デンファレのせい


 ~ 十一月二十七日(月) 四時間目・調理室 80% ~


   デンファレの花言葉 わがままな美人



 ぴんぽんぱんぽーん♪


「あー、藍川担当。藍川担当。すぐに調理室へ行け」


 ぴんぽんぱんぽーん♪



 ……俺の人生は、普通の皆様と比べてかなり変わっている。

 そんなことはとうの昔に自覚しているけども。 

 ここまで変な呼び出しを受けた経験がある人は、世界中どこを探してもいないだろうね。


 ざわつく工作室を後にして。

 女子しかいない調理室の扉を開く。

 すると、家庭科の先生が困惑顔で出迎えてくれた。


「秋山君。ちょっと不思議なことが起きてて……。これを食べても平気かどうか判断して欲しいの」

「意味が分かりません」


 手渡された器によそわれていたのは、最近食べ飽きているクリームシチュー。


 でも涙目になっている先生の頼みを断るわけにもいかなくて。

 俺はため息と共にシチューを一口すすり。

 ……そして、これを作った犯人をあっという間に言い当てた。


「穂咲! 何をぶちこんだらシチューがてりやきバーガー味になるんだよ!」


 マヨ成分は納得いかなくはないけども。

 甘辛い醤油の風味とレタスの食感はどこに隠れているの?


 そんな大魔法を鼻歌と共に唱えるアルケミスト。

 こいつの名前は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は低い位置でお団子にして。

 そこにデンファレの花を三房挿している。


 鈴生りに咲いて、赤と白が複雑にグラデーションするデンファレの花。

 そんな美しい花を揺らしながら、古典の教科書に顔をうずめているけども。


 まったく、今日はなにをぶち込んだの?


「先生、これは食わないことをお勧めします。穂咲と同じ班の皆さんについては、具の色形で評価してあげてください」

「じゃあ、藍川さんの評価は?」

「そこには、どうぞ情状酌量をお願いしたく……」


 深々と頭を下げる俺を見て、調理室が笑いで満たされる。

 そのうち何人かが周りに寄ってきてフォローしてくれると、先生は苦笑いを浮かべながら頷いてくれた。


 ……がり勉モードの君の邪魔はしたくない。

 でもそのせいで酷い目に遭ったよ。


 がっくり落とした肩を、バシバシ叩くやつがいる。


「そんな顔してんじゃないわよ秋山! 幸せが逃げちゃうっしょ!」


 彼女は日向さん。

 ちょっとわがままな、今時美人さん。


 隣のクラスに好きな男子がいると声高々に宣言しているせいで、クラスの誰もアタックしやしないけど。

 元気で可愛いから、彼女に憧れている奴は多いんだよね。


「日向さんはいつも元気だね」

「そうよ! 元気が有り余ってる勢いで、これから健冶君に告りに行っちゃうんだから! この気合を込めて作ったシチューでイチコロっしょ!」

「ちょっと! 千歳だけで作ったわけじゃないでしょうに?」

「ほんとよ。健冶君があたしのこと好きになっちゃったらどうする気よ」

「あたしが一番愛情込めたから大丈夫っしょ!」

「食材はなーんにも込めてないけどね!」


 またも調理室が笑い声で満たされる。

 彼女の周りは、いつも笑顔で一杯だ。


 そんな微笑ましい空間に鳴り響く終業のベル。

 あれ?

 だれもシチューを食べてないけどいいのかな?


 ……ああそうか。

 四時間目に調理実習ってことは、お弁当と一緒にこれを食べようってことか。


 よく見れば、テーブルの上にお弁当を出す人が何人もいて。

 でも、日向さんと同じようなことを考えていた女子も何人かいるようで。

 器を手に、そわそわと席を立つ姿がちらほら見て取れる。


 微笑ましいし、羨ましい。

 男子もきっと、教室でそわそわしているに違いない。


 でも、君には関係なさそうな話だね。

 ほら、みっともないから。

 シチューをスプーンですすりながら教科書読むのやめなさいよ。


「お前はお昼ご飯どうする気? ここで作る?」

「……カバン、教室なの。取りに行かないと……。それより今日中に範囲を全部終わらせて、もう一度おさらいなの……」

「いや、そこまでしないでいいよ。ちょっとペースを落とそう」


 さすがに心配になってそんなことを言ってみたけども。

 穂咲はふるふると首を横に振って、古典の本に顔をうずめたまま席を立った。


「二宮金次郎か」

「にのみや たかのり。天明七年生まれ。報徳仕法により各地の財政再建を行う」


 だれだこれ?

 ……穂咲らしくない。

 この間の、もやもやとした気持ちが再び湧き上がって来る。


 ふと気付けば、俺を冷たく見つめる宇佐美さん。

 そんな目で見ないでよ。

 テストが終わるまでの事だから……。


「きゃあ!」


 急に上がった叫び声。

 慌てて振り返ると、お尻を突いて転んでしまった日向さんの姿が映った。


 そんな彼女の制服に、お盆へ乗せていたシチューがひっくり返しに落ちている。

 本を開いて歩いていた穂咲が、彼女にぶつかってしまったのだ。


「千歳ちゃん! ごめんなさいなの!」

「これ……。健冶君にあげようと思ってたのに……」


 制服にかかったシチューを見つめた彼女は、そう呟いたきり泣き出してしまった。


「あたし……、どうしたら…………、うう……、ひえええええん!」


 一緒になって、穂咲も声をあげて泣き始める。

 ああ、なんて酷いことになってしまったのだろう。



 …………やっぱり、俺は間違っていたのだろうか。

 普段の穂咲なら、決してこんなドジは踏まない。


 いつも周りに気を配り、誰かの為になることだけを考えているから。

 そんな穂咲の視野を閉じてしまったのは、間違いなく俺だ。



 泣きじゃくる二人に、俺は意を決して近付いて。

 そして心からのお詫びをした。


「日向さん。穂咲が周りに目がいかなくなっちゃったの、俺のせいだ。…………済まなかった」


 固唾を飲んで見守る皆の前で、深々と頭を下げる。

 すると日向さんはぴたりと泣き止んで、眼をぐしぐし擦りながらあっけらかんと笑顔を見せた。


「別に秋山のせいじゃないっしょ! ……って、あちゃ~! 穂咲がえらいことになってるの、あたしのせい? もう泣かないでいいから!」


 頭を掻きながら起き上がった日向さんが、ボロボロに泣く穂咲の頭を撫でる。

 すると穂咲は、日向さんの胸に顔をうずめてしがみついた。


「何やってるのよ穂咲! シチュー付いちゃうっしょ!」


 日向さんが慌てているけども。

 ふるふると首を振って、ひっくひっく泣く穂咲は離れようとしない。



 ……制服を洗濯するから二人ともおいでと先生が手を差し伸べる。

 零れてしまったシチューを、渡さんがかたずけ始める。


 想いを込めて作った料理。

 それが台無しになるなんて。


 胸が苦しい。

 でも、そんな辛さを豪快に吹き飛ばす大声が俺の背中をバシンと打った。


「気にしない気にしない! また次のチャンスで必ず落としてみせるから!」

「ありがとう。でも俺、なにかできること無いか?」


 しがみつく穂咲をぶら下げたまま、うむむと腕を組んだ日向さん。

 ニヤリと笑って、耳慣れた台詞をかけてくれた。


「じゃあ秋山! 廊下に立ってるっしょ!」

「…………ほんとにありがとう」


 そして彼女は俺にひらひらと手を振って。

 いつまでも泣き止まない穂咲の手を引いて、調理室を後にした。


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