キンバイソウのせい


 ~ 十一月二十四日(金) 一時間目 50% ~


   キンバイソウの花言葉 気品



 縁が焦げて、がびがびに硬くなった目玉焼きを。

 幸せそうに頬張る笑顔が忘れられません。


 そんな味覚音痴な女の子、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪が、今日は実に大人っぽい。

 細やかな編み込みとゆったり三つ編みの複合技で、肩から前に垂らしている。


 そして本日、穂咲の髪を彩るのはキンバイソウ。

 名前の通り、まるで梅のような形状。

 金色と称されるほど鮮やかな黄色。

 これが野に咲く姿は、花言葉の通り品位があり、気品に満ちている。


 大人っぽい髪形に、品位あるお花。


 ……でもね。

 それを頭の上に一本突き立てられましても。


 ここまでバカに見える組み合わせはあり得ないとすら感じるのです。



 さて、本日一時間目は自習になりました。


 ざわつく教室ではありますが、そこは試験前。

 分からないところを質問して。

 問題を出し合って。

 半分くらいは真面目に自習しているようです。


 お隣の席からも、ぶつぶつと教科書を音読する声。

 大変いい傾向です。


 でも。


 猛勉強開始から一週間。

 すっかり勉強漬けの生活をしているせいで、だんだん集中できるようになってはいるのですけど。


 その姿勢、なんとかなりませんか?


 集中すると、君はなぜ猫背になるのでしょう。

 そしてこの姿勢の時は周りの事がまったく耳目に入らないのはなぜでしょう。


 まあいいか。

 穂咲がせっかく一人で集中しているんだ。

 俺も自分の勉強をしよう。


 実を言えば、俺だっていつも赤点すれすれだし。

 頑張らないと。


 見ないで引いた教科書を読もうと鞄をあさる。

 すると顔を出したのは物理の本。


 ……うん、無かったことにしよう。


 大の苦手を鞄に戻して英語Ⅰの教科書を開く。

 と、同時に。

 すぐそばの席から、痛いと叫ぶ声が響いた。


「どうしたの、神尾さん」

「うん、編み棒で引っ掻いちゃった……」


 神尾さんの手に握られた、見たことないタイプの編み棒。

 そこに付いた鉤爪みたいなので怪我をしたようだ。


「大丈夫?」

「うん。でも絆創膏切らしてて。保健室行ってくる」

「絆創膏なら穂咲が……」


 俺が猫背っ子に声をかけようとするのを慌てて止める神尾さん。

 集中してるからそのままにしてあげてと言い残して席を立つ。


 …………うーん。

 いくら集中してるからってそりゃあないぜ、穂咲。


「あたし、こんな穂咲は好きじゃないな」


 そんな声に振り返ると、机の前に宇佐美さんが立っていた。


「うん。ちょっと冷たいとは思うけど、集中してるんだからしょうがないよ」

「そんなことさせる秋山はもっと嫌い」


 うそん。

 見た目がヤンキーっぽい宇佐美さんが言うと本気で怖いからやめて。


「でもさ、赤点になっちゃうかもだから。進級できなくなるかもだから」

「そうだね。なんで学校には試験なんてあるんだろ」


 誰しも口にするセリフだけど。

 宇佐美さんが言うと、どこか哲学的な感じがする。


「そりゃあ学校だし。勉強するのと、それを評価するのは普通じゃない?」

「この子は学校で覚えるべきことをすでに理解していると思うけどね」


 え?

 そりゃどういう意味さ。


 いぶかしむ俺をよそに、宇佐美さんは穂咲の頭をぽんぽんと撫でる。

 それでも頭をあげないとか。

 どんだけ集中してるのさ。


「だから、この子がやりたいと思えない勉強なんかする必要無いと思うんだ。きっと必要な物だったらちゃんとやる」

「まあそうだね。穂咲、目玉焼きに行き詰まったら自分で勉強しそう」

「だろ?」

「でも、それじゃ進級できないし……」


 宇佐美さんの言いたいことは分かるけど。

 もっと目先の心配があるわけで。


 この、猫背どころか肩だけ突き出して首を前に出して、下唇を尖らせる女の子。

 なんとか進級させてあげたいんだ。


 俺の視線にようやく気付いたよう。

 穂咲は変な姿勢のまま、こっちに目を向けて小首をかしげる。


「なに?」

「……穂咲。姿勢がぶっさいく」

「ひにゃっ!? ……こほん。気品ある姿になるの」


 今更背筋を伸ばしても。

 ほら、宇佐美さんも笑っちゃってるよ。


「ちょうど昨日勉強したの。マリー・アントワネットなの」

「どの口が言いますか」

「あ! レイナちゃんだ! なに?」

「今頃気付いたんだ。……邪魔したね。がんばんな」


 そう言い残して右隣の席に戻る宇佐美さんに、俺を挟んで話しかける王女様。


「レイナちゃん寂しそうな表情なの。ケーキを食べると良いの。道久君、このケーキを渡して欲しいの」

「ケーキなんて学校に持ってきてたの? ……女王陛下。これ、グミ」


 ケーキじゃないし。

 しかもそれ言ったの、マリー・アントワネットじゃないって話だし。


「ふふっ。……いただきます、女王様」

「なんで寂しそうなの?」

「……秋山のせいかな」

「酷いよ」


 ちょっと嫌味な感じの笑顔で俺を見る宇佐美さん。

 やめてください、ほんと怖いから。


「そうなの? じゃあ道久君。罰として立ってるの」

「ふざけるなです」

「そりゃあいい。女王様、この者を島送りにしてしまいましょう」

「おおセントヘレナ! ナポレオンなの! 採用!」


 なんという傀儡政権。

 しかもナポレオンが島送りにされた頃にはとっくに処刑されてるでしょ、君。


 でも、宇佐美さんが穂咲を見つめる目にはいつもの優しさが見て取れるし。

 穂咲も久しぶりにいつもの感じに戻ったし。


 逆らえるはずなどない。

 ええ、いいですとも。

 立ってますとも。


 そこは当然セントヘレナ島などではないけども。

 女王陛下は、俺に廊下で生涯を閉じろとおっしゃるのでしょうか?



 英語の教科書を片手に席を立って。

 そして、ふと思う。


 ……穂咲に勉強を強要していること。

 俺は何か、間違ったことをしているのだろうか。


 胸にチクリと痛みを感じながらドアを開く。

 そんな廊下は、冷たい空気で満ちていたのだった。


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