農作姫の野望

@ichiuuu

第1話 ヒカリ―ヌの暴走は続くよどこまでも

【農作姫の野望】


 エスパーニャ王国。ヨーロピアン大陸西の外れに位置するこの国は、世界でも有数の食糧輸出国家であった。主に輸出するのは小麦で、渇いた気候と少ない雨に、稲作は向いていないと言われ久しく時経っていた。財政はさほど豊かではなかったが、代々コシ王家の見事な政治的采配により平和な世が続き、赤煉瓦の荘厳な街並みや穏やかな人心は燃えることなく今日まで至った。また同じく、平和の世にハイテクノロジーな文明も育ち、国民は童話の登場人物のような穏やかさと、文明の利器を併せて持っていた。

 さて、そのコシ王家の住むサーニシキ城。白亜の壁に尖塔をいくつもそびやかした、美しい古城である。そこに住まう王族の中でも、第五王女ヒカリ―ヌの美しさはことに褒めそやされてきた。齢十六になるその姫の顔の造作は限りなく整っており、体格的にも恵まれ、どんなドレスも都雅に着こなした。民が憧れるブルネットの髪は高く結い上げられ、青い瞳は澄んで、凪いだ湖面のように見える。

「ヒカリ―ヌ姫―!」

 その彼女を今、年老いたばあやが探している。オリエンタルな柄の絨毯を踏みしめて、白髪のばあやが部屋をあちこち覗いている。

「ヒカリ―ヌ姫、一体どちらへ……」

「ここよばあや」

「ひいっ」

 ばあやは思わずのけぞった。姫は天井裏からにょきりと顔を出したかと思うと、猫のように優雅に落ちてきた。

「ひっ姫様、一体何をなさっておいでで」

「あらばあや、決まってるじゃない。大好きな小説を静かな場所で書いていたのよ。また読んでみる? イケメンと美女が織りなすラブコメディ! 身分違いの二人が恋におち手に手を取って駆け落ちするのよ!? 我ながら傑作を生み出してしまって怖い程だわっ」

 はああーとばあやが深く嘆息する。この姫は昔っからイケメンやら駆け落ちやらアグレッシブなことが好きなのだ。前も城を偶然訪った美しい旅人の一人に目を留めて、メアドを訊きに隣の国まで追いかけていったことがある。一度決めたらやり遂げる、超行動派の、超面食いの美女。それがヒカリ―ヌ・コシなのであった。  

「で? ばあやどうしたの? 珍しく焦った声音で」

 執筆作業に使うパソコンを閉じ、ヒカリ―ヌが小首を傾げると、ばあやは。

「い、いいえ、何でも」

「何よ。言ってみなさいよ」

「いえ、それが、例の婚礼を迎えるお相手の王子のことで……」

「ああ! ウオヌーマ・サン王子ね!」

 途端にヒカリ―ヌは瞳を輝かせた。この婚礼は無論、世間の慣例に漏れず政略結婚だ。相手の王子は外つ国の第三王子で、美々しく麗しく優雅な男だと聞いている。

(ふふ、自撮り画像を見たけど、なかなかにイケメンだったわ! そんな方と政略ながら結婚出来るなんて、ぐふふ作家魂が騒ぐわあ!)

 ――しかし、往々にして現実は甘くない。

「そのウオヌーマ王子なのですが」

「ええ」

「どうやらその、そんなにイケメンじゃない、との話で」

「えええええっ」

 たしなみも忘れ、姫は思わず叫んでいた。

「どういうことよばあや! あの父上が超イケメンだから安心しろと言ったのよ!? 」

「そんな首根っこ掴んで揺らさないでください! 首がもげそうです! いえ、侍女のミシェルが、直接見たら雰囲気イケメンにも満たなかったと……太っていて、よだれを垂らしていて、好色そうな……まるで豚かのようだったと」

