第4話 相原伊咲
『今どこ?』
伊咲からメッセージが届く。
『帰宅中』
短く返信するとまたすぐに折り返しが入る。
『一緒にご飯食べない? 未来の部屋まで戻っておいでよ』
来た道をちょっと振り返る。が、結局一縷は立ち止まることなく、そのまま帰路の途中にある濠のある公園に入った。
『ごめん、もうアパート近くまで帰っちゃった』
間髪おかず再び返信が届く。
『じゃあこっちが一縷のところに行くよ』
『わざわざ?』
『うん。イヤなの?』
『別に』
『じゃあ三十分後』
『わかった。何か買っとく?』
『いい。近くに着いたら連絡する』
『うん』
(場所わかるのか?)
一瞬そう思ったが、じきにふたりのことは頭の中から存在が消えた。
公園はもともと大きな
アイコンにはさまざまな顔・が並んでいる。律儀に本人の顔写真をそのまま使っている者、デフォルメした顔、友だちと並んで写した顔、蒸気機関車? ギター、アニメ、なぜかサンダル?…… そして涼音は異国の風景を使っていた。それはおそらく北欧のどこかだと、行ったこともないのになぜか一縷はそう直感した。
(メッセージしてみようかな…… )
しばらくスマホの画面を眺める。時折ふうっとため息をつく。
結局、何もせぬまま、一縷はスマホをポケットに仕舞った。
濠の周囲をジョギングする連中がいる。公園の傍にあるマンモス高の武道場から、剣道部員たちの甲高い声と竹刀を弾く音が聞こえてくる。キャンパスとの往復で立ち寄るこの東屋が、一縷は意外に気に入っていた。
その時、スマホが鳴動する。
『商店街まで来たよ。買い物するから付き合って』
(早いな…… )
伊咲からのメッセージ。一縷は現実に戻り、彼女の待つ商店街の入り口に急いだ。
「あれ? 未来は?」
伊咲の姿だけを認めた一縷は不思議そうにそう訊いた。
「来ないよ」
「なんで?」
「なんでって誘ってないし」
「だからなんで?」
「なんでって、誘わなきゃいけないの?」
「あとで文句タラタラ言われるぞ」
「言わなきゃわかんないよ」
「なんで?」
「なんでってなんで?」
「なんで言わないのかってこと!」
「もう…… いちいちなんでなんでってうるさい!」
そう言うと、伊咲は商店街に向かって歩き始めた。一縷も渋々あとを追う。だが、彼女との距離は縮まらない。すると突然伊咲が立ち止まり急に後ろを振り返った。
「何が食べたいの⁉」
訊いている、というより怒った声に、一縷はう~んと唸りながら、そのまま彼女の横を通り過ぎようとした。
「ねえ‼」
伊咲が怒った声で呼び止める。一縷は速度を落としながらも歩みを止めず、そのまま商店街の中を先に進んだ。しばらく歩いた彼が今度は後ろを振り返る。その視線の先にはさっきと同じ場所に立ち止まったままの伊咲がいて、じっと彼を見ている。一縷は俯き加減に後戻りした。
「なんだよ」
「…… なんでもないよ。ここのお惣菜でいいかなと思っただけだよ……」
「わざわざここまで歩いてきて、また揚げ物?」
一縷はうんざりといった表情をわざと作ると、意地悪く伊咲の顔を覗き込んだ。
「そうだよ…… 私は食べてないし…… 」
いつも強気な伊咲だが、今は心なしか瞳がうるんでいるように見える。
「そんなに怒るなよ…… ほらほらどれにする?」
一縷はさすがに意地悪し過ぎたと思い、柔らかい笑顔をつくった。さり気なく伊咲の肩に手を回すと、一緒に総菜の品定めを始めた。
仄かな甘い香りが伊咲の首筋から漂った。慌てて一縷は彼女から手を離すと、適当に惣菜を選び、あとは彼女に残りの買い物を任せ、黙って彼女に従った。
