイシールドが付いているヘルメットをかぶり、口元はフェイスマスクで覆われているため表情は全く読めないが、なんかもう全身から「もう駄目」感がにじみ出ている。

 まあ、墜落機を操縦していたのだから負傷しているのはあたりまえなのだろうが、それにしても危なっかしい。小柄で細身の身体が左右に揺れている。

「休みますか?」

「イヤ……いい。そろそろか?」

「もうちょっと。あと5分程です」

「そうか……」



 銃口を突き付けられる人間が、突き付けている人間を気遣いながら歩くというシュールな絵面で、二人は何とか例のほったて小屋にたどり着いた。

「つ、着いた~?」

「本当に大丈夫ですか?」

「へ、平気……じゃないかも……」

「じゃあ、資料を持って来ますんで、待っててくださいね。もし、内容を見て心変わりするようでしたら処分しないでくださいね」

「……ん…」

 息も絶え絶え。喋るのも億劫といった体で片手を上げる。


 ――いけるかもしれない。


 ドクは一人で小屋に入ると、整理してある資料を片手に持ち(大事な資料は床下に隠した)、密かに武器を「起動」させた。できれば怪我人に攻撃するなんて所業は遠慮願いたいところだが、背に腹はかえられない。

 研究のためである……。


「お待たせしました……って、ええ!ちょっと、大丈夫ですか!?」


 外に出ると、パイロットさんが地面に転がっている。

 一瞬、「埋めちまうか」という黒い思考が襲ってきたが、何とか踏みとどまり、小屋に運び込んだ。


 取り敢えず拳銃を隠して――。

 これで拒否権は復活するはずだ……。

 ヘルメットを取って――。

 髪が長い(うっとおしい)……うおっ、まつ毛長いな……。

 マスクも取るか――。

 ん……なんか……全体的に……その……髭とか……ない……な?


 ドクはこのタイミングで初めてオルガを女性と認識した。

 

 こうなると鈍感というより、注意力の問題かもしれない。

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