第12話 5日目、研修終了予定日
次の日、俺は外の騒々しさで目を覚ました。どうやら寝過ごしたらしい。
実は、恐怖と同時にワクワクした気持ちも湧き上がってきて眠れなかったのだ。我ながら不思議だが、どうやら俺は死ぬとは思ってないらしい。冷静に考えたら絶対危険だけどな。
俺が錬金ルームから出ると、ラグンの子供達が走り回って遊んでいた。昨日は大人たちの顔色を見ていたのか大人しかったのだが、今日は緊張が解けたらしい。
フタナ島への転移先出入り口があるメル山の洞窟には、いくつか出口がある。少し距離があるが安全にメル山の北側に抜ける事ができるルートを俺は知っている。当然課長からの情報だ。万が一の為に俺が避難場所に推薦したのだ。
俺は用意していた装備を確認して錬金ルームを出た。外では子供達だけでなく少し大人達も安心した顔になっている。
昨日、チランジの命で俺の教えたルートを確認したヴァナラ族のチームが帰ってきたのだ。彼ら自身で脱出経路を走破した事でラグンの集団に精神的な余裕が生まれたらしい。
そして、起き出してきた俺は猿人達から感謝され、朝飯をご馳走になった。
勇猛なヴァナラ族だって女子供を戦いには巻き込みたくはない。むしろ、女子供の安全が確保された事で、戦意を上げているようだった。
外に出てみると、地の利を生かして高所の岩場を占拠しているの見晴らしが良く周囲の情況が分かる。
遠くの尾根に旗が並び立ち、ゆっくりとこちらに進んでくるのが見える。
オンコットの軍勢が悠々と進軍してくる。
俺はマヒシャと合流して緊張しながら待っていたのだが、敵軍の動きは遅く戦いは始まらなかった。
彼らは俺から見るとゆっくりと移動し、ラグンの人たちが篭る岩場を下から半包囲するように旗が埋まっていく。
遅いと感じているのは日本人の俺だけでヴァナラ族もマヒシャも特に遅いとは考えていないようだ。実際、俺が知らなかっただけで学校の歴史で習うような大きな戦だと準備に数日かかるのが普通らしい。
それから考えると、気負っていたのに始まらないからと昼飯を食べ、さらにお茶を飲んでいる時に開戦になったのはむしろ速いと言うべきだろう。
おかげで、俺の緊張感も良い感じにほぐれたしな。
オンコット率いる遠征軍は銅鑼の音で一斉に動き出した。
ラグン側は岩場の高所を要害にして篭っているので、上から彼らの動きは丸分かりだ。遠征軍は先頭に大盾も持った兵士を配置してジワジワと岩場ににじり寄ってくる。
「怖いな。アレ、至近距離になったらダッシュして襲ってきそうだよな?」
俺は隣にいるマヒシャに話しかけた。俺の作戦が通ったので俺達と数名の精鋭兵士が待機している。メンバーは俺、マヒシャ、腕利きのモンジュに変わり者のカプル。そして、6名の護衛。計10名のチームだ。
作戦は単純。敵兵をこの岩場に引き付けて手薄になったオンコット将軍の本陣へ迫り俺が直接彼の洗脳を解く。
それだけだ。
オンコット将軍さえ正気になれば、ヴァナラ族同士が戦う理由は何もない。
「サトシ殿の言う通り距離を測ってもおる。だが、本心では皆戦いたくないのだ」
モンジュの言葉は正しいと思う。素人目に見ても遠征軍の動きは鈍い。オンコット将軍の命令だから参加しているが、自分は仲間と戦いたくないのだ。明らかに彼らの動きは鈍い。
だとしたら、自白剤に使った酒みたいに俺の魔法もよく効くはずだ。攻撃抑制剤を風上である岩場から撒くつもりなのだ。かなり薄くなるが空気中の成分に俺の魔法を載せれば大多数のヴァナラ族の足を止める事が出来る。
まあ、60秒くらいかな?
短いようだけど大丈夫。チランジ達の戦略は当たっている。遠征軍はラグン軍を包囲する為に全軍を並べている。三国志なんかのゲームで言えば鶴翼の陣だろう。本来は劣勢側がやる陣形らしいけど、岩場に篭っているラグン軍を下からオンコットが見ている中、銅鑼で全軍を追い立てているからこんな感じなんだろう。
で、こうなれば、戦線は薄くなるし、主力とオンコットの居る本陣にスペースができる。
俺の狙いはオンコット将軍を討ち取る事じゃなく、正気にする事だから接近できればいい。
だから、60秒あれば十分。
「サトシ、オンコット将軍の場所わかったぞ」
「どこだ、カプル?」
「あそこに白旗が4本立った。あの真ん中にいる」
カプルの長い腕が戦場の中央奥を指す。その場所は森の中だ。オンコットの姿までは確認できない。
「ど真ん中じゃないか。完全にこっちを舐めているな」
オンコット将軍の位置は遠征軍のど真ん中、ただ姿そのものは見えない。
「舐めている? いや、少しおかしい。オンコット将軍勇猛。先頭に立って戦う」
「だから、こっちを舐めてるんだろ? 俺が舐めているって言ってるのはオンコット将軍じゃなくチエダイの連中だよ」
それにオンコットがまともなら戦などしない。
今現在もかなり朦朧とした意識で本陣に座っているのだろう。
「それはそうと、今日のカプルは気合はいってるね」
今日のカプルは全身にメイクを施しているのである。
「うむ、今日は本気。呪師としてここにいる」
悠然と応えるカプルはさらに仮面を被った。
俺は知らなかったが、それはカプルの身に神魔を宿す為のアイテムだそうだ。
掛け値なしでカプルは本気を出す気なのだ。
カプルはどうやら呪師というヴァナラ族の中で少し特別な存在らしい。彼は特殊なヒエラルキーをもつ猿人だったのだ。
俺のカプルの印象が他の猿人達と違うはずだ。
俺が暫しカプルの怪しい姿と動きに魅入っているとモンジュが話しかけてきた。
「サトシ殿、そろそろ頃合ではないか?」
俺がその声で、眼下の遠征軍を見ると彼らの顔が分かるくらいの位置まで接近していた。
そして、オンコットの居る本陣は明らかに孤立している。
確かに頃合 なのかな?
そんなの俺には分からない。
だけど、俺はモンジュの判断に従う事にした。俺の作戦は全て伝えてあるのだ。
「じゃ、行こうか。 モンジュ、下知を頼む」
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