「ミシェル情報なら確かじゃないの! なんてこと! 父上は私を騙していたのね!」

「ひっ姫、落ち着いて下さい! まだ分かりませんし、何かの間違いかも……」

 目をまるで大海に泳がせるばあやへ、さらに姫はまくしたてる。

「いーえ! ミシェルと私は十年来のメン友(面食い友達)よ! そのミシェルが言うなら本当よ」

 姫は急ぎ自室にこもり、十分後には手鞄一つで部屋を辞した。主を失くした華美な部屋の中には白い紙きれが一枚。

【探さないでください】


 そんなこんなで姫は気持ち悪い男との結婚を逃れ出奔。城下の人ごみに紛れ、歩き続けた。どこかに行くあてがある訳ではなかったが、彼女はとにかく行動しなくては気が済まない。それに、彼女の小説家気質はこんな時にもいかんなく発揮される。

(待って。もしかしたら!)

 こうしてとぼとぼ歩いている私に、

『大丈夫かい可愛い子猫ちゃん。俺が道案内してやろうか?』

 と声をかけてくるイケメンがいるかも分からない。それがもしかしたら暗殺されたはずのどこぞの王子で――。

「きゃー!! そんな展開もたまらないわあ!」

 と、顔を真っ赤に染めて姫が萌えあがった時、彼女の足は既に町を抜け農村地帯に入っていた。

「あ、あら? ここはどこかしら」

 町でどこか宿を探す予定だったのに、足の赴くまま妄想のたぎるままここへやってきてしまった。周りは見渡す限りの青い空と小麦畑。   

とりあえず町へ戻るはずの一本道を辿ってみたが、いつまで経ってもあの煉瓦の町並みは戻ってこない。次第に雲行きは怪しくなり、非常食の金平糖も残りわずかに。

「ど、どうしましょう……あっ」

 ふらりっ

 疲れと緊張に、足がもつれて転んでしまった。針のような雨が頬を容赦なく打つ。そのまま姫は意識を手放した。


 パチ パチ

 薪の爆ぜる音。

「ん……?」

 姫が再び目を覚ました時、彼女はまず梁の出張った黒々とした天井を見た。半身を起し、あたりを見回して耳を澄ます。十字の窓からは夜闇に吹きすさぶ風の音。飴色の床に、自分はシーツをかけられ寝かされているらしかった。その向こうには人影があった。眼をこらしてみる。男はちょっとお目にかかれぬような、浅黒い肌の凄まじいイケメンであった。

「お、起ぎたか。大丈夫かおめ」

 言葉はひどく訛っていたが。

 しかしイケメンには滅法弱い姫のこと、ましてや倒れた自分を介抱してくれたこの青年に、悪い感情を抱くはずがなかった。

「あ、あなた、私を助けてくれたのね。どうもありがとう。私はヒカリ―ヌ。あなたは?」

「俺はダンベールさ呼ばれてる。熱はねえか? 見たところ体に傷はねえみてえだな」

「へっ」

 この一言に、ヒカリ―ヌはたちまち赤面した。彼女は王族ゆえ、素肌など侍女にしか見せたことがなかったのだ。

「あ、あなた、私の体を見たの!? まさか、指一本触れなかったでしょうね!? 」

 意を察したダンベールが苦々しい顔つきで言う。

「安心しろ。怪我がねえか転がしてみただけだ。大体俺、そんな貧相な体に興味ねえし」

「やっぱり見たんじゃない! もう、なんて人なの!」

「ほら、とにかくこれ食え。うめえから」

「な、何よそれっ」

 スプーンにはなにやら見たことのない白い何かがのっぺりくっついている。

「いやよっそんなまずそうなものっ」

 頬を紅潮させ、じたばたするヒカリ―ヌの腕をとり、ダンベールが姫の口にスプーンを突っ込んだ。

 ムッシャ ムッシャ

姫は何度か咀嚼した後、ぽつりとつぶやいた。

「……あら、美味しいわ」

「だろ? 俺が育てたんだ。東方のコメってやつだ。もっと食うか?」

「頂くわ」

 モシャモシャと姫は椀三つ分をたいらげる。

「ええと、ダンベール、これは何なの?」

「抵抗を示したわりにめちゃくちゃよく食ったな」

 くしゃっと、ダンベールが笑った。

(……!)

