第11話


 目が覚めると、そこは私のベッドの上だった。


 何時もの天上に、何時もの証明。慣れ親しんだ家の香りに、ロンドンの霧の匂いは何処にも無い。


「……やっぱり、夢だけど、幻じゃあ、無かったんだよね……?」


 恐怖に泣いた感覚と、安堵からくる脱力を、まだ体が覚えている。

 今朝の夢で見て、一度起きた時には思い出せなかった夢の記憶も、今はまるで現実の事のように、鮮明に思い出せる。

 悪夢のような、儚く悲しい夢の思い出。怖かったけど……きちんと、覚えていたいと思う。


 あの二人が、確かに生きていた証が、消えてしまわないように……。


「……あれ? 私、確か床でぶっ倒れた様な……?」


 眠りに落ちる前の記憶を思い出す。うん、間違いなく床で倒れた筈、シルバーさんが運んでくれたのかな……?


「あ、いけない、朝御飯作ってるところだったっけ、よいしょ……っと」


 僅かに重みを感じつつ、体を起こすと、リビングの方から、パンの焼ける匂いが漂って来ていることに気がついた。


 そういえばシルバーさんがバゲットを取ってくるって言ってたっけ、シルバーさんも夢からこっちに戻ってきて、先に用意してくれたのかも……。


 たしか朝、鍵は閉めていなかった筈だから、シルバーさんが居てもおかしくはない。いや、シルバーさんなら自力で開けられそうだけど……いつも勝手にお邪魔してるし、今度合鍵を渡して置こうかな。


 と、そんなことを考えながらリビングの扉を開ける。



「あら、目が覚めたのね、おはよう、クローちゃん。」


 リビングに入ると、何時ものメイド服姿のシルバーさんが、お皿に乗ったオムレツを手に、私に微笑みかけて来た。


「おはよう……ございます……」


 気がつくと、私はフラフラと歩み寄りながら、思わずシルバーさんに抱きついていた。


「あら、どうしたの急に、珍しいわね?」


 満更でも無さそうな声を上げるシルバーさん、うん、確かに私からこうして抱きつく事は滅多にない、というか初めてな気もする。


 なら、どうしてそんな行為に至ったかというと……


「……乳が、ない……!?」


「命の恩人に対して喧嘩売ってんのクローちゃん?」


「いや、でも、夢の中では……あれぇ?」


 一瞬、夢の中での出来事は幻だったのかと思ってしまったけど、今のシルバーさんの言葉を聞くと、やっぱり夢の中で私はシルバーさんに助けられているみたい……一体どういう事なのだろう?



「……はぁ、その辺りの事は、今度きちんと説明するわ、今はそれより……」



『オイオイ、なぁに朝から見せつけてんだよバカップル!』


 突然、聞いたことのない声が真横から飛んできた。いや、この声、何処かで聞いたような気もするけど……。


「え、えええ!?なんでここに!?」


 声に釣られて顔を向けた先、リビングのテーブルに座っていたのは、夢の中に居た狩人の女性と、夢で私に襲いかかってきた、ククルゥと呼ばれた少女だった。


「ふふ、夢の中で、私が気を失ってる間があったでしょう? その間に、ちょっと現実世界で二人の体を準備していたのよ」


「体を準備?ええ?どゆこと?」


 困惑する私を余所に、椅子に腰掛けてコーヒーを口にする狩人さんが、気軽な口調で語りかけてきた。


「夢の中でも見たと思うが……私の体は絡繰仕掛けでな……この人形の体を作ったのが、そこにいるシルバーだ。 ……今はこっちのククルゥも、シルバーの作った人形に身体を移している。」


 狩人……たしかヴァルゲイトさんだったかな? 長いからヴァルさんでいいや。

 ヴァルさんに指を刺されたククルゥは、頬張っていたハムを飲み込むと、夢で見た時とはまるで違う、無邪気な子供の様な表情を私に向けてきた。


「くくるーです、よろしくおねがいします!」


「え? う、うん、此方こそ宜しくお願いします……。」


 なんだろう、この感じ、表情だけじゃなくて、話し方もなんというか、その……


「ククルゥの方は、ちょっと強引に人形に繋ぎ止めたから、どうも精神が幼児退行してしまったみたいでね……話した感じ、小学校低学年くらいかしら?」


 なるほど、そう言われてみれば、食べ方や仕草もどことなく幼い感じがする。

 あれ? でも、だとしたら……


「さっきいきなり声をかけてきたのは一体……」


 私の疑問に、オムレツをテーブルに置いたシルバーさんが、それはね? と呟きながら、ククルゥの頭に乗っかった、30センチはある、巨大な真珠色のナメクジを持ち上げた。


『あっ!?なにしやがんだオカマ錬金術師!? ぎゃあああ!!止めてくださいごめんなさい俺が悪かったから塩は!塩はご勘弁を!!』


 そのナメクジから、先程聞いたのと同じ声が響いて来た。


「ええと、つまりどういうことです?」


「ええ、人形に繋ぎ止められなかったククルゥの記憶と、あと神秘の化物としての性質が、どうもこのナメクジの姿でこっちに付いてきちゃったみたいなのよね……以前ほどの力もないし、あんまり悪さする気も無いみたいだから、そのままにしてるんだけど。」


 そう言うと、シルバーさんはナメクジをククルゥの頭の上に戻す。塩を掛けられてちょっと縮んだナメクジが幼女の頭の上で震えてる構図は、なんというかこう……


「……シュールですね……」


「シュールよね……」


「シュールだな……」


 三人で呟いて、思わず俯く中、ククルゥが頭の上のナメクジに手を伸ばし、両手で掴んで持ち上げる。


『お?おお?なんだ、おい、どうし……』


がぶり


「『「「あーーーーー!!!??」」』」



「あむあむあむ」


た、食べた!? と言うか齧り取った!?


『て、てめ!?何しやがる!? お、俺の尻尾に歯型って言うか抉られた跡が!?』


「あんたそれどっからが尻尾よ、――っていうかククルゥちゃん! そんなもの食べちゃだめ!ぺっしなさい! ぺっ!」



「ごくんっ」



「「『「飲むなぁーーーーー!!?」』」」



「……ぐれーぷあじ」



「「『「うっそだろ(でしょ)!?」』」」



「けぷー……」


 …………ええっとぉ……


「あの、シルバーさん、食べて大丈夫なんですかね、あれ?」


 首を傾げる私の疑問の先、額に手を当てたシルバーさんが、とても難しい質問に答えるように声を絞り出した。


「一応、元々はククルゥちゃんの一部だし、人形の体な分、普通より遥かに頑丈だから、大丈夫だとは思うけど……」


「と言うか、ぐれーぷ味なんですね……」


「……食べちゃだめよ?」



 誰が食べるってんですか! あ、ククルゥちゃんか!!




 さっきまで見ていた夢が嘘のように、面白おかしな光景が目の前に広がっている。


 色々と困惑したり、不思議に思うことばかりだけれど、この幸せな光景が見られたことが、私には、とても嬉しかった。



 やっぱり、バッドエンドより、ハッピーエンドが一番だよね。



「ほらクローちゃん、冷めないうちに食べましょう?」


 先に座ったシルバーさんが、促すように私に声をかけてくれる。


「……はい!」


 どうやらこれからは、今まで以上に賑やかになりそうです。

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