第10話

 引き金に掛けた指が、止まる。


 ヴァルゲイトにとって、神秘の信仰者は狩の対象に他ならない。 そして彼等に取って、自らを殺す狩人は邪魔者であり、脅威であり、互いに忌むべき存在でしかない。

 それは、ククルゥに対しても変わらないと、狩人は疑問にすら思って居なかった。


 その少女の口から漏れた、感謝の言葉。 その意味に気付いてしまった狩人の、引き金に掛けた指の力が一瞬、確かに緩んだ。



 しまった、と気付いた時には、既に遅い。



 引き金を引くまでに生まれた僅かな隙をつくように、ククルゥの右目を突き破り現れた真珠色の蛞蝓が、前装銃の銃身に絡みつく。

 銃声と共に放たれた弾丸は本来の軌道を外れ、少女の白髪を穿って石畳に弾け飛ぶ。


『ケヒッ! ケヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!!』


 大きく裂けるように開いた少女の口から、少女の声音のまま、明らかに異なる口調で言葉が吐き出される。


『惜しかった、アア惜しかったなぁヴァルゲイト! あと一瞬早けりゃァ、コイツの望み通りにオレとコイツを殺せたってのになぁ!!』


 少女とは違う、別の何か。あるいはこれこそが、少女を狂わせた物の意思なのだろうか。

 ククルゥ……いや、神秘の化物は、瞳から伸ばした触手の一振りで、砂糖菓子のように煉瓦造りの壁面を割り砕く。

 衝撃で打ち込まれた短刀が外れ、戒めが緩んだ一瞬で、全身を数千の蛞蝓へと霧散させた化物は、狩人から数メートル離れた位置へ再度集まり、その身を形作った。


「貴様……っ!」


 前装銃を投げ捨て、斧剣を抜き放った狩人が、地を蹴って距離を詰める。

 

『ケヒャヒャヒャッ! 悔しいか、なぁおい! だけどコレはお前の所為だぜ? お前が、コイツが殺されたがってる事に気付いてりゃぁ、さっきの一撃で一切合切終わってたんだからなぁ!!』

 

 幾重にも伸ばされた触手が、杭のような鋭さを持って狩人に殺到する。

 迫る触手を斧剣で払い、短刀で穿ち、黒衣の端を掠めながら狩人は駆ける。 


「黙れ……黙れ、黙れ、黙れ!!」


 その動きに、先程までの冷静さは存在しない、あるのは獲物を仕留め損なった後悔と、少女に理性が残っていると知りながら、その真意を考えることをしなかった己への憤り。

 そして何より、それを嘲笑うこの化物への激しい憎悪に他ならない。


 狩人の踏み込みが、石畳を割り砕く。


 首を貫く軌道の触手に、斧剣に備えたフック状の鈎刃を引っ掛け、鈎刃の内側の鋸刃を用いてクラッチ、喉笛を穿たれるより一寸速く、触手ごと斧剣を右に打ち払う。

 剣の動きを追うように左足を軸にして身体を右へスピン、触手の排出速度を超えたその勢いに、化物の身体が確かに振り回される。


「アアアアアアアァァァッ!!!」


 鈎刃のクラッチを解き、構え直すは刃の背、そこから鋭く突き出したスパイクを、化物のコメカミに叩き込む。


 無論、この程度で殺せる存在ではない。


 血走った化物の左目が、こちらを凝視する。 

 服の袖から突き出した触手が、伸縮自在の槍となり、下から抉る様な起動で狩人の腹を穿つ。


 死角からの一撃に、狩人は左手に携えた短刀を無造作に振り下ろす。

 先端に食い込んだ刃は、そのまま槍を肉の塊として二つに断ち切る。 右手の斧剣を軸に身体を前に飛ばせば、テコの原理でピックが化物のこめかみを内側から破壊し、抉り出す。


