第2話 人知を超えたクマ退治とは

「なぜ、どうして、誰も来ないのか!」


 授業が終わって勇んで空手着を着てみれば道場はすっからかん。いきりたつ私に向かってネコが当然のように言った。


「金曜日だからだろ。みんな勉強したり遊んだりしてるんだって」


「練習は週6であるのよ!?」


「だから誰も来ないんだよ、こんなブラック部活。そもそも強くなるほど帯の色が暗くなるってひどいよな。白から茶、そして黒って明らかに闇落ちじゃん」


「武道の帯制度を根本から否定したわねあんた」


「というわけで帰ろうぜ」


「帰りません! 着座黙想正面に礼お互いに礼準備体操は省略円になって!」


 ネコの両肩をがっしりとつかんで座って目を閉じて開けて頭を2回下げて立ち、アホと向かい合う。ここまで3秒。神棚の鹿島大明神に怒られるかもしれない。


「2人だけで円って言うかね」

「いいから用意!」


「もう号令とかいらなくね?」

「いちいちうっさいなもう!」


 今年こそインターハイと流派の大会で優勝して、私の名前も全国に知れ渡る予定なのだが、どうにも練習量が少ない。なにしろ毎日練習に付き合ってくれるのがネコしかいないからだ。


 他の部員は週に2回来ればいい方で試合にもめったに出ない。そんなわけで、なんとかこのアホを活用しないといかんのだが、悲しいかなこいつはアホだ。


 まあいい。まずはやらねば。


「ネコ、突きの間合いでの裏回し蹴り練習してみよ。初っ端で3ポイント取りたいのよ。今年のインハイで高杉中央がやってたわ」


「裏回し威力出ないからなあ。クマ倒せるかねえ?」


「クマより先に人を倒すこと考えてよ」


 こいつに空手をやる理由を聞くと、常にクマを倒すとしか帰ってこないんだが、なんで人間じゃないものを相手にしたがるんだろう。本当にネコ科なんじゃないだろうか。


 空手のイロモノ的なあつかいはよろしくないと思う。昔はケンカの道具や曲芸みたいに言われたけれど、空手は立派なスポーツだ。次のオリンピックでも空手が採用されたし、今がメジャーなスポーツになるチャンスなのは間違いない。


 が、意気込みはあるのに部員がこない。いや、正確にいうと、見学は次々に来るのだが入部してくれない。


「あのー」


 他の部員はユーハとネコが悪いというのだが、こんな親切で美人で淑女の私になんの問題があるんだ。おかしい。悪いのはネコだけだ。


「あのー」


 私の欠点は胸がないところだけだ。あと赤点3つ取って地区予選にすら出られそうになくて、補習で泣きつく羽目になったところくらいだ。他には一つもない。


「あのー」


 ああ、やはり実績がないから信頼されないのだろうか。たしかに今年の地区大会では一発目でいきなり常勝の横浜創覚館にぶち当たって言い訳もできないくらいボロ負けしたけど! でも私の相手は全国優勝したんだぞ! ネコは強豪の横須賀学館倒したけど、その後の2回戦で集中切らしてゼロポイント負けだったじゃないか!


 くそう来年は横浜も横須賀もネコもまとめてぶっ飛ばしてやる!!


「あのー」


「ええい、私が悲しい夏を振り返っているところを邪魔するんじゃない!」


「えええっ?」


 見慣れない顔が目の前に。かわいらしい灰色のボブ。ちっちゃい。緑のブレザー、茶色いチェックのスカート。中等部の制服だ。誰だろう、この子。


「えーと、その、見学したいなーって声かけたんですけど」


 ははっ、とほっぺたをかきながら目を細めてその子が言った。


「うわあ大変だ入部希望者だ! 椅子とお茶とお世辞とまともな部活に見せかける準備!」


 ばたばたと空手着をならしながら飛び上がった。


「本音が漏れてるぞー」


 ネコがパイプ椅子とチョコを持って道場の端に置いた。


「えーと、中等部でも見学いいって聞いたんですけど、いいですか?」


 にこやかにその子が言った。


「あ、うん。3年かな? 空手やったことある?」


「いいえ、全く初心者です」


「そっか。まあとりあえず見て行ってよ。できそうならすぐ参加してくれていいし、本格的に始めるのは高等部からでもいいよ。名前は?」


「高橋ありすです」


 彼女は靴を脱いでそろえると灰色の髪をふわっとなびかせながら入ってきて、ぺこりとお辞儀をした。かわいいだけじゃなくて素直そうだ。体格は……普通。運動得意かなあ。でも中3ならしっかりやれば化けるかも。


