第11話「暗闇」

 ファミレスの酸素が少し薄くなったような息苦しさがあった。さっきまで明るかった店内の照明が落とされたような、そんなひっそりした暗闇が僕の足元に迫っていた。コップに入ったメロンソーダは氷が溶けて薄い緑色になり、その向こう側に僕の知らない話をしている上家の顔が見える。この間は天使に思えたのに今日は死神に感じる。不吉なことを伝えに来た闇からの使者がそこにいた。


 彼女は入院していた。怪我ではなく病気。しかもその病気は命に関わる白血病という大病だった……。彼女の両親は広島の被爆者で、おそらく白血病は遺伝によるものだということだった。原子力に何も興味を示さず、チェルノブイリも遠い世界の出来事だった僕の頭の上に原子力爆弾が落ちて来た。あんなものを作った人間に初めてはっきりした憎悪を向けた。そして自分で管理できないものを作り出してしまう人間の愚かさ、自分を苦しめるものをわざわざ作る人間の不条理さを嫌という程感じていた。僕は心がただれるほど落ち込んで、上家の言葉を聞きながらバラバラになりそうな希望を必死でかき集めていた。だけど、いくらかき集めても希望の形にはならなかった。

 1年も会ってなかったけれど、僕の頭の中では毎日365日、小泉香織ちゃんがイキイキと笑っていた。運動神経も抜群で浅黒くて、バスケ部の真ん中でいつも元気を撒き散らしているような女の子だった。そんな子と白血病なんていう言葉は何一つ繋がらない。僕はただただ混乱していた。現実の話とは到底思えず、何度も頭を振った。ファミレスのメニューも、薄汚れた壁も、シャンデリアと呼ぶには質素な照明も、全てがグニャリと捻れているように思えた。何度も上家に「大丈夫?」と言われ、その度に意識を取り戻しているような状態だった。鏡に映っている自分は顔も真っ白で、真冬の山に取り残された遭難者のようだった。隣でたまたま聞いていたクラスメイトのイガこと五十嵐もびっくりしていた。僕らは三人でお見舞いに行くことを約束した。とにかく早く会いたい。それだけを上家に伝え、小泉香織ちゃんのお母さんと連絡を取ってもらうことにした。


 同窓会からの帰り道は、全く想像していなかった気持ちを抱えて歩くことになった。悲惨な高校生活で見ていた世界よりも、さらにどんよりとした街並みが目の前に広がっている。一歩ずつ歩くたびにガラスが足元で割れたように感じた。そしてその割れた破片が僕の胸に突き刺さる。いくら血を流しても血は止まらなかった。自分に出来たことなんて何一つないのに、意味をなさない後悔だけが胸の奥に広がり、絶望を絵に描いたような表情で家に辿り着いた。

 家に入っても一言も喋らなかった。そのまま自分の部屋に行き、ギターも弾かずに僕はベッドに潜り込んだ。これ以上の悪夢はあり得ず、必要以上の暗闇の中、僕は目を閉じていた。体が自然に震え出し、体の奥底に眠っていた信じられない量の涙がこぼれ落ちた。僕は枕に顔を押し付けて声を上げて泣いた。月の光も入らない暗い僕の部屋には、しゃくり上げる泣き声だけが響いていた。そして何もできない自分を呪った。傷つけるものが自分しか見つからず、闇雲に自分を責めた。僕の中に未来も過去も無くなった。そして今も無くなっていた。

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