第31話 廻りたがる性分

それきり牢獄の前に人は現れなくなった、

一行式からはじまった十行式を終えた後、

描いた何もかもがつながりを持たないバラバラに戻っていく、

本来ならこれを紡ぎ直すのが編者の力であり、

そして文士はない物を紡いで生き延びてきたのが本来のところ、

にもかかわらず、一行式から十行式までが一つながりとならず、

まったくのばらばらではもともこも無いのではないか?

「間違えたのか術を」

文章を書く上で短い行は覚えが効く、

長くなればなるだけ興味が薄れ覚えが効かなくなる。

好奇心も短い行には注がれるが、

長くなればなるだけ、眼が滑りがちととなり価値も薄れる。

名文と呼ばれるものがあるなら恐らくその要素をうまく理解し、

組まれた文章のことを指すのだろう。

「間違えだらけであったな悪竜よ」

いまや悪竜は資本にしかならないものに化けたが、それを知っていても、

超大国ユジリアに挑んだ自らの想いだけは残っているらしく、

勝手の悪いものだとトンベンマガスガトリクトを思い出す。

「初めから間違いだったのならば、すべてが過ちとして」

なにもかもを飲み込んでしまえばよいものをと思う、

チカラが暴発する度に、また違う場所で何かが食われる音もすれば、

間違いが正された音もするというのだから謎である。

「見えるものが何もかも真実ならここに見える景色もまた」

閉じ込められた空間だけが残っている、

三歳児が暮らす世界に三十を越えたものを閉じ込めておく術を、

世界は持っていて、未だにそれを行う、人間は歳を取ったのならば、

寝て起きて寝るという単純な動作の間にも、とてつもない軌跡を、

描いて見せるのが基本であるはずなのに、また折りたたまれてここに至る。

空想が想像が思いが大きくなるほどに小さくなっていく自己がある。

世界が大きいと知ったとしても、自分が大きくなることは無い、

与えられたのは三歳児のケージであり、その中に自らを閉じ込めて、

出られないようにふさいでしまった、あらゆる経路は地獄のように、

連綿と自らを終わらせるまで続いていく、何の刑なのだこれは?

「わからぬ、が、救いもあるのだろう」

自ら重い念じ、文をしたためる場があるのならば、自らの想いに沿って、

再び、この場から外へ外へと向かうチカラを働きかけて、出ることも叶う、

それだけが今この場から見た世界の感覚であった。

「わたしは一等文士ではなかったのか」

文章を書くたびに遅れを取ることになる、取り戻せないものがあまりにも、

多すぎて、自らの世界に没頭できるものが一方的に手に入れるのが基本。

どうすれば、よくなれるのかも分からないまま、趣味に没頭することが、

生きるための手段として、人々の足元に与えられた。

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