第207話 懇願
『……うぅ……』
しばらくして、オルキスがゆっくりと目を開いた。
気絶させたと言ってもそんなに思い切りダメージを与えた、とかそんな感じではなかったようだ。
まぁ、同族に対してだし当然か……。
「目が覚めたか」
俺がぼんやりとした視線を向ける精霊の少女にそう尋ねると、彼女は、ハッとして、
『ロサは!?』
と尋ねてきた。
これにはネージュが答える。
「軽鎧を着た精霊が迎えにきて、行っちゃったの。貴女のこと、よろしくだって」
『……そんな! 私も、私もいかないと……!』
そのまま浮かび上がって、浮遊島を飛び出して行こうとするオルキスだったが、
「ちょっと待った」
と言いながら鎖を伸ばして体に巻きつけて止める。
魔術の鎖で、不可視の存在……基本的には死霊だが、精霊などにも通用するものだ。
まぁ、精霊には普通に魔術や魔術のかけれた武具が命中するのでそれほど特別なものには見えないだろうが。
だからだろう。
オルキスは、
『どういうつもり!? こんなもの……えっ、嘘、全然解けない……!?』
外そうとしたがそれが全く出来ずに驚愕していた。
「アインの魔術から逃げようなんて、とてもじゃないけど無理なの。針の穴に牛でも通す方が簡単なの」
俺の魔術に倒された経験があるネージュが、感慨深い様子でそう言った。
『何を言って……あぁ、でも本当に解けないわ……どうしてよ。たかが人間に……』
ナチュラルに人間を見下す感じがあぁ精霊だな、というちょっとした懐かしさを感じるが、侮蔑的な感情は感じない。
単純に、精霊に人間が魔術的能力で敵うハズがない、と思っているのだろう。
一般的な魔術師についてはそれで間違いではないだろうが、オルキスについては経験不足もあるだろう。
高位魔術師なら普通に精霊を倒したり捕らえたり出来るものはそれなりにいる。
今の時代にもいないことはないだろう。
「その辺りについては後で説明してやるが……それよりも今はもっと大事なことがあるんじゃないか?」
俺がそう言うと、オルキスは思い出したように、
『そうだったわ! 人間! これを外しなさいよ! ロサが……仲間たちが危ないの! 助けに行かないと……!』
と言ってくる。
命令のような、しかし半ば懇願だった。
なぜそんなに必死なのか、といえば大体想像はつく。
ただある程度事情は聞いておきたかった。
それはカーも同じようで、オルキスに言う。
「助けに、というが……先ほどの精霊殿は貴方に助けに来てほしいわけではないようだったが? ここにいろと、そういう話をしていたぞ」
これはオルキスにとって痛いところだったようで、ぎりり、と唇を噛みながら、
『……そうよ。ロサは、女王は私に、自分たちが滅びても、ここを新天地として繁栄しろと、そう言ったわ……』
「ならばそうするのが正しいと思うのだが……俺たち豚鬼でも、自らの一族が滅びに瀕した時は、一部の仲間たちを逃し、一族が生き残る望みを託すぞ」
『そうかもしれないけど! 仲間が危ないのに自分だけ安全なところに逃げるなんて、そんなことできると思うの!? 私は……そんなのいや!」
「……ふむ。それもまた一理ある……あのロサという精霊殿は精霊らしからぬ方だったが、こちらはこちらで別の意味で精霊らしくないな」
独り言のように言ったカーの言葉に、確かに、と俺は思う。
精霊はどっちかと言うとあまり感情的にはならない。
感情がない、と言うわけではないのだが、長い年月を過ごすうち、そのようになっていくのだ。
特にこの世界での彼女たちの役割が、自然などの均衡の維持にあるため、合理的な思考に傾きやすいのだろうと言われる。
ただ、このオルキスという精霊は、まるで人間のように感情豊かだ。
ロサが言っていたように、一族の中でもっとも若いから、というのがその原因だろう。
ただ、若いながらも下位精霊、というわけでもない。
下位精霊、というのはこう、色のついたただの光のようなもので、意思も希薄、というものだからだ。
こうして、人のような姿をとれるということが、彼女が下位精霊ではないことを示している。
最低でも中位精霊以上だろうな。
まぁ、それはいいか。
それよりも……。
「オルキス、と言ったか。君の気持ちは理解した」
そういうと、オルキスはパッと表情を明るくして、
『えっ、じゃ、じゃあこの鎖を解いてよ! お願い! 早くしないと……!』
「いや、その前に状況を説明してくれないか? あのロサという精霊と君の話から、邪精霊との戦うつもりだ、というのは理解したんだが……それはしばらく前からそうだったんじゃないのか?」
そう、だとすれば今になっていきなり焦るような話でもないはずだ。
ロサとオルキスの間で、オルキスがここに来る事についても話はついていた、というし、それは邪精霊との戦いが行われている中でも、オルキスはある程度納得したということだから。
それなのになぜ、今日になって突然……というのは少しだけ疑問だった。
これにオルキスは、
『それはそうよ。私たち森精霊と、邪精霊の戦いはここ一年くらい続いていたけど……どっちも一進一退だったわ。邪精霊は、そうなった時点で自らの役目を捨てるから、その力は普通の精霊よりもずっと強くなるけれど、それでも私たち森精霊には地の利があったから。私たちにも被害はゼロとは言えないまでも、そのうち力を削って勝てる可能性もあった……でも、今日になって突然、奴らの力が増したの』
「突然? 一体なぜだ?」
『分からないわよ! でも、急に邪精霊の一部が大聖樹のところまで現れるようになって……! ロサたちは大聖樹を守るために、戦ってるはず! だからいかないとならないの! 確かに私一人行ったところで大したことはないかもしれないけど……それでも戦力は一人でも多い方がいいでしょう!? ここで、一族を途絶えさせないために私が居着くというのも、ロサが考えた末での結論だっていうことはわかってる! でも……そんなの……私は!』
悲痛な声だった。
本当に、精霊らしくない精霊だった。
ただ、俺は思い出してしまった。
かつての……追い詰められた魔族たちのことを。
あの頃、魔族は皆、こういう気持ちで戦っていたのではなかったか。
合理的に考えても、ロサの気持ちを考えても、オルキスをここで行かせるべきではないだろう。
ただ、そういうのは正直、糞食らえというものだ。
ここまでも気持ちを示されたのでは……。
そんな俺にネージュが言う。
「アイン。ここから下に行くなら、私の背中に乗っていけばいいの」
「ネージュ……」
「邪精霊は私も嫌いなの。ああいうのは食べるに限るの」
「……食うのか」
「グースカダー山にもたまに出るから。でも精霊と戦えるほどいっぱい来るのは珍しいし、ちょっと気になるの」
「よし、じゃあ、頼む。カーはどうする?」
「ん?」
「俺たちはこれからこの浮遊島の下……ファジュル大森林に行ってくる。多分……というか、間違いなく戦闘になるだろう。オルキスの言う通り、戦力は多い方がいいだろうし、加勢してこようと思うんだが……」
「なるほど。では俺も行こう。山の外の者がどれほど強いのか、この身で味わってみたい」
そんな風に俺たちが話していると、オルキスが、
『あっ、貴方達、何を言っているの!? 普通の人間が行ったところでどうにかできるような状況じゃないのよ!?」
そう叫んでくるが、その瞬間、ネージュが変化し、雪竜の姿に変わり、そして俺がカーを雪豚鬼の姿に戻す。
それを見て絶句するオルキスに、
「……見ての通り、普通の人間じゃないんだ。まぁ、俺は普人族だけどな」
そう言ったのだった。
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