 血飛沫にもにた無色の液体が飛び散り、化物の身体が激しく痙攣する。


 身体を霧散させる神秘の化物と言えど、人の姿を取っている時は、脳に等しい部分が神経を束ねている。

 決してコレは群体ではなく、一つのものを区分けして分割しているだけに過ぎない。

 特性を付与した武器で与えたダメージは蓄積されるし、身体を霧散させたとして、夢の主が現実に戻る兆候の無いこの夢から逃れることは出来はしない。


 ならば、死ぬまで殺せば、コレは殺せる。


 そして、致命的なダメージを与えるには、人の姿を取っている間に、脳と心臓を破壊することだと、これまでの神秘狩りの経験で知っている。

 今、脳は一時的に破壊した。そして自らの姿勢は化物の横を通り過ぎ、振り返る動作の中にある。

 驚異的な再生能力を持っているとは言え、脳を破壊された直後は動きが鈍る。 その隙を逃す愚を犯す訳にはいかない。


 故に、左手の鉤爪を、振り向きざまの貫手として叩き込む。

 狙いは寸分違わず心の臓。 背面からの貫手は背骨と肋が邪魔をするが、狩人の膂力を持ってすればそれは障害になり得ない。


 肉を穿つ音が、悪夢の街並みに、悲しく鳴り響いた。




      ●



 正直に言って、二人の戦いそのものは、私には最初から殆ど見えて居なかった。

 だけど、今何が起きているか、それは、私の目にも明らかだった。


 それは……


「……カッ、ハッ……」


ククルゥの脇腹を貫いて現れた触手が


『ケ……ヒッ、ヒヒヒッ、いくらお前が速くたって、見えてなけりゃぁ躱せないよなぁ……?』


 180度回転した首が、狩人の瞳を覗き込み、そこから力が失われた事を見届けると、見開かれた瞳がギョロリ蠢き、こちらを見つける。


『ソレじゃぁ、さっきの続きといこうか、ケヒャヒャヒャッ』


 逃げないと、逃げないと行けないのに、今目の前で起きた事実に、足が竦んで立ち上がれない。

 

「し、シルバーさん……!?」


 助けを求めるように振り向いた先、そこに居た侍従姿は、座り込んだまま動かない。

 首や腕からは力が抜け落ち、眼鏡越しに見える瞳は、まるで眠っているかの様に伏せられて。


「いや……いやぁッ! 起きて、起きてくださいよ、シルバーさん!!」


 呼びかけて、肩を揺すっても、シルバーさんの瞳が開かれる気配はない。

 得体の知れない恐怖が、私の身体に突き刺さる。

 

 視線を戻せば、触手を従えた少女……少女のカタチをしたナニカが、自らの体と狩人に槍を突き刺したまま、ゆっくり、ゆっくりとこちらに近付いてくる。


 シルバーさんの身体を抱き寄せて、守る様に抱き締めながら、私はソレを睨み付けた。


 恐怖はある。これが本当に夢だと言うのなら、今すぐ覚めて普段の日常に戻りたい。

 でも、そうはならない、そんな生易しい展開は起こってはくれやしない。

 

 だったら、せめて最後くらい、泣き叫んだりせず、前を見て抗って、自分の命の、その最期の終わりまで、負けてなんてやるもんか!


 きっと、一人ならもうとっくに諦めていた。

 最初、満足に抵抗もできないまま、彼女に蛞蝓を植え付けられ、そのまま異形の苗床へと成り果てていた。

 それを助けてくれたのは、シルバーさんだ。

 今は眠ったように動かないけれど、死んでいないとだけは確信できる。シルバーさんだけなら、ここから逃げられるかもしれないとも、思っている。

 だから最後まで、今度は私が、この人を守ってみせる。

 そうだ、絶対に……



!!」



 ギシリ、と、ククルゥの背後で何かが軋む。

 

 こちらに向けていたククルゥの歩みが、止まった。


 ギシリ、と、再び何かが軋む。


「……タシ……は……」


 沈黙していた筈の影が、息を吹き返す。


「アタシ……は……ッ!」


 その五指が、自らの鳩尾に突き刺さる触手に、爪を立て、握り込む。

 

