カトレヤのせい


 ~ 十二月六日(水) 放課後 OC、情報、化学 ~


   カトレヤの花言葉 理想郷



「あ・き・や・まぁぁああ!!!!!」

「許してください! 俺は何にも悪くないけど、許してください!」


 テストは午前中で終わっちゃうけど、毎日お昼ご飯を作るからねと張り切って言ってたくせに。

 すっかり忘れてたと言いながら、顔見知りのキッチンを勝手に借りている迷惑女、藍川あいかわ穂咲ほさき


 今日は軽い色に染めたゆるふわロング髪を頭のてっぺんでお団子にして。

 そこに最も有名な洋ラン、カトレヤを一輪突き立てている。


 薄紫の大輪。

 豪快で派手な花びら。


 試験の都度、試験官がいちいちカンニングペーパーでも仕込んでいるのではと確認しなければいけないとか、迷惑千万なのです。


 ……まあ、今が一番迷惑なんですけど。

 俺、滅多にカンナさんに肩組まれないけど。

 これが筆舌しがたいほど怖いのです。



「この忙しいランチタイムに邪魔なんだよ!」

「だったら本人に言ってくださいよカンナさん」

「本人がてこでも動かねえからてめえに言ってるんじゃねえか!」

「まあまあ、カンナ君、落ち着いて……」


 落ち着いてって。

 もともと、あなたが穂咲にキッチンを譲ったんじゃないですか。


 この緊急事態にもいつも通りな店長を怒鳴りつけようとしたカンナさん。

 いつものあほんだらを飲み込んで、深いため息をついたまま黙ってしまった。


 ……よく、大人に叱られて悔しい思いをしている時。

 「叱られている間が幸せなんだよ」とか声をかけられて。

 余計もやもやした気持ちになっていたけども。



 すっごくよく分かる光景を目にして、背筋に冷たいものが走った。



「できたの! 店長さん、キッチンお返しするの!」

「てめえ、バカ穂咲! 損害分の金払え! あと材料代!」

「まあまあ、いいじゃないか」

「まあまあじぇねえぞこのあほんだら! とっととバーガー焼け!」


 店長、ひいとか叫び声を残して走って行ったけど。

 さっき悟ったんだ。

 俺は優しい笑顔を浮かべながら、店長さんへ声をかけた。


「あほんだらって言ってもらえてよかったですね、店長」

「ええ!? ぜんぜん良くないよ秋山君!」


 ああ良かった。

 さあ、穂咲のご飯を食べて、明日の準備をしなくちゃ。

 家庭科と数学Aはなんとかなると思うけど、古典がたいへん不安なのです。


 それより穂咲はどこ行った?

 店内を見渡してみたら。

 ランチタイムだというのに珍しく出しっぱなしになったお座敷席でおばあちゃんと談笑しているんだけど。


「こら穂咲! ダメだよお前!」


 おばあちゃんと話し出すと、平気で三時間は座りっぱなしになる。

 早く理想郷から引っ張り上げないと。


 そう思って、慌ててお座敷に駆け寄ってみたら。


「あれ? 教科書開いてる」

「じゃあ、思しやりつるもしるくって? シルクなんて、昔もあったの?」

「想像したよりって意味よ」

「どういう文法なの?」

「さて、文法は分からないけどね。にゅあんすで覚えちゃったから」

「にゅあんすなの?」

「にゅあんすよ」


 おばあちゃんが寄ってたかって物語を説明していくと、穂咲は面白い面白いと喜びだす。

 そして、あっという間に教科書の文章をそらんじ始めた。


「……予想外。凄い強力な講師陣」

「懐かしいわねえ。女学生の頃に戻った気分」

「じゃあまたね、お嬢ちゃん」


 おばあちゃんたちが席を立ったので、入れ替わりに座敷へ座って。

 穂咲が差し出すバーガーをかじりながら教科書を眺める。

 そして何度も文面をそらんじる穂咲に感心した。


「すごいや、おばあちゃんのおかげだな。一字一句間違ってないなんて」

「簡単なの」

「あとは文法だけおさらいすれば完璧だな」

「それはいらないの」


 ……え?

 変な事を言い出した穂咲をにらみつけたら。

 飄々とバーガーをかじりながら、教わったばかりの言葉を口にした。


「にゅあんすなの」

「逆効果!」


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