 その笑顔にヒカリ―ヌの胸は早鐘を打つ。

(ま! 私ったら……)

 そんなヒカリ―ヌの戸惑いにも気づかず、この逞しい農村の青年は説明を始める。

「これはコメっつってな。東方では主食として育てられてる。この地方では雨も少ねえし、土地もかてえし、小麦の方がさかんだが……」

 そこでダンベールは、美しい琥珀の瞳を暖炉の炎に煌めかせ言った。

「だが俺は、こいつを育てて、いつか国中にこのうまさを広めてえ! 必ず俺はやり遂げてみせる! それが俺の夢だ!」

(ま、まあ!)

 このダンベールの告白に、ヒカリ―ヌはいたく心を動かされた。今までも散々イケメンは見てきたが、ひどく無気力であったり、たらしであったりして、ろくなものはいなかった。ましてやこんな風に夢を語る男なぞ、到底お目にはかかれなかった。

しかしこのダンベールという青年はどうであろう。イケメンで努力家で、夢があって頑張り屋で、そのうえ農作業によって鍛えられたその体はムキムキだ。こんなイケメンには、今まで出会ったことがない!

 沈黙するヒカリ―ヌの様子に、ダンベールはなんだか気恥ずかしくなって、ちょっとおどけてみせた。

「はは、国中に広めるなんて大言吐いちまって、おめは笑うか」

「……いいえ」

(私、初めて男を本気で好きになったかもしれない)

 そうまで思い至った後の姫の行動は素早かった。しどけなく崩していた足を正し、瞳をきらきら輝かせ、

「おっおわっ」

 ダンベールの固い農夫の手を取った。

「な、いきなりなんだおめ」

「ねえ、ダンベール。私をここに置いて頂戴」

「は? そりゃおめの体調が戻るまでは……」「そうじゃなくて」

 ヒカリ―ヌの両眸が熱意に潤んで光を放つ。

「ずっとあなたのそばに置いてほしいの!」

「え? いや、それって……」

 逆プロポーズ!? ダンベールは美しい少女からの求婚に内心かなり戸惑ったが、すぐに冷静になり、姫をちらと一瞥して、告げた。

「……ふん。そんなひらひらしたドレス着たおめに、稲作農家できっと思ってんのか」

「出来るわ!」

 姫はダンベールの手をより強く握って、口調にさらに熱を込める。

「私、あなたのためならやり遂げてみせる!」

 そんな彼女の情熱にほだされたか、ダンベールはぼそり、

「仕方ねえな」

と横顔で頷いた。


 それからダンベールによる姫のための熱血指導が始まった。姫はもんぺ姿になり、ぬかるんだ田に足を入れ、青々とした稲の苗を手植えする。

「こらー!! ヒカリ―ヌ! おめっ、腰がなっちゃいね! もっと腰さ沈めねっきゃダメだ! けつが濡れることを恐れるな!」

「こらー!! おめ、どこさ見て稲さ手植えしてる! おめの植えたあとミステリーサークルみたいになってるぞ!」

「苗は縦にしたり横にしたりしないで、頼むから整然と植えてくれ……一生のお願いだ……」

 初めての経験とはいえ、様々なアクシデントを起すヒカリ―ヌへ、説教する元気も失せてきたダンベール。

 ためしに自作の田植機に乗せてみても――。

「いいかヒカリ―ヌ。この青のスイッチを押してからハンドルを」

「ブーン!!」

「こらー!! 猛発進すんなあほー!!」

 ヒカリ―ヌは田植機を勝手に発進させ、そのまま田に突っ込んで機械一つをまるまるぶち壊す天災っぷりであった。

 ◆

 さらにダンベールを困惑させたのは、姫が近所の農家のおばちゃんたちと親しくなっていったことだった。最初は物珍しさに田を見に来ていた農家の面々が、お互い大根とコメを交換したり、彼女の小説を読みに来たりする。小説のタイトルは【美しすぎる農家、ヒカリ―ヌの夫とコメへの愛】。なぜかこの本はどっかんどっかん周囲に受け、おばちゃんたちの中で二人はラブラブ夫婦と位置付けられた。ダンベールがためしにヒカリ―ヌの小説を読んでみる。

