第9話
「此度は早い再会となったな、ククルゥ。」
黒衣の影が、私達に背を向けたまま、少女に言葉を放つ。
「だが、一体どうした事だ貴様……今まで私が渡ってきた夢の中、貴様が眷属を増やそうとした事など、ただの一度も無かったというのに……っ」
影、狩人の言葉は、怒りと、疑問と、それから、何故か、哀しみを感じさせる声音をしていた。
「ちょ、ちょっと待って、眷属を増やそうとしたことが無かったって、それってつまり――」
眷属を増やすって、さっき私がされそうになった事だよね、それを今まで一度もしていなかったって……どういう事なんだろう。
けれど、その疑問の答えがシルバーさんの口から出る事は無かった。
『ケヒッ、ケヒヒヒヒッ! ネェ、ヴァルゲイト、ドウシテ、ジャマ、スルノ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ?』
少女の顔が歪む。
それは笑っているようで、それは憤りのようで、それは悲哀に満ちたようで、それは、喜怒哀楽をごちゃまぜにして、強引に絞り出したような、そんな表情だった。
「既に最後の欠片も零れて落ちたか……、だが、それはこちらに取って好都合かもしれん。」
狩人、ククルゥの言葉に従うならヴァルゲイトさんかな?
彼女はそう告げると、右手に携えた、鋸や斧が一体になった刃を、少女を指差すように突きつけた。
「終わりだ、この夢で。 私と貴様の、この巫山戯た因縁も。」
次の動きは、その一歩目から、私の目には追えなかった。
●
狩人は石畳を疾駆する。
今まで渡ってきた夢と違い、今回の夢は霧が浅い。視界は広く、駆ける石畳どころか、煉瓦造りの街並みさえもが明瞭に知覚できている。
故に、普段とは違う戦術が取れる。
石畳を強く蹴り、空中へ身を踊らせる。身体を右に捻り、煉瓦の壁面へと垂直に着地、重力に引かれた体が下に落ちるより前に、壁面を蹴って更に飛ぶ。
ククルゥの操る触手、アレは一つ一つが半ば独立した生物であり、ククルゥの認識外であろうと、宿主に危害が迫れば自動的に迎撃をする。
そのため、死角からの攻撃は本来意味をなさない。
ただし、その反応速度を超える速さを持つならば、そんなものは関係がない事だ。
『ケヒッ……ッ!?』
ククルゥの右腕に、狩人が投擲した短刀が根本まで突き刺さる。
深々と肉体に突き刺さった短刀は、隕鉄に己の血を混ぜて鍛えた特別製。
上位の信仰者は身体を流動体に置き換える事で、物理攻撃の殆どを無効化してしまうが、この刃は信仰者の流体化を打ち消し、傷口へ火傷の様な爛れた再生不能領域を作り出す。
鋸状の返しが付いた刃は、深く突き刺されば、その傷口を固定化させる作用と合わさり、そう簡単に引き抜くことはできない
次いで左腕、右足、右肩、左爪先と、連続して突き立つ短刀は、一投目と異なり、その柄尻に銀色に輝く鋼線が五本ずつ結びつけられている。
「何時も貴様は、不利になると幾千に霧散して逃走していたな。」
銀線の端を左手に携え、狩人が宙を舞う。
「なら、その手間を省いてやろう。」
銀の煌めきが、ククルゥを起点として螺旋を描く。
如何に固定化特性を持った刃と言えど、全身を霧散させて逃走されては意味がない。
では、その特性を付与した銀糸で、全身を隈無く絡め取ったならば?
傷口と傷口が隣接し、霧散する隙間を与えぬ密度で、その肉体を固定されてしまえば、如何に上位の信仰者と言えど、その身を自由にすることは困難だ。
今までは加速に必要な足場が十分に確保できず、使えなかった理論も、この確かな夢ならば行える。
『ぎぃ、ァァァァ!!』
黒が舞い、銀が煌めく。
幾重にも銀糸が食い込んだ白い肌から、爛れた蒸気が立ち上り、千切れ落ちた真珠色の触手が、石畳に霧散する。
狩人の動きが止まった時、そこには全身を銀の戒めで彩られ、四方の壁に打ち込まれた銀糸で吊るされた信仰者が晒される。
斧剣を腰に収め、代わりに狩人が懐から取り出したのは、黒翼の装飾を施された前時代的な
その銃口に、銀色の弾頭が装填される。
「純銀製炸裂水銀弾頭、貴様を殺すために拵えた特別製だ。」
撃鉄は、起こされた。
●
全身が焼けただれる中、既に擦り切れ、摩耗し尽くしたククルゥの意識は、身を焦がす痛みすら、感じることはできていなかった。
掠れ、消え行く自我の中、その瞳は、確かに黒衣の狩人を映した。
あぁ、ヴァルゲイト……
ただ一人、私を見つけてくれた人……私を、一人にしないでくれた人。
幼い頃、生まれた土地の風習に選ばれた自分は、神秘の存在への傀儡として捧げられた。
植え付けられた蛞蝓が、身体の中を這い回る感触に、日毎自分の身体が作り変えられていく異物感。
けれど、恐怖は無かった。 それは自分が元から壊れていたからなのか、植え付けられた蛞蝓が、最初に自分の意識を蝕んだのか、今ではもう、わかりはしない。
あの少女へ見せた夢に、首が撥ねられる瞬間が映らなかったのは、私自身がその瞬間を知らないからだ。
それから私は、数多の人間の夢を渡り歩いた。
深い靄に包まれた夢の中、時には、夢の主の姿を見つける事もあった。
そしてその度に、私の中に植え付けられた蛞蝓は、其を新たな苗床にしろと、其をお前と同じ存在へ作り変えろと、私に囁きかけてきた。
嫌だった、夢の中でただ一人ぼっち、彷徨い続けるのは寂しくて、嫌だった。
それでも、他の誰かを私の様に、永遠に一人ぼっちにさせてしまうのは、ずっと、ずっと、恐ろしかったのだ。
だけど、私の中の囁きは、次第に大きく、抗い難い衝動へと移り変わって、其れを拒む私の意識も、岩肌に押し付けられた雪の塊の様に磨り減り、掠れていった。
ヴァルゲイトが現れたのは、そんな時だった。
初めて出会った時、有無を言わさず斬り掛かって来た彼女に右目を潰されて、慌てて夢の主を叩き起こして逃げだした。
当時は痛みも感じたから、突然殺されそうになった事に酷く怯えた事を憶えている。
幾多の夢を彷徨う中で、何度も、何度も何度も、彼女は私を見つけ、その度に襲い掛かって来た。
その中で、彼女の名前を知って、自分の名前を教えたのは、一体何時の頃だっただろう。
その頃に、私は彼女と殺し合う間は、自分の中の寂しさと、蛞蝓達の囁きが止まっている事に気が付いた。
彼女という存在があったから、夢を彷徨う中で、囁きの衝動を押し殺す事ができた。
しかし、それでも尚、その衝動は私の意識を擦り減らし、いつか私は消え去って、ただの蛞蝓の化物に成って果てるのだと、そう私は感じていた。
いつしか、私の意識が途絶える前に、彼女に私を殺してほしいと願う様になった。
だけどやっぱり踏ん切りはつかなくて、今の今まで、トドメを刺される直前に逃げ出して来た。
そのせいで、私は囁きに負けて、あの子に、クローに苗床を移植しようとしてしまった。
ごめんなさい、クロー、そしてそこの女の人。
だけど良かった、最後の最後に、彼女が間に合ってくれて。
ヴァルゲイトが引き金に掛けた指に力を籠める。
これでようやく、私は死ねる、誰も犠牲にすることなく。
あぁ……ヴァルゲイト……私の愛しい殺戮者……
『ありが……とう……』
その一言が、いけなかった。
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