言の葉の呪

最近、僕のことを心配して「しっかり休んで」とか、「ちゃんとご飯たべて」と言ってくれる人が複数いる。とてもありがたい。

金銭的にきりつめる必要がある時、真っ先に切り捨てるのは食費だった。自分が何時間かの空腹を我慢すれば浮くお金、本を買って読んだほうが大変な価値になる。そう思ってよく昼食を抜いた。夕食を抜いた。そして、体調を崩した。

10月、11月と、寝込む日が多かった。それまでは、少しの風邪もひかない丈夫な体だったのに。

「ゆっくり休んで」「ごはんたべて」と言われ続けると自分の中にその言葉が浸透する。言われたその時は意識していなくても、仕事を片付けるために無理して夜更かししようとした時、お金がなくてご飯を抜こうとした時、ふとその言葉たちが思い出されるのだ。いや、「思い出す」というほどはっきりしたものでもない。なんとなく、自分は今寝なければならないしご飯をたべなければならない。そんな気持ちになって、そのあとの行動が規定される。

実際に眠くて仕方がないとか、そう言ってくれる人たちに余計な心配をかけたくないとか、そういう理由ももちろんあると思うけれど一番大きな理由は「言の葉」なのだと思った。




言の葉とは呪である。




何年か前の正月、親戚でごはんを食べていた時のことだ。たしかうなぎ重だった。次から次へとろくに噛みもせずぱくぱく飲み込んでしまう祖父に、母や祖母が「ゆっくり食べてくださいね」と声をかけ続けていた。僕はそれを聞きながら自分のぶんを食べる。


「お父さん、ゆっくりたべてくださいね」

ひとくち。

「そんなに早くたべないの」

  ひとくち。

「食べるのはやすぎですよ」

  ひとくち。

「よく噛んでから飲み込んでください」

  ひとくち。


祖父にむけられた言葉なのに、僕の食べるスピードは遅くならざるをえなかった。みんなが食べ終わった時、僕は自分の分の半分も食べ終わってなかった。遅く食べるように促す言葉を聞きながら食べていたら遅くなった、と言ったら笑われた。




笑い事ではないのだ。これに似たようなことが、しかしこれよりも遥かに大きな規模で、時間感覚で起き続けている。言の葉は僕の中に染み込み、蓄積され、行動を縛る。同様に、僕のふとした言葉が誰かの中に染み込み、蓄積され、縛る。意識していなくてもそれだけの威力があるのだから、僕の言葉が誰かに「刺さった」場合、その言葉の持つエネルギーはどれほどか。

教訓めいたことを口にするようになった。知識を得ると世界の見え方が変わるとか、面白さの反映率を高められれば人生が楽しくなるとか、知らないままに生きていくのはあまりにも気持ちが悪いとか。真理だと思って吐き出す言の葉の頼りなさを、僕はあの4ヶ月間で誰よりも実感したはずだった。それなのに懲りもせず、或いは当時の痛みを忘れて、無責任な言の葉を撒き散らすようになった。そして「感動した」と、「刺さった」と、そう言われるたびに喜ぶのだ。僕の言の葉が誰かを縛り得たことに、そうとは気付かず喜ぶ。気づかぬふりをして喜ぶ。なんて恐ろしい、とも思えなくなってしまった。その変化は成長か退化か?そんなことはどうでもよろしい。僕自身が変化に取り憑かれた人間で、僕を変化せしめる有象無象を愛しているからで、つまり僕は愛されたいのだ。








1年前、年の瀬に立った僕はこんなことをいつものノートに書きつけた。

「変化は痛い、だがそれを受け入れずして何が『生きる』だ。」

変化に魅せられた。必ず苦しむと、ちぎれるほどの思いをすると確信しながらも、1年前の僕はその道を選んだ。


先生はこう書く。

「憎むべきは一つ処に安住しようとした僕の意志だ。だがそれを願わずして、何が『生きる』だ。」


出藍の誉れ。僕が安住を嫌う理由は、この短い文章にあるのかもしれない。





形だけ畏れて何になるというのだろう。鈍ってしまった神経では、言の葉の鋭さを感じることなどできないというのに。楽になりたいと願い続けた結果がこれ。猛省すらできなかった僕にできることなどないのだ。

安心して呪をかけ続ければ良い。いつか蓄積に苦しめられる日が来た時、過去の自分を憎めば良い。このツケはちゃんと育ち続けているだろうから。

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