第208話 精霊の敵
『……大聖樹さま。どうぞ、私たちの戦いをお見守り下さい……』
神聖な力を発している大きな樹木の前で、ロサが跪いて祈り、そう呟いた。
ファジュル大森林、その最奥に巨大な樹木が生えている。
幹の太さは森に生えるどんな樹木よりも太く、その高さもまた同様の、目を見張らんばかりの立派な木だ。
その名は大聖樹。
ファジュル大森林に古くから存在する樹木であり、この森に住う精霊たちが従う大精霊の現し身でもあった。
大精霊は通常の精霊とは異なり、世界の存在維持にその力のほとんどを傾けるため、ロサやオルキスのように行動することは出来ず、このような強い存在力を持つものに宿り、静かにこの世界を見守る。
それが大精霊のあり方だ。
そしてそれに従う下級精霊たちは今、この大精霊を守ることに全力を注いでいた。
ファジュル大森林最奥に存在する大聖樹を中心とする空間は、普段は大聖樹の、そして精霊たちの力によって邪なものは誰であっても立ち入れぬ結界が張られている。
しかし、今はその結界がほとんど意味を成しておらず、邪精霊たちが大聖樹の周囲に頻繁に出現するようになっていた。
この地に大聖樹が存在し始めたときから数えても、滅多にない危機だった。
ロサは、今までこの地に住う精霊たちを指揮し、それらの邪精霊たちを退けていたが……そろそろそれも厳しくなってきていた。
だからこそ、突然現れた光明に縋ったのだ。
そしてそれは成功した。
だから、この場でたとえ、全員が全滅しても……まだ先はある。
覚悟は決まった。
『……女王。ついに、結界の一部が破られました! 我々は最後までここで戦いますが、女王はお逃げください……! そして、次代の大精霊として、世界の維持を……!』
ロサの前に、物々しい姿の精霊が出現し、跪いてそう言った。
しかしロサは首を横に振って答える。
『いいえ。私も戦います。かくなる上は……相討ちしてでも邪精霊共を全て滅ぼすのです』
『しかしそれでは、世界が……!』
『それについてはオルキスに託しました。すでに邪精霊共の手の届かない地に送っています。ですから私たちがなすべきは、あの邪精霊の軍勢をどうにかすること。いいですね?』
『……承知しました!」
そうして、跪いていた精霊は木葉の吹雪とともに姿を消した。
前線に向かったのは疑うまでもない。
ロサもまた、何もない空間から槍を手にとり、戦装束を身に纏って待ち構える。
前線に直接出ないのは、ここ、大聖樹の下が最も危険であるからだ。
他の精霊たちは、周囲に出現する邪精霊たちを一匹ずつ潰していくことに注力しているが、ロサがやるべきことはここを守ることだ。
今は確かに何もきていないが……いずれ最も手強い敵がここに現れる。
それをロサは確信していた。
何故なら、邪精霊たちの目的は、大聖樹にあることは以前からはっきりしていたからだ。
彼らと戦うたび、精霊から逸脱してしまった存在であるが故の、狂った思考と口汚い口調ではあったが、確かにそんなことを叫びながら襲いかかってきたからだ。
しかしそれでも、一体何のためにそんなことをするのか、というのは未だにわかっていなかった。
大聖樹は大精霊の依代。
大精霊は世界を維持するために日夜その力を発揮し続けているのであって、それを滅ぼすというのはこの世界そのものを危うくすることに他ならない。
確かに大精霊は大聖樹に宿る一体だけではなく、大聖樹がなくなったところですぐに世界が滅ぶ、ということはないだろうが、それでも滅びに一歩近づくことは間違いない。
つまり、邪精霊たちの行動は、世界を滅ぼそうとするものに他ならないが、いったい何の為にそんなことをするのか……。
本当にただ、この世界を滅ぼしたいだけなのだろうか。
しかし、たとえ邪精霊となろうとも、元々は精霊だった者たちがそのような考えに至っているとなど思いたくないロサだった。
たとえ行動から見ればそうとしか思えないにしても。
『いえ……考えるだけ、無駄かもしれませんね』
そう呟いたロサの前に、突然、真っ黒な竜巻のような力の渦が発生した。
ロサは槍を構え、身に力を入れた。
明らかに何者かがそこにやってこようとしているからだ。
邪精霊たちは、どうやってなのか、今日からこのようにして結界の内側に入ってくるようになったのだ。
今まではあくまでも結界の外でしか戦いは行われず、精霊たちも厳しくなったら結界の中に撤退するという戦法をとれた。
しかし、こんな風に結界内部にまで侵入されては、それもできない。
それでも、結界それ自体は壊されていなかったので、大量の邪精霊たちが出現するということはなかったが、断続的に結界内部に出現し、精霊たちを削っていくそのやり方は、今まで均衡を保っていた戦況を大きく敗北に傾けるのに十分な力を持っていた。
それが故に、たったの一日で、精霊たちの勢力は疲弊し始めていた。
そもそも、精霊たちは人に比べて大きな力を持つことはもちろんだが、その力の源泉は住処とする場所に存在する自然などにある。
邪精霊が、ロサたちが住うファジュル大森林を徐々にその邪気で汚していった影響で、精霊たちの力はかなり削られていたのだ。
加えて、その最大の力の源である結界内にも現れたことで、邪精霊をたとえ倒すことができたとしても、清浄な空気を邪気で汚染していく。
それが彼らの戦略だったというのなら、元々、精霊たちの勝ち前はかなり薄かったのかもしれない。
ただ、今までそんな行動をとる邪精霊などいなかったのだ。
まさかこんなことになるとは、当初は全く想定していなかった。
いや、昨日まででも、同じことだ。
結界の内部に、邪精霊たちが入ることなどできるハズがないのだから。
それなのに……。
ただ、事実は事実として受け止めなければならない。
配下の精霊にも言ったが、かくなる上は、相討ち覚悟で戦うしかない。
目の前に出現するだろう邪精霊を、出現と同時に滅ぼす。
そのことだけを考えて、ロサは構えた。
しかし……。
『……邪精霊、では、ない……!?」
目の前の渦の中からのそり、と這い出してきたのは、漆黒の鎧を纏った何かだった。
「ん? コイツァいいなぁ! 森精霊の女王さまのお出迎えか? ハッ!」
そんなことを叫びながら構える鎧騎士。
ロサはそれを見て間違いなく手強い相手だ、ということだけを理解した。
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