間話 其の一
夢、と言うものを、ご存知だろうか。
ああ、願い事の方じゃない、至極当然の、睡眠中に見る夢の方だ。
神経生理学によれば、レム睡眠中に大脳新皮質等により引き起こされる、過去の記憶やその統合、外的刺激によってもたらされる映像としてのストーリーの様な物だ。
少なくとも現代に置いて、夢と言うものは、勿論未だ未知の部分こそあれ、科学的に説明の出来る現象となっている。
だが、それが、説明出来る現象にされているのだとしたら?
こんな話を聞いたことがないだろうか。
曰く、『この世界は大神が見ている夢に過ぎない』と。
これは、正しくは無い。だが、あながち間違っている事でもない。
今、この思考を覗き見している、君達の世界では、どうなのかはわからない。
だが少なくとも、こうして思考している私の世界では、そうであるのだから。
では、何が正しく、何が間違っているのだろうか、それは酷く単純な事だ。
逆なのだ。
我々の暮らす世界が、大神の夢なのではない。
我々が見ている夢、その中でこそ、彼等という神秘は存在できる。
夢の内容を覚えていないのは、それが脳の記憶領域に留まらないというだけでなく、彼等の介入、そしてそれに伴い生ずる、不特定多数の他者の夢との接続の記憶を、脳の機能保護の為にシャットアウトするからだ。
かつては、夢とは神聖視され、一国の行く末を左右する事などそう珍しくは無かった。
今、君達が書物として目にする神話の世界でも、それはきっと変わらないであろう。
彼等は、夢の中でのみ我々と直接コンタクトを取り、助言を与え、神託を授け、間接的に我々の世界を掻き回して来たのである。
それも、今の時代となっては、夢を神聖視する風潮も薄れ、忘れ去られようとしているが……。
しかし、彼等は消えた訳ではない。
彼等は今なお我々の夢に住み着き、我々には理解、否、認識できない高次の価値観で存在している。
そして、夢に住まうのは、彼等だけではない。
今ではもう殆ど存在しないが、彼等に憧れ、その神秘を求めた人間の成れの果てが、夢を彷徨い続けている。
夢を渡るようになった神秘の信仰者は、もはや他者の夢にしか存在する事ができず、それゆえ、彼等は孤独を恐れて仲間を求める。
私は、それを嫌悪する者である。
既に私の肉体は
そうだな……神秘の抹殺者、狩人とでも、呼んでくれ。
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