オキザリスのせい
~ 十二月八日(金) 放課後 保健、美術、物理 ~
オキザリスの花言葉 母親の優しさ
「テスト、おわったのー! もう、一生勉強しないのー!!」
「それは言い過ぎだけど、気持ちは分かります」
金曜日三時間目。
テストの終了を告げる鐘の音と共に席を立ち、窓を開け、大声で外へ向けて叫び声を上げたのは
それ、やりたい。
実に真似して叫びたい。
でも、俺は君と違って今日も持ち歩いているからできないよ。
君がいつも家に置いて来ちゃうもの。
理性。
今日は軽い色に染めたゆるふわロング髪をつむじの辺りにお団子にして。
それをピンク色のオキザリスで埋め尽くしている。
小さい、可愛いオキザリスの花。
そんな豪快に咲くわけでは無いのですけど。
もっと優しい感じのお花なんですけど。
台無しに見えるほど大量に挿さっているのです。
さて、そんな穂咲の歓喜が皆さんにも伝染したようで。
至る所から上がる大声。
にぎにぎしく、楽しい雰囲気で満たされる教室。
でも俺としては、テストが返却されるまで羽目など外すことはできないのです。
「さて道久君! 約束を叶えてもらうのぎゃふん!」
「ちょっとは落ち着きなさい。勢いよく突っ込んでくるからヘッドバッドなんかすることになるんです」
おおいてえ。
でも、穂咲はぶつけた頭も気にせずに、俺の手を掴んでぐいぐい引っ張り出す。
君は痛くないの?
勉強のし過ぎで痛覚無くしちゃった?
「好きなところ連れてってくれる約束なの! 一分一秒でも惜しいの!」
「おいおい。まだテストが戻って来てないっていうのに……」
痛むおでこをさすりつつ文句をつけてみたら。
膨れるならともかくががーんって驚いて。
絶望のどん底みたいに肩を落として鼻をすすり出した。
ああもう、分かりましたよ。
だからクラスの皆さん、声をそろえて泣ーかしたの大合唱はやめなさい。
「で? どこに行きたいの? 連れて行ってあげるから言いなさいよ」
俺の言葉に、ぱあっと輝くタレ目に涙なんか浮いてない。
泣きまねとは知恵をつけやがって。
でもどうせ、行きたいって言い出すところはバカみたいなとこなんだろ?
想定、想定、想定。
……健康ランド、グローブジャングル、電車の運転席、アリの巣、……よし。
準備万端。何でも来い。
「……まだ行きたいとこ決まってないの」
「その返答も余裕で想定の範囲内です。じゃ、駅まで歩きながら考えますか」
そう言いながら席を立つ俺を、まるで小バカにするように椅子に座る穂咲。
鞄を開くと、中に詰まっていた教科書を机に放り込み始めた。
「テストが終わったとたんに勉強放棄なの?」
「だって、鞄が重いの」
言われてみれば、いつからだろう、君の鞄は真ん丸だよね。
いつも俺が持たされるお料理セットのリュックの他に、一体君は何を持ち歩いているのやら。
ちょっと興味が湧いたので。
ちらりと覗き込んだらびっくりするような物が目に入って来た。
「栄養ドリンク? いくら勉強頑張ってたからって、そんなの飲んでたの?」
「あたしじゃないの。多分、ママが入れたの」
……そうか。
心配してないふりを装って。
おばさん、心配してたんだな。
あとからあとから、穂咲が、入れた覚えが無いのと言いながら引っ張り出すもの。
お守り。
毛糸の靴下。
小銭入れ。
マスク。
カイロ。
……ちょっと目頭が熱くなった。
すると穂咲は机の上に並べた品を見つめながら。
優しく微笑んでぽつりとつぶやいた。
「こんなの入ってたら、重いに決まってるの。でも、嬉しいの」
そうだね、嬉しいね。
おばさんは、ほんとに穂咲が大好きだからね。
……でもさ、鞄、まだ丸いよ?
ちょっと失礼と断ってから手を突っ込んでみると、いやはや出るわ出るわ。
防犯ブザー。
携帯用電池充電器。
発煙筒?
……こっちのはなんだ?
「スタンガン!? これ、持って歩いていいの!?」
「重いの」
「いや、重いというか。めちゃくちゃだな! どうやって入ってた?」
元に戻せないぞ俺。
「……きっと、ママに心配かけてたの」
そうか、あの時のことか。
前に、ひったくり犯を追いかけたことがあったからね。
いつも飄々としてるおばさんが、あんなに怒って。
君の事をひっぱたいて。
でもきっと、不安でしょうがないんだろうな。
おばさんの優しさを机一杯に並べて。
幸せそうに一つ一つ手に取って。
そして穂咲は、俺を見上げてにっこり微笑んだ。
「一番行きたいところ、決まったの。一緒に来るの」
……「行く」でも「連れていけ」でもなくて。
その場所に「来る」、のね。
じゃあ、俺がそこですることはひとつかな。
店番だ。
この三週間、ずーっと心配してくれてたおばさんと。
優しく見守ってくれたおばさんと。
今日はゆっくり楽しくお話ししなさい。
……そんな鞄の一番底に入っていたもの。
一通の茶封筒。
そこには「試験は無理だと諦めそうになったら開きなさい」と、おばさんの綺麗な文字で書いてあった。
俺が封筒を手渡すと、穂咲はすうっと涙を流し。
鼻をすすりながら封を開いて。
きっと幸せに繋がる架け橋となるであろう、一通の書面を取り出した。
……もちろん俺は、その婚姻届けを取り上げてビリビリに破り捨てた。
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