「アタシは、ヴァルゲイトだ……ッ!!」


 硝子の砕けるような音と共に、その槍状の触手を、握力だけで握り潰す。

 本体から切り離された触手が塵と化し、風に吹かれて霧に流れた。


『お前……どうやって……っ!?』


 ククルゥの疑問は、触手が抜け落ちたその虚空を見据え、止まる。


 そこに見えたのは、人として本来ある肉や臓腑ではなく、無数のワイヤーと骨格を模したフレーム、そして多数のシリンダー。


「夢を渡り歩くと、貴様等神秘を皆殺すと誓ったあの日から、人の肉など、捨てている……っ!」


 目深に被った帽子の下、白い肌にはひび割れが生じ、眼帯で覆い隠した右目からは、一際大きい亀裂が走る。


 人形、あるいは、それを体とした何か。


 思わず言葉を詰めて後ずさる化物を、人を模した人形は、風穴から幾多のワイヤーを零して追い詰める。


 狩人の左手が、ククルゥの喉を鷲掴む。


『がっ……ぐっ……!』


 高々と持ち上げられたククルゥが、その身から伸ばした多数の触手で狩人の身を貫いた。

 槍や杭と化した触手が体に突き刺さり、人形の体が更なる軋みとパーツを吐こうと、その手の力は緩まない。


『ぎ、ィィィィッ!』


 力では抜け出せないと悟ったククルゥが、再びその身を霧散させようと藻掻きだす。


 それを許す者など、ここには居ない。


 身体が蛞蝓に変化する瞬間、その身に、数多の銀針が突き刺さった。


 まるで縫い止めるかのように突き立った銀針は、最初にククルゥの瞳に突き刺さった物と同じ物。


 つまりは


「シルバーさん!!」


 名前を呼んだその先で、自らの腕に抱いた女性が瞳を開ける。


「ありがとうねクローちゃん、ちょっと意識を外していたの。」


 微笑み、私の腕から抜け出した彼女は、両手に構えた銀針を無造作に投げ放つ。


「悪いけど、『《錬金仕掛けの全能神》』の名の元に、この娘の夢を、BAD ENDにはさせないわ。」


 バラバラの方向へ飛び散った針達は、シルバーさんの指の振りに合わせて急激に起動を変え、左右からククルゥの身体を縫い止める。


「さぁ、お膳立ては済んだわよ、ヴァルゲイト。」


 シルバーさんの視線が向かう先、ククルゥと向き合った狩人は、眼前に右の五指を翳し……



 己の右目、眼帯の上から、


 


 瞳から引き抜かれた五指が摘み上げていたものは、赤い線が迸り、鈍く輝く銀の釘。



『っ……ガ……ヤ、メロ……ッ!!』


 首を掴まれて尚、声を絞り出したククルゥが、拒絶の叫びともに触手の槍で狩人を穿つ。


 喉笛に触手が刺さり、狩人の身体が僅かに揺らぐ。

 しかし、その瞳に満ちた意志と力と信念は、彼女の身体を動かした。


 狩人が、釘を握り込んだ右拳を、天高く振りかぶる。


『ヤメロ……ヤメロ、ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロオオォォォッ!!』


 泣きじゃくる赤子のようなククルゥの叫びと共に、滅茶苦茶な軌道で触手の群れが狩人に襲いかかる。


 その尽くをその身で受け止め、それでも尚止まらない。 彼の振り下ろす一撃は、一寸の狂いも無く少女の、心の臓腑へ突き刺さる。

 

 銀の釘が貫いた箇所を中心に、ククルゥの身体へ、無数の赤い線がまるで血管の様に広がった。


『イヤダ、イヤダ、イヤダイヤダ!死にたくない!まだ、俺は……オレハ……ッ!!』


 身を蝕む呪いの様に、赤の線がククルゥの身体に根を張り尽くす。


 その中心である釘を握り締めたまま、狩人の、既に音の出ぬ口が、その動きで言葉を作る。

 


「遅くなって……すまなかった……」



 投げ掛けられた言葉に、ククルゥの動きが止まる。

 泣きじゃくっていた瞳が伏せられて、微かに、その唇が微笑んだ。



「えぇ……本当に……遅いわよ、馬鹿……」



 その言葉を最期に、二人の身体が崩れだす。

 溢れた欠片は塵へと還り、まるで天へと昇るように、二人は空に舞い上がる。



 霧が晴れ、彼方から眩い光が射し込んだ。



 暖かい光に照らされて輝くソレは、とても、美しい色彩をしていた。





 夢が明ける、目が覚めた時、私はこの出来事を覚えていないのだろうけど、でも、私はきっと泣いているだろう。


 でも、それはきっと、恐かったからじゃない。


 この夢は、悪夢なんかじゃ、なかったのだから。

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