第196話 奇妙な球体

 ほとんど崩壊している神殿の中を進んでいくと、思った以上に原型を残している部分がある。

 かつて、壮麗だった魔導神殿、その姿が思い起こされるような気がした。

 とは言っても、それでもほぼ崩れているのは間違いないが。


「アインは昔のここを知っているの?」


 俺の前をちょこちょこ進みつつ、様々なところを観察していたネージュが振り返って聞いてきた。

 俺とゲゼリング老の人形との会話を聞いて、そういうことだと理解したのだろう。

 ただ、それだけで俺がかつて魔王軍四天王の死霊術師だった、とまでは分かっていないだろうが。

 それでも、こんなに古びた神殿の元の姿を知っている、というだけで普通の人間であれば奇妙に思い、気持ち悪く思うか恐るかするだろう。

 しかしネージュは人間ではなく、常識もない。

 最近、人の街で生活して概ねの常識は身に付けつつあるとは言っても、その根底にあるのは真竜としてのそれだ。

 人間に対しては人間の常識で対応するネージュであるが、俺に対しては真竜の常