間話 其の二


 他者の夢は、霧の中に似ている。


 夢の客人である彷徨い人達には、夢の内容を全て認識することはできない、取り分け、周囲の風景は靄がかかった輪郭としてその目に映る。


 それは、神秘の存在にも同じなのだろうか、神秘を拒む彼女にはわからない。神秘を求め、その身を捧げた彼らにならわかるのかも知れないが、聞く気など毛頭有りはしない、そもそも、彼等と会話など成立しないのだから。


 狩人はそのまま夢を彷徨う、この夢に神秘の信仰者が居なければ、また別の人間の夢へと渡るしかない。

 夢の主を見つけ、うつつへと叩き出す事で夢を終えるか、自然に目を覚ますのを待つかすれば、勝手に次の夢へと彼女は移動する。

 移る先を選ぶことはできない、全ては運任せだ、夢の主を見つけるかどうかも、その時の気分次第。そもそも、靄がかかったこの夢の中では、主を見つけることもあまり簡単なことではないのだ、基本的には夢が覚めるまで何処かで寝て過ごす。


 だが、今回は違った。


 その夢に訪れた瞬間、見知った臭いを感じ取ったからだ。


 それは、思わず酔いしれそうな甘い花のようで、焼きたてのバター菓子のように香ばしく、それでいてその奥底に、深海から引き上げた得体の知れない生物のような、底しれぬ生臭さを併せ持つ。


 間違える筈も無い、その臭いの主こそ、己の追い求める神秘の信仰者に他ならないのだから。


「見ているのだろう、『穢喰らいの深淵孵り』ククルゥ。」


 背後で、得体の知れない気配が蠢いた。


『あッはははハはっ、やぁっパり貴女は気がついチゃうんダ、ヴァルゲイトちゃん?』


 粘着性の液体の様な音を立て、地面に何かが落下する。


 それは、幼い少女の姿をしていた。


 白い肌に、透き通る白髪、体を覆う肌と同じ色のドレスに、頭にはフリルの付いたボンネット。まるで童話に出てくる人形の様な少女の、その深紅の瞳には、人ならざる爛々とした光が満ちている。


『フふ、あはハは、毎回毎回飽きないヨねぇ、そんナに私を殺したイの?』


 その声は、口では無く、頭の中に直接届くかのように脳内を駆け巡る。

 まるで、こちらの思考を阻害し、別のモノに作り変えるような、妖しい囁き。


「無論、貴様達神秘の信仰者を皆殺すまで、私は止まらない、私はそうした存在だ。」


 ボロ布の様な漆黒の外套から、一振りの斧にも似た刃を取り出す。

 骨を砕く斧に、肉を断つ鋸、皮膚に穴を穿つピックと、神経を抉り出す鈎刃。

 『解体者』、彼等神秘の信仰者に対抗するため、隕鉄に己の血液を練り込み作り上げた一品だ。


「この夢で、貴様の悪夢を終わらせる、ククルゥ。」


 右手に携えた解体者を握り込み、身を深く沈み込ませる様な構えを取る。

 左手を前に突き出し、右半身を引き、地面と水平に得物を構えたその姿は、極東の片手突きの姿勢にも似た突撃姿勢。


『けひヒひっ! こわいこワーい、私を殺すの? 今まで一度も殺せた事なンて無いくせに!』


 直立した姿勢のまま、少女の首がこちらを見たまま時計の様に180度回転する。

 さらには、少女のドレス、そのレースの隙間から、軟体生物の如き無数の触手が蠢き、這いずりだす。


 これが、神秘の信仰者、その成れの果ての行き着く1つ。


 もはや人間ではない、ただの異形へと成り下がったバケモノが、いまだ少女の姿であり続けるのは、果たして如何なる心境ゆえなのか、わかりはしない、わかる気もない。


「黙れ、何度だろうと関係はない。貴様は私が殺す、殺して尽くす。――故に、」


「死んで果てろ、神秘に成り下がった信仰者。」


 その言葉が、契機となった。


 無数の触手が鞭のようにしなり、投網めいてヴァルゲイトを覆い尽くさんと迫り来る。


 対するヴァルゲイトは、敢えてその中心へと突撃を敢行した。


 踏み込みの衝撃に、大地が爆ぜる。人間の認識速度を超えた勢いを持って、砲弾めいた一撃がククルゥの眉間へと叩き込まれる。


 が、人ならざる神秘の信仰者は嗤う、その深紅の右目が突如として蠢き、内側からイソギンチャクのような触手が吹き零れ、迫り来る刃を絡め、砲弾の様な質量を物ともせずにヴァルゲイトごと投げ飛ばした。


 ヴァルゲイトは空中で身を捻り、追撃の触手に鈎刃を当て、フックして振り回す。 

 無数の触手と言えど、元を正せば全てククルゥの体に帰結する、ならばその一つを強引に、触手の引き出しが間に合わぬ速度で振り回せば、本体ともに他の触手も一瞬とはいえ制御を乱す。


 その隙を逃すことなどしない、左手で腰から抜き放った短刀をククルゥの左目へ投擲し、その視界を奪う。


 刃が抜け落ち、左目が再生するまで僅かに数秒、その間に、身を回して着地、未だフックしたままの触手ごと『解体者』を投げ斧の要領で投擲する。


 二回転を持ってククルゥの額に分厚い刃が深く突き刺さり、衝撃の慣性がその身を背後へと吹き飛ばす。


 だが、それよりも速く、跳躍したヴァルゲイトが肉薄する。


「――――ッ!!」


 声にならぬ雄叫びを上げ、手袋を嵌めた右手、その先端に取り付けられた鋭い爪が、掻き毟るように開かれた五指ごと少女の腹部へと突き刺さり、


『カ……ッ!!』


 瞳を見開いた少女の口から、夥しい血液が溢れ、ヴァルゲイトの漆黒の衣服へ飛び散り、まるで衣服が血を啜るかのように染み込んでいく。


「これで……っ!」


 トドメの一撃を喰らわせるべく、ヴァルゲイトが左手でククルゥの額から『解体者』を引き抜く、が


『残念、ちょっト遅かったワね……』


 少女の首が、落ちる。


 その首が地面につくより先に、それとその肉体は万を超える夥しい蛞蝓へと姿を変え、辺りの靄へと溶け込むようにその姿を消した。


 後には、右手で抉るような姿勢で立ち尽くしたヴァルゲイトただ一人だけ。


『ケヒひッ! また会いましょウね、『殺戮機構のヴァルゲイト』。』


 少女の、あどけなく無邪気な声だけが、夢の中に木霊する。


「……夢が、明けるか……」



 辺りの靄が、自らの体を包み込む程に濃くなり始めた、大方、あの神秘の信仰者が触手の一つで夢の主を目覚めさせたのだろう。


 夢が覚めれば、互いにここから弾き出される。アレは毎回、己が不利になるとそうして逃げ遂せて来たのだ。


「だが、次こそは……っ」


 右手を強く握り込む。備え付けられた鉤爪が手袋を引き裂こうと構うことはなく。


 ああ、夢が明けて行く……次にあの信仰者と相見えるのは、果たして、どれだけの夢を渡り歩いた先になることやら……。


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