『ダンベールは疲れ果てた体を引きずり家へ帰った。家のソファーではこの上なく美しい妻がしどけなく眠っていた。彼は彼女をお姫様だっこしてベッドに運び、小一時間その美々しい顔を見つめていた』

「変態じゃねえか! こらあヒカリ―ヌー!!」

「あっバレた逃げなっ」

ヒカリ―ヌは田植機で逃走を試みたが、すぐにダンベールに捕まりこんこんと説教を受けた。

そんな日々が三週間と続き、憔悴しきったダンベールはいよいよもって、彼女にあることを言わんと決意を固めていた。

(おし、今日こそいわねっきゃ。もうおめに、稲作は無理だと……)

 大体最初から想像はついていた。あんなひらひらしたドレスを纏う、蝶のような女が、地に足をついて田植するなど、土台無理な話だったのだ。

(なのに、何で俺はあの女をここまで置いちまったのか……)

 あほでドジで飲み込みが悪く、隙あらば人をネタに小説を書く、夢の国の住民のような少女。けれどその実、見かけより根性があって、頑張り屋で、笑うと可愛らしくて、なんだかほうっておけない。

 外は小雨がさあさあと白糸を引くように地に降り注いでいた。――ふと、田んぼに人影が揺らいだような気がした。ダンベールは目をこらした。なぜかこの雨の中、ヒカリ―ヌが田んぼにいるではないか。慌ててダンベールは裸足で外へ駈け出した。

「ヒカリ―ヌ!! おめ、何やってんだ!」

「あらダンベール、ごきげんよう」

 その美しい顔には泥がねばつき、せっかくの艶のある髪もぼさぼさだ。それでも彼女の笑顔は青空のように清々しかった。

「今雑草を抜いていたところなの。ほらダンベール言ってたじゃない? 田は一日にしてならずって。だから私、頑張ろうと思って」

「ヒ、ヒカリ―ヌ……」

「私、最初はあなたの美しさに惹かれて、農家になろうと思ってた。けど、今は違うの。朝食でコメを食べるたびに、あなたが一生懸命コメを育てている姿に、あなたのことも、コメのことももっと好きになったわ。私もあなたの力になって、もっとコメを広めたい。大好きなあなたと作った美味しいおコメを、あなたと一緒に広めていきたいの」

 この姿と言葉に、心打たれたダンベールは、「ったく」

とヒカリ―ヌを横抱きにかかえた。まるでいつも彼女の書く小説の中で主人公がそうするように。

「きゃっ、ダンベール、汚れるわよ!?」

「別にかまわね。風邪でもひかれたら厄介だ。とっとと家ん中さはいっぞ」

「……! はい! ダンベール」

 ヒカリ―ヌはたちまち破顔して、ダンベールの逞しい胸に頬を寄せた。

 そんな二人の日々が半年を経た時のことであった。

「ダンベール!! ねえ、ダンベール起きてっ」

 眠っていたダンベールを、ネグリジェ姿のヒカリ―ヌがゆさゆさと起した。

「んだよ。今ねみいから要件は後で……」

「違うのよ! 田が黄金に光っているの!」

「え?」

 ダンベールもようやく重い腰をあげ、田の方へ二人で駈け出した。

「わあ……」

 二人はしばし言葉を失った。深い山々の峰より、生まれたての太陽が燦々と日を射しこみ、雨を受けた田の面を金色に輝かせていた。そこに身をおろした稲穂も、光の波の反映にまた黄金色に。まるで二人は宝箱を覗いているような気分になった。