商店街は夕方の買い物客で騒々しく、ふたりに目を止める者もない。
買い物を終えると黙って並んで歩いた。
商店街を抜けて真っ直ぐ進むと古刹に突き当たる。その周囲を巡るように路地を歩くと一縷の借りたアパートの前に出る。ふたりは無言のまま部屋に入った。
買ったばかりの揃い茶碗と箸を洗い食事の用意が始まる。台所に立つ伊咲の後ろ姿に一縷は一瞬だけ目を留めたが、すぐにやや苦々しい顔になって目を逸らした。
「やっぱマジで無視しちゃマズイだろ?」
「誰を?」
「未来だよ」
「なんで?」
伊咲は振り返ることなく短く返す。その返事に肩をすぼめた一縷はスマホを取り出し、ジャーナルのメンバーサイトをぼんやり眺め始めた。
「まあいいや、オレはどっちでも構わないんだけどな」
冷たい言い方だった。ひとり暮らしのアパートを訪ねてくれた異性にかける言葉の響きではなかった。
その言葉に伊咲は反応しない。包丁が野菜を刻む音だけがやけに大きく響き返った。
手際のいい彼女が、買ってきた惣菜とサラダ、スープを準備し終えると、小さなテーブルの上はそれなりに食卓の雰囲気になった。
「いただきます」
……
それっきり、ふたりは無言で食事をした。食べ終えても、うまく話題を見つけ出せないまま、それぞれ別々にスマホの画面を眺めた。
沈黙を破ったのは伊咲の方だった。
「さっきのサークル、入会するの?」
スマホを眺めながら伊咲が問いかける。一縷もスマホから目を逸らさず淡々と答える。
「うん。入会するもなにも、あの部屋に足を踏み入れたら当然のようにメンバー扱いされてた、アハハハ」
一縷の乾いた笑いを無視して、伊咲はさらに訊く。
「あの女の人、なんとなくおばさんに似てない?」
「似てねーよ」
ぶっきらぼうに一縷は吐き捨てた。
母親……
母親は最後の最後まで一縷が地元の大学に進学するものと思っていたらしく、一縷の留守中に受け取った合格通知書を手に、わなわな震えていた。その母親に似ている……
一縷はスマホをベッドに放り出し、伊咲の顔をじっと見た。
「シラケる話はするな、あんな……」
一縷は言葉を飲み込んだが、幼い頃の思い出が抜けきらない伊咲は「おばさん」の話題に差し障りを感じない。
「うん…… でも、おばさんから一縷をよろしくね、って頼まれたし……」
「おふくろの話はするな! 二度とするな!」
一転、今度は強い口調で一縷は念を押した。伊咲は驚いた表情になったが、やがて心配そうな顔になり、一縷に問いかけた。
「…… 本当に何かあったの? ずっと気になってたんだよ。ずっとだよ」
一縷は一瞬、伊咲を強く睨んだ。しかし、すぐに視線を彼女から逸らすと、ベッドの上のスマホを再び手に取り、無表情に画面を触り始めた。
「一縷…… 変わったよ、急に。前はもっと楽しそうだったのに……」
伊咲の顔が曇った。一縷の変化が理解できない、そんな表情だった。
「ふん…… 楽しい、ね」
一縷はスマホの画面に目を落としたまま、皮肉な笑いを零す。
「あのサークル楽しそう? ちっとも楽しそうにみえないけど」
「アハハ…… 楽しい、の意味がまるで子供だな」
「…… 」
「まっ、幼馴染だしな」
一縷はスマホに目を落としたままだ。
「そうだよ。だけど、私は幼馴染としても一縷が気になるんだよ」
一縷が顔を上げると、一筋だけ涙を流している伊咲の顔がそこにあった。
「…… 」
再び長い沈黙がふたりを隔てた。
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