「そうかそうか。まあすぐ始めようぜ。もうジャージだしこっち来いよ。道場に入る時と出るときはオスって挨拶してくれ」


「わかりました。オスってどういう意味ですか?」


「ハイとかイイエとかぶちのめすぞとか、まあいろんな意味だ。わかったか?」


「おーす」


 素直にアリスちゃんが道場の中央にとことこと入ってきた。ネコ、頼むから変なことは教えないでくれよ。すでに片鱗が見えてるけど。


 私たちは道場の中央に今度こそ円になった。


「さてとネコ。ドン引きされないようにごまかす方法とかある?」


「ユーハのそのダダもれの本音はどうにかなんないのか? とにかく自己紹介をしよう。吾輩はネコである」

「本名から言いなさいよ」


「なむあみだぶつなむあみだぶつ」

「はしょりすぎよ! 夏目漱石に謝れ!」


「あとこいつはあたし様のおまけでユーハという」

「おまけって何よ失礼ね」


「なむあみだぶつなむあみだぶつ」

「殺すな! あとせめて空手の話をしろ!」


「わかったよ。じゃああたし様がこの部活を簡単に説明してやろう。いいかアリス。3ヶ月もやってれば相当強くなるから、そっから先は努力次第だ」


 ネコがらんらんと目を輝かせた。


「えーと、なにがですか?」


 キョトンとアリスちゃんが口を開けてネコを見つめる。ネコが腰に巻いた黒帯をぐっと締め直した。


「まず、学校が終わったらここに来るだろ」

「はい、ここにきます」


「強くなるだろ」

「はい、強くなります」


「人知を超えた強さを手に入れるだろ」

「はい、手に入れます」


「で、最後にクマを倒す」

「クマを」


「一撃で」

「一撃で」


「チェストー!」


 ネコが軽快に右手を振った。風を切る音が道場に響く。


「わかったな?」


 あたしのショルダータックルがネコを突き飛ばした。


「な、なにすんだよ? 空手について基礎から教えてたのに!」

「デタラメもそこまで言えれば立派よ!」


「じゃあお前がやれよ」


「そうねー、じゃあさ。アリスちゃん、空手ってどんなイメージだった?」


「えーと、パンチとかキックで戦う組手と、1人でいろんな動作をやる型っていうのがあるって聞いたんですけど」


「そっかそっか。嬉しいわね、ちゃんと調べてくれて。それで合ってるわ。じゃあネコ、私がフォーム教えるから前に立ってなんか技の見本やってよ」


「わかった。よしいいかアリス。実は空手にはパンチやキックよりいい技があるから、そこから教えてやろう。これで痴漢も一撃だ。まず左手で髪の毛をつかむ。指を開いて生え際から差し込んで握るとやりやすいぜ。それから右手の親指と人差し指、中指の指先を集めて、目玉をざっくり」


 私のひじ打ちがネコのみぞおちに命中した。


「な、なにすんだよ!」


「何と戦ってんのよ! そもそも痴漢でも目玉潰したら犯罪者でしょう! クマじゃないのよ?」


「空手って、どうすれば勝ちなんですか?」


 アリスちゃんがクリクリとした目をパチパチさせて聞いてきた。


「いい質問だ。相手を殺したら勝ち。簡単だろう?」


「殺したらダメに決まってるでしょうが!」

「そんなルールあったか?」


「いちいちそんなルール作るわけないでしょうが」

「空手は一撃必殺っていうしいいじゃないか。審判が見てなきゃ大丈夫だろ」


「プロレスか! てかプロレスだってダメでしょ!」


「んー、じゃあ目的はなんなんですか?」


 アリスちゃんがめげずに聞いてくる。天然なのかぜんぜん引かないけど、このままじゃいつかボロが出る。困ったな。


「とにかく、この部活のおっきな目標は試合と昇段と」

「クマ殺しよ。一緒にがんばりましょうね」


「口調まで真似して邪魔すんな! クマは今冬眠中! せめて春まで待ちなさい!」


 ネコを足払いで転がして追っ払う。


 そこで、アリスちゃんから飛んでもない発言が飛び出した。


「クマが好きなんですね」


 ひょいと立ち上がったネコと一緒に、今度は私も一緒にのけぞった。


「どこをどうすればそう見えるのよ!」

「そうだそうだ! 大抵のものは恐れないあたし様でもクマだけは別なんだぞ!」


「だって、クマの話ばっかりしてるじゃないですか」


「冗談じゃないわよ! 怖いし危ないし大嫌いよ! なにいってるの!?」


「いいか、落ち着けアリス! このあたし様がクマについて教えてやるからよく聞けよ! クマってのはな? ク、ク、クマってのはな? 身長がこんなで体重もこんなで、鋭い牙と爪がこう、こう、そしてこうなんだぞ? 恐ろしい! なんと恐ろしい! わかるか? わかったか?」


「わかりました!」


「いや、わかってない! なにもわかってない! お前はこれからクマについて真の恐ろしさを」


「いいえ、入部することにしたんです。面白そうだし!」


「えええっ?」


 ネコと2人、もう一度飛び跳ねた。


「なんで今ので入る気になったの?」


 目を丸くしてアリスちゃんに聞く。屈託のない笑顔がくずれない。なんだこの子。ネジが飛んでるんじゃないだろうか。


「だって、面白い先輩がいて楽しそうじゃないですか。空手教えてください! アリスもクマが倒せるくらい強くなりたいです!」


 畳に膝たちになって、ネコと2人、肩を組んで向かい合う。


「ネコ、どうしようこいつアホだ」

「せっかく来た奴にアホとか言うなアホ」


「どうしよう、適当にだまして普通の空手だけ教えようか」

「聞こえるからもう少し小さい声で言え」


 気を取り直して立ち上がり、こほんと一つ咳払いをする。


「えーと、わかった。じゃあ仮入部で。服はジャージでいいわ。空手着はお小遣いに余裕できてから、白帯と一緒に買ってきてね」


 自分で言っててなんだが、今日初めてまともなセリフをしゃべった気がする。


「クマ倒すと黒帯なんですか?」


「そうだぜ」

「ちがうわ」

 

[続く]

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