ツルバキアのせい

 

~ 十一月二十八日(火) 放課後 保健室 40% ~


   ツルバキアの花言葉 残り香



 俺は間違っているのか?

 でも、穂咲が進級できなくなるのを放っておくことなどできやしない。


 苦悩、心労。

 勉強も手に付かず、かと言って眠れるはずもない。


 そんな晩を過ごしたんだ、当然か。

 授業中、めまいがしたかと思うと、次の瞬間には保健室で横になっていた。



 ……そうか、倒れちゃったのか、俺。

 ついこの間は風邪をひいたし。

 情けないな。


 カーテンレールにかけられたハンガーにズボンが干してあるけど。

 まさか俺、ぱんいち?


 いや、Yシャツは着たままみたいだ。


 タオルケットの中身がどんな有様になっているのか確認していたら、カーテンが音を立てて開いた。


「あ、起きたの? 大丈夫?」

「なんのプレイだよ。Yシャツにパンツとか、マニアックが過ぎます」

「見慣れているのに、ちょっとしたアレンジで大興奮なの」


 頭痛い。



 病人へさらなる精神的ダメージをくわえるこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき

 サイドで結んだ髪に、アガパンサスを少し小さくしたような薄紫の花が揺れる。


 ツルバキア。

 綺麗で可愛いらしい花なんだけど、ニラの仲間だからね。

 香りがちょっときついです。


 でも心配かけちゃっただろうし。

 無下に出て行けとも言えません。


「もう放課後?」

「そうなの。帰れそうならカバン持って来るの」

「……ちゃんと勉強してた?」


 俺の質問に、目を逸らしてカーテンをくしゅっと握る姿で返事を表してるけども。

 ダメじゃないか。


 ……昨日の事があって、穂咲は勉強をやめてしまったようなのだ。


「あれ、嫌なの」

「嫌って言い方ないでしょう。気持ちは分かるけど、ちゃんとやりなさいな」

「千歳ちゃんのシチューはこぼしちゃうし、道久君は無理して倒れちゃうし」

「そうは言ったって、今頑張らなきゃ進級できなくなっちゃうよ?」

「でも…………、なんだか、みんなの事が見えなくなるの。あれ、嫌なの」


 カーテンを手繰り寄せて体に巻き付けて。

 不安なんだね。

 


 …………穂咲を傷つけて。

 周りの人を傷つけて。


 やっぱり分からない。

 俺は、間違っているのだろうか。



「…………そういう訳にはいきません。あとちょっとの間だから頑張りなさい。その間は、俺が周りに気を配るから」

「これ以上大変になったら、また道久君が倒れちゃうの。嫌なの」


 うーん、困った。

 過労で倒れるって話を持ち出されると二の句が継げなくなる。


 穂咲はどんどん不安になっていくようで。

 今度はベッドからタオルケットを引っ張って体に巻き始める。



 ……俺はもちろん、そんな穂咲を叱りつけた。



「これはパンツマンの最後の砦! 取っちゃダメですよタオルケットちゃん!」

「でも、なにか巻いてないと不安なの」

「丸見えになるわ! 勘弁してくださあああああ! 俺のズボンまで!?」


 ブラックホールなの?

 なんでもかんでも吸い込んで巻き付けだしたけど。


 カーテンも外れちゃいそう!

 そんなに巻き巻きしちゃダメ!


「分かった分かった! じゃあ、家で勉強しよう! 学校じゃ遊んでていいから!」


 なんたる本末転倒。


「家? いやなの。だってママのお手伝いの修行しなきゃいけないし、ドラマも見なきゃいけないし」

「家か学校。どっちかを取りなさい」

「どっちも無理なの」

「つべこべ言わずに家になさい。その方が、すべてが丸く収まる」

「どういう意味なの?」

「だって穂咲がおばさんの手伝いしても、おばさんの仕事が倍になるだけだし」


 …………うん。

 人類の顔って、さすがにそこまで膨らむようにはできてないと思ってた。


「道久君のバカ―!」


 ぱんぱんに膨れた穂咲が、カーテンやらタオルケットやらを巻きつけたまま保健室を飛び出した。

 ああ、もう。

 カーテンレールから留め具を全部外しちゃうとか、普段は非力なくせになんて馬鹿力なのさ。


 …………………………。


 道久君のバカ、か。


 そう、俺はバカだ。

 あいつはずっと、倒れた俺のそばにいてくれたんだろう。

 ツルバキアの香りと共に、いつもの穂咲の香りが残っている。


 親切にしてくれた穂咲を傷つけて。

 それでも勉強を強要して。



 ……俺はバカだ。



 でもね、本当のバカは君だよ。

 君のせいで、俺はまた一つ伝説を生み出すことになるじゃないか。



 ……この日、妖怪・パンツ男の名がほとんどのクラスの学級日誌にイラスト付きで書かれることになった事実を、俺は目と耳と心を閉じて、断固として受け入れることはなかった。


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