第213話 心配

『……助太刀? 豚鬼オークが、私たちに?』


 困惑しつつそう言ったヤーセニに、ふさふさとした豚鬼が言う。


「ふむ、この森にも豚鬼はいるだろう? 関係が良くないのか」


『関係って……豚鬼とはまるで話が通じないわ。奴らは、他者を食い物としか考えていない、野蛮な魔物よ』


 ヤーセニは心底侮蔑を込めた声でそう言った。

 事実、嘘は何一つとして言っていない。

 この森、ファジュル大森林にも豚鬼は住んでいるが、彼らは他の動物や魔物を食い散らかし、ありとあらゆる生き物を苗床として繁殖する存在だ。

 女王が言うには、かつての豚鬼には理性的な者も少なからずいたし、他の土地にはそのような豚鬼もいる、と言うことだったが、この大森林から出たことのないフーやヤーセニのような森精霊にとっては、豚鬼というのはとてもではないが精霊と反りが合うような存在ではなかった。

 当然、こういったタイミングで助けに来てくれることなどまずなく、あるとすれば弱った精霊を食い物にするために襲いかかってくる、というくらいだろう。

 だが、現実に目の前の豚鬼は、自分たちを助けに来たという。

 それが本気であることは、邪精霊とフーたちのちょうど中間に、フーたちを守るように仁王立ちしていることからも明らかだった。

 普通の豚鬼とは違う?

 と言うことは、この森のものではなく、他の土地にいるという、理性的な豚鬼だと言うことだろうか。

 だから見た目も違っていると言うことか。

 ファジュル大森林に住う豚鬼は、体毛などほとんどなく、ピンク色の肌を晒して、粗末な衣服をまとい、武具は木製の棍棒、というのが普通だ。

 しかしこの豚鬼はそれらとは明らかに異なる。

 まるで北の大地に住む狼たちのようにふかふかと密集した体毛を持ち、身に纏っているのは民族的な意匠の刻まれた文化的な衣服だ。

 その下には動物の革を加工して作られたと思しき鎧を纏っていて、手に持つ武器は立派な金属製の槍である。

 誇り高い戦士。

 豚鬼とはまるで思えないそのような姿に、ヤーセニとフーは普段、豚鬼たちに対して抱いてる嫌悪感を、かの豚鬼に対しては一切感じなかった。

 それどころか、振り返って見せたその瞳の中に宿る、厳しいながらも優しさも含んだ瞳には何かすがりたくなるようなたくましさすらあった。


 ……いや、豚鬼に対して何を考えているんだ。


 そう思う反面、この豚鬼が助太刀してくれると言うのなら心強いと心から思い、ヤーセニは言った。


『もし本当にそうしてくれると言うのなら、ありがたいわ。でも今は女王が危ないの。どうか、私たちのことは放っておいて、そちらに……』


 この言葉にフーが、


『ヤーセニ! でも私たちもこれじゃあ……』


『フー、私たちだけ生き残っても仕方がないじゃない。』


『ま、確かにそうだね。仕方がないか……そこの豚鬼殿。私らのことは放っておいて、女王の方を頼むよ。なんとか、こいつらだけは差し違えてでもやるからね』


 強がってそう言った二人に、しかし豚鬼は笑って言う。


『この森の精霊は皆、面白いな。いずれも仲間思いで、覚悟がある。その心意気に従って、ここは女王ロサのところに行くべきなのだろう……だが、その必要はない、と言っておこう!』


 いいながら、突然の闖入者に対して観察を終えたらしい邪精霊が三体まとめて襲いかかってきたのを軽く打ち払いながら、豚鬼は言った。

 ヤーセニが首を傾げて、


『必要ないって……それはどう言うこと?』


 そう聞いたが、そこに邪精霊が襲いかかってこようとする。

 

『ヤーセニ!』


 フーが水の矢を放つも、それを巧みに避けてヤーセニの直前まで来た邪精霊。

 そのまま腕を剣状に変化させて、ヤーセニの胸元を狙った。

 しかし、豚鬼のお陰で複数体相手をする必要がなくなったため、精霊術によって木盾を召喚し、それでもって邪精霊の一撃を弾くことに成功する。

 ただ、それだけで諦める邪精霊ではない。

 弾かれた勢いを利用し、回転して横に凪いでくる。

 あれが命中したところで、ヤーセニが消滅するほどではないが、しかし多少削られることは否めないだろう。

 精霊は人と違って、体のどこかを切り落とされてもそのうち回復するが、その傷が深ければ深いほど、長い年月を要する。

 十年二十年はかかることもザラだ。

 それだけの傷を負いかねない一撃に思えたが、しかし、あれを受けた後に反撃に移れば、おそらくあの邪精霊を滅ぼせる。

 そんな道筋も見えた。

 ヤーセニは自らの足を一本諦めて、賭けに出る覚悟を決めた。


 しかし。


 邪精霊はヤーセニに一撃喰らわせる前に、ふっとかすみのように消滅してしまった。

 一体何が起こったのだろう?

 そう思ってよく見てみると、邪精霊のいた場所に、真っ直ぐに伸ばされた槍の穂先がいつの間にか出現していた。

 見れば、その向こう側には、豚鬼の姿がある。

 ヤーセニの危機に素早く反応し、邪精霊の核を穿ったのだ、とそれでわかった。

 恐るべき早業だ。

 同時に、もう二体いたはずの邪精霊の姿を探したが、それももういない。


『他の邪精霊は……?』


 首を傾げたヤーセニに、


『もう倒したよ……そこの豚鬼殿がね』


 フーが呆れたように、しかし嬉しそうな声でそう言った。

 先ほどまでの苦戦が嘘のように、邪精霊たちを倒し切れたからこそだろう。

 精霊二体がかりで苦戦するような相手を、たったの数手で倒し切った豚鬼は、


「無事か?」


 と尋ねてきた。

 やはり、どこまでもこの森の豚鬼とは性質が違う。

 十分に話が通じると判断して、ヤーセニは言う。


『……豚鬼殿。危ないところをありがとうございます。助かりました。見ての通り、私も、フー……こちらの水精霊も無事です』


「ならばよかった。俺の手助けは余計だったかもしれないが……」


『いえ、全くそんなことは』


 ヤーセニに続き、フーも、


『旦那がいなかったら私らは消滅してたね。助かったよ』


「そう言ってもらえるとありがたい」


 感謝されても自分を誇らない豚鬼に、フーは呆れて、


『全く豚鬼らしくないが……私たちの感覚が偏見なのかもしれない。おっと、そうだ。それより……さっきのことだ』


「ん? なんだ?」


『女王については心配いらないって言ってただろう? どうしてだい?』


「あぁ、それか。簡単なことだ。今回、俺は俺以外に二人の仲間と共にやってきたのだが、そのうちで最も強い者が女王の元に向かっている。俺など足元にも及ばん使い手だ。逆に言うなら、あの者でダメなら俺が行ったところで無駄だな」


 その言葉にフーとヤーセニは顔を見合わせる。

 お互いに言いたいことがそれだけでわかった。

 これほどの力を持つ豚鬼をしてここまで言わしめる実力者とは一体どんな者なのだろうか、と。

 

 まさかその人物が、ただの普人族の子供だとは、夢にも思っていない二人なのだった。

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