「みの……った……! ついにまるまる田んぼ一つ、稲が実った!!」

「やったわね私のダンベール! 」

「ああ、ありがとうヒカリ―ヌ!!」

 二人は涙しあい、抱擁しあい、キスを交わした。

「さあ、じゃあ早速コンバインでかりこんでマルシェへ持っていくぞ! 俺たちの夢が叶うんだ! 忙しくなるぞヒカリ―ヌ!」

「ええ!! ああ楽しみだわっみんなに早くダンベールのお米を食べてもらいたい!!」

 まるで雨後の日差しに煌めく花のように微笑むヒカリ―ヌへ、ダンベールは手を伸ばした。

「本当に、ここまで来られたのはおめがいたからかもしんね。稲作は辛いことも多いけんど、おめの阿呆な姿や頑張ってる姿にはずいぶん励まされた。ありがとう、ヒカリ―ヌ」

「えっいやっそんな! 私はただ……」

 ……愛するあなたのためだったから……。そう言いたかった唇が、ダンベールの指になぞられる。

「ヒカリ―ヌ。そ、その、おめさえ、よければその……」

「なっなにっ!!?」

 ダンベールの口を、思わず注視してしまうヒカリ―ヌ。二人して身をかたくする。

 しかし――。

 次にはダンベールの顔が暗くなった。姫の背後、森の入り口にこちらをねめつける謎の二人組が立っていたのである。

「ヒカリ―ヌ、おめは裏さ行ってろ」

「姫を返して下さいませ」

 謎の二人組はやはり王家の使者であった。居間に通し、無遠慮な視線であたりをうかがいつつ椅子をひいた彼らと、ダンベールは向かい合った。それを雨戸からそっと覗いているのはヒカリ―ヌだ。

「分かっておられるとは思いますが、姫はコシ王家の第五王女。残念ながらあなたの身分では、結婚はおろか謁見すら難しいところです。それは重々承知ですね?」

 なっ! とヒカリ―ヌはこの物言いに心底腹立たしくなった。なんという卑劣な言いぐさか! この国の経済は、こういった農村の人々の力によって成り立っているというのに! そう、ダンベールのような固い手によって――!

「姫にはすでに引きもきらぬ程縁談が来ております。どれも侯爵様や王族の皆さまからです」

 無礼な使者はさらに言葉をつづけた。

「お言葉ですが、姫にはこんなところは似合いません。あのお方にはもんぺよりドレスが、稲よりも菓子が、そしてあなたよりさらに身分ある男が、似つかわしいのです。御分かり頂けますね?」

(なっ、なんて奴らなの! )

 盗み聞いていたヒカリ―ヌは堪忍袋がはちきれそうになった。

(殴ってダンベール! こいつらはもう殴ってよし!!)

「……ああ、わかってる」

 え?

 ヒカリ―ヌの顔が灯りの消えたようになった。

「……あんなまともに稲も植えられねえ役立たず、返してやるよ。とっとと持ち帰りな」

「……ご理解が早くて助かります」

 使者はにやりと笑んで、頭を軽く垂れる。

「では馬車の馬に干し草を与える間、わかれを惜しまれるといいでしょう。もう二度とまみえることもないでしょうからね。半刻で迎えに参ります」

 使者の姿が森へ見えなくなった途端、ヒカリ―ヌは駆け出し、茫然自失といった風のダンベールへすがった。

「ど、どうしてダンベール!! どうしてあんなことを言ったの!!」

「……おめのためだ」

「え?」

気づくとダンベールは、この上なく優しく、そして寂しげに笑っていた。

「こんなちんけな村で、こんなつまらねえ男と暮らすより、おめは元の身分に戻った方が幸せになれる。だから、な」

「そんな、ひどいわダンベール! あんまりよ……」

 泣き出すヒカリ―ヌより顔を背けて、ダンベールは早口で言ってのけた。

「俺とのことは忘れろ。じゃあな」

 そして彼は振り返らずに走り去っていく。

「ま、待ってダンベール!!」

 急いで追いすがろうとするも、この足では追いつけるはずがない。

 (一体どうしたら……はっそうだわ!)

 ◆

 走りに走り、間違えて町はずれを走る高速道路に侵入してしまったダンベール。

(これで、これでよかったんだ。これであいつは、幸せになれる……)

 そうは思いつつも、彼の脳裏には今まで共にいたヒカリ―ヌの愛らしい笑顔がよぎる。

『ねえ、ダンベール。今日は稲穂が風にそよいで私に頭を下げたのよ』

『ねえ、ダンベール。今日はカルガモ部隊がよく活躍してくれたのよ。私、嬉しくってたくさん餌を出して太らせてしまったわ』

『ねえ、ダンベール。私、私ね』

 姫の泣き笑いのような表情がよみがえる。

『今までお父様の人形のように生まれて育ってきたわ。私、それでいいと思ってた。だけど、あなたと、あなたの育てた苗を見ていて思ったの。人も苗も、生きているのではなく、誰かに生かされているのだって。だからすごく、この命を感謝出来るようになったの』

『ありがとう、ダンベール』

「ヒカリ―ヌ……!」

ダンベールが高速道路の端で頭を抱え込まんとした、その時であった。

 ドドド

 どこからか聞きなじんだ、懐かしい音が耳朶を打った。

ドドドド

「ま、まさか、この音は……」

「待ってっいかないで頂戴! 私のダンベール!!」

 振り返った先の視界には、多くの車にあおられているコンバインが見えた。あれだけ機械音痴だった姫が、その運的席で巧みにコンバインを操っているのも、よくわかった。

 ぶっぷー!

「こらー!! 高速にコンバインで侵入すんなー!!」

 後続の車に次々叱声を受け、横風にあおられながらも、姫は必死にこちらへ向かってくる。

(ヒカリ―ヌ!!)

 ダンベールはたまらなくなって、コンバインへと走り、運転席の姫を力強く抱きしめた。

「この馬鹿っ高速道路にコンバインで侵入してくるバカがいるか!」

「高速道路に生身の人間が走りこんでくる方が危険でおバカさんだわっ」

 可愛らしい顔で怒り出す姫を、ダンベールはしみじみ愛しくなって、けれどその顔は直視せずに言い捨てた。

「ったく、おめはいつの間にこんなコンバインさ操れるようになったのか……!」

「全部、あなたと、あなたの夢のためだったわ……! 愛しいあなたのお役に立つため、今日まで頑張ってきたの」

 ダンベールはヒカリ―ヌの手を握った。かたくて無骨な手。立派な農家の手だ。ダンベールは姫を再度力強く抱きしめて、耳元で告白した。

「俺のものになってくれ、ヒカリ―ヌ」

 ――そう、まるで彼女の書く小説の主人公のように。


 こうして、ダンベールとヒカリ―ヌはめでたく結ばれ、新聞はこぞってこの身分差ラブコメディを書き、はやしたてた。記事が出ると引き潮のようにあらゆる姫の婚約者が身を引いた。

もともと姫を寵愛していた王も、彼女のこの愛にかける熱意と、二人の愛を応援する民の気運に折れ、二人の結婚を認めざるをえなかった。

 二人は稲作をエスパニョーラ全土に広め、そのおかげでパエリアをはじめとする独特の米料理が生まれてきたのであった。


「という感じはいかがかしら、ダンベール。今度新聞で発表する私たちのなれそめ小説♪」

居間でこの小説を読み上げたヒカリ―ヌへ、ダンベールは「美化しすぎだろ……」とため息をついて苦笑する。

「ダメ?」

 と愛らしく小首を傾げる妻へ、夫ははあーっとため息を重ねる。

「ったく、仕方ねえな……」

「やったー!!」

 ヒカリ―ヌは少し膨らんだおなかをさすりながら思うのだ。

(この子には、こんなおとぎ話を読んであげよう)

「あっ一行忘れてたわっ」

 ヒカリ―ヌが慌ててペンをとる。

『こうしてダンベール一家はいつまでも幸福に暮らしましたとさ』

                  了










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

農作姫の野望 @ichiuuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