第4話 人知を超えた焼肉食べ放題とは

「さみー」


 日曜の昼。道場で、ネコは制服の上からジャケットを着こんで、部屋の隅でガタガタ震えながら転がっていた。


 今日は練習日ではなくて、単に道場が空いているから来ただけだ。鬼先輩サラさんも、奇跡的に入部してくれたアリスちゃんもこない。が、しかし。そこで久々にやらかしてしまった。


「ごめん……」


 窓の枠に組んだ両腕をかけて、雪が降り始めてる舗装道路を見つめながら5枚着込んでる私が答えた。


「ぜってーゆるさねー」


 ごろごろと転がりながらネコが答える。


「だって、まさかあんなに足が上がると思わなかったのよ。普段、跳び上段蹴りなんて練習しないでしょ?」


 私が片手で頭を抑える。


「うるせー」


「大体、跳び蹴りがどこまで届くかって言ったのネコじゃない!」


 立ち上がって振り向き、放心しているネコに両手を広げて弁解を続けた。


「エアコン蹴っ飛ばせなんて言ってねー」


 ネコが半目を天井に向けて言い返す。


「はずみだったのよ!」

「さみー」

「わざとじゃないのよ!」

「さみー」

「ついなのよ!」

「さみー」


「ああもう! わかったわよ! 今日も誰も来てないから練習はなし!」


「よし」


 ネコが突然立ち上がった。


「立ち直りはやいな!」

「死ぬほど肉食いに行こうぜ!」


 これが花も恥じらう17の乙女のいう事であろうか。しかし反論する気にもならないし、業者は月曜まで来ないのだ。着替えて外に出た。


 風が強い。白いものが横に流れている。いつの間にやら冬だ。やんでくれないかなあ。神奈川では雪は珍しくて綺麗だけど、やっぱり寒いよ。


「寒い寒い寒い焼け死ぬ。早く肉食いに行こうぜ」


 凍え死ぬと焼肉が混ざってるが、指摘する気にもならんくらい寒い。


「でもあんたがケーキバイキングじゃないの久々じゃない?」


「空手家は牛にきまってる。空手バカ一代のモデル大山倍達が素手で牛を倒したのを知らないのかよ」


「食べるのと関係ある?」


「ここにしようぜ。看板がうまそうだし食い放題だぞ」


 聞いちゃいねえ。


 しかしそれはそれとしてとにかく店に入った。勇んで座り、肉と野菜とお菓子を運んでくる。まあ、私も楽しいのは楽しい。


「じゃ、焼きますかね」

「久しぶりだなー焼肉」


「ジュースで乾杯」

「へいおつかれー」


 少なめにと思ってたのに、なぜかテーブルの隙間は完全に消えていた。お腹すいてるしたくさん食べちゃえ。その分動けばいいや。


「前に行ったのいつだっけ」

「えーと先々月じゃね」


「あー、秋季新人戦でマキちゃん出た時ね」

「横浜創覚館の新関にわけわからん右3連続食らって負けたやつな」


「あの詰められてから出す右の連打、どうすれば避けられるのかしら」


「肉が足りねえんだよ。肉食え肉」

「肉食べれば勝てるかしらね」


「不安なら肉以外も焼いてやろう」

「こらっ、オレンジやライチを焦がすな!」


 ネコに放り込まれた果物を取り出し、定番のカルビとロースを焼いた。一気に網が見えなくなり、そして燃えた。


「いまだ! 素手で火の中の肉を取れ!」

「できるか!」


 あわてて肉を皿にあげながら火を止める。


「そんなマンガなかったか?」

「孤独のグルメ?」


「あれは火力発電所にかちこむ話だろ」

「そうだっけ。中途半端にしか思い出せない」


「まああたし様もアームロックしか覚えてないけどな」


 骨のついたカルビを鋭い犬歯でバリバリかじりながらネコが言った。


「あんた肉しか食べてないわね」

「目に優しいからベリーブルーも食べてるぞ」


「そんな食べ物ないから」

「目がすごく青い異人さんになる」


「ウソつけ。そういえば、パンチもらいすぎると本当にタヌキみたいに目の周り青くなるらしいわね」

「それ空手じゃなくてボクシングの話だ」


「あんたボクシング詳しいんだっけ」

「蝶のように舞い、鉢植えでぶん殴る」


 無視して肉を噛みしめた。美味しいなあ。この店当たりだ。


「ボクシングも強そうだしクマも倒すのキツそうだし。世の中倒さなきゃならんもんが多すぎるよなー」

「クマと並べてどうするのよ。クマは何やっても無理よ」


「どうやっても無理かね?」

「絶対無理。この牛全部食べても無理」


「豚も食べなきゃダメか」


 ネコがいつのまにか山のようなカルビを食いきって、今度は豚トロを5枚一度に焼いてる。


「豚食べても無理。あんたパンチ出すのにどのくらいの時間かかると思う?」

「どのくらい。突きは初動含めて0.2秒の壁を破れって言われるよな」


「そ。つまり逆に言えば、ここからそこまで数十センチのパンチ出すのに、0.2秒弱はかかる。クマはこの時間を3メートル以上ジグザグに進むわよ」

「う……」


「打撃の威力は物理学では正確には測れないから相対的な話をするわね。クマを一発でしとめるのは難しいと言われたマタギの村田銃でも、警察官の拳銃よりは威力がある。空手家のパンチと警察の拳銃、どっちが効果あると思う?」

「いや、それは……」


「次に体格の話。成獣のヒグマ、つまり学名ウルスス・アルクトスを想定した場合ね。北海道で偶然出会うのはオス250キログラム、メスは100キロ〜130キログラムくらいで考えとけばいいと思う。こっちも女だし、相手もメスだとするわね。私のベスト体重は57キロ、ネコが49キロ。格闘技は30キロの体重差があればまず正面から当たって勝つことはできない」


「後ろから殴ればどうだろう。にゃあって言いながら」


「にゃあって言わない方がいいと思う。あと、後ろから近づいた時ってそもそも四つ足よ。お尻殴っても倒せないわよ」


「うーん、目つぶしやればいけないかな」


「入らないと思うわよ。メスでも立ち上がったときに体長1.8から2.5メートル。飛び上がって目突き入れたことある? 私はないわ。普段から練習してない技が入るわけがない。やるなら後ろから首に組み付いてまぶたこじ開けて、目玉をつかんで引き抜くしかない」


「よくそんな残酷なこと思いつくな」

「やめさせたいから仕方なく言ってるの」


「じゃあいよいよ最後の手段、金蹴りか」

「メスっていってるでしょ」


「う……じゃあ、オスで」


「戦闘中のクマの睾丸は体内に入るので股間蹴っても無意味」


「マジかよ!」

「私も知ったときガクゼンとしたわ」


「ひえええ女子の最後の希望が」

「最後の希望が金蹴りとか女としてどうかと思うんだけど」


「いやいや今のはマジでびっくりした」


「そもそもネコ、クマの手見たことあるの? 私は登別に行ったときにあるわ。ボウリングの球みたいよ。針みたいな毛の生えたボウリングの球。そこから包丁が5本飛び出てるの。それをぶんぶん振り回してくる相手よ。女子高生がなんかできると思う?」


「もう、わかったよ」

「わかったでしょう」


「無理だな」

「そう。無理なのよ」


「もっと練習しないとな」

「うん」


「レバー食べたら勝てねえかな」

「ホルモンのほうがいいかも」


「それまだ焼けてない」

「あ、さんきゅ」


[続く]

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