第206話 願い

「む、オークか?」


 話していると、妙齢の女性が近づいてきてそう言った。

 もちろん、こんなところに普通の人間がいるはずもなく、俺にこの浮遊島を譲るまで管理し続けてきたフリーダである。


「いかにも俺はオークだが……この方は?」


 俺と、フリーダ、それにネージュの全員に尋ねるようにカーがそう言ったので、俺が答える。


「あぁ、これが話したフリーダだよ。この浮遊島をずっと昔から管理し続けてきたらしい人形だ」


「何……っ!? これが、人形だと……? どう見ても普通の人間にしか見えん。魔術で作った人形には独特の気配があるが、それもないし……」


「へぇ、カーは魔術で作った人形を見抜けるのか」


「およそ一般的なものであればな。スティーリアはまさにそういうものを使ってくることもあったから、必要に駆られて覚えた技術だ。他のオークには無理だろう」


「それを聞いて安心したよ」


 そういうことなら、テオにも無理だろうからだ。

 練習すれば出来るようになってしまうのかもしれないが、そんなことをさせる気は今のところない。

 バレる可能性がある、と言っても今のところは過度に心配しているだけだろうという感覚があるが、見抜き方を教えてしまったらそんなこと言ってられないからな。


「……アインよ。わしにもこのオークを紹介してくれぬか?」


 今度はフリーダの方がそう言ってきたので、俺は言う。


「おっと、そうだったな。このオーク……厳密にいうと、雪豚鬼スノウ・オークは、カーという。アサース大陸はポルトファルゼの近く、グースカダー山に住む一族でな。色々と理由があって友人になったんだ」


「ほう、アサース大陸の……しかし雪豚鬼、か。特殊な進化を経た一族なのじゃな」


「あぁ。グースカダー山には雪竜が住んでるからな。その魔力を受けて、長い時間をかけてそうなったらしい」


「雪竜……真竜か。とてつもない力を持つ高位存在じゃな。なぜそんなものが住まう土地に行ったのかは知らぬが、アイン、流石にお主ほどの魔力を持っていても、危険な相手じゃ。気をつけるのじゃぞ」


 フリーダがそんなことを言っていたので、俺は一瞬首を傾げる。

 するとネージュが俺の耳に口を寄せて、


「……そう言えば名前は教えたけど、正体については言ってなかったの……」


 言われて思い出してみると、確かにネージュが真竜だとは一言も言っていなかった気がする。

 フリーダとしても、ネージュは俺にくっついてやってきた友達、くらいの認識だったのかもしれない。

 精霊が見えるところくらいは見せていたが、精霊は子供には比較的見えたりするものだしな……。

 このまま勘違いさせたままでも別に構わないだろうが、後で結局知ることになるだろうし、今のうちにしっかりと教えておいた方がいいか、と思って俺はフリーダにいう。


「フリーダ。それについては心配ないぞ」


「ん? どういうことじゃ?」


「それはな……」


 と、言いかけたところで、


『お取り込み中のところ、申し訳ありません。失礼しても?』


 と、浮遊島の外から声がした。

 俺たちがそちらに近づくと、そこにはつい先日出会った、森精霊と、そして彼女が連れてくると言った者だろう、同じく森精霊が浮いていた。

 先日出会った方は緑を基調とした羽のような服装だが、もう一人の方は紫がかった花のような色合いの、しかし薄手の服を纏っている。

 

「あぁ、来たか。そっちが先日言っていた……?」


『はい。私の眷属のオルキス、と申します。オルキス、この地の主殿にご挨拶を』


 そう促された森精霊は若干不服そうに、


『どうして私が人間なんかに遜らなきゃならないのよ! いや! 移住したいならロサがすればいいわ!」


 と叫んだ。

 そんなオルキスに、俺が先日あった方の精霊……ロサは、呆れたような声で、


『私には邪精霊たちとの戦いを指揮する役割があります。ですから、それは出来ないのです』


『私も戦うわ! 私だけ逃げるなんて……』


『貴女が私の眷属でもっとも若く、将来があるのです……このことは何度も話しましたよね。そして、言うことを聞かないのであれば、手段は選ばない、と』


『ど、どうするのよ』


『こうします』


 ロサがそう言った直後、彼女の体からトゲのついた蔓のようなものが伸びてきてオルキスを縛り上げた。

 さらに、その瞳から圧力のようなものが放たれて、オルキスに命中すると、


『うっ……』


 と、一瞬オルキスが呻き声を上げて、意識を失った。

 どうやら気絶させたらしい。

 その状態でも精霊だからか、ロサの力によるものか、空中に浮き続けているが……。


「どうも話がついていなかったようだが、いいのか?」


 俺がロサにそう尋ねると、ロサは懇願するように言う。


『申し訳ありません。しっかりとついていたはずなのですが、ここに来る前に少しばかり問題がありまして……ですが、この娘も基本的にここに来ることに異存はないのです。どうぞ、お受け取りください』


 そう言ってふよふよとこちらの方にオルキスがゆっくりと飛んできた。


「おっと、フリーダ。結界はどうやったら通れる?」

 

「それくらいのことなら、お主が頭の中で思うだけで問題ないぞ」


「何……? 本当だ」


 言われた通りにすると、オルキスの体が結界を通り抜けてこちらに入ってきた。

 それを見たロサは安心した顔で、


『お受け取り、ありがとうございます。これで安心出来ます……』


「あんたはこれからどうするんだ?」


『私は……』

 

 ロサが言いかけたところで、彼女の横に葉っぱが竜巻のように現れ、そしてそこから別の森精霊が現れた。

 ロサとは異なり、勇ましい姿で、弓を背負い、細身の剣も装備している。

 軽装ではあるが、鎧も纏っていて、物々しい。

 そんな森精霊がロサに言った。


『女王。邪精霊共が……』


『分かったわ。今すぐに向かいます。では、アインさま、それにそのご友人の方々。私はいかねばなりません。どうぞ、その娘をよろしくお願いします』


「あっ、ちょっと待っ……」


 最後まで言い切る前に、ロサは儚げな笑みを浮かべて、精霊らしからぬ深く頭を下げた礼を見せて、その場から消えてしまった。


「……行っちゃったの」


 ネージュがそう言ったそのとき、この場に残されていたのは、簀巻にされたオルキスただ一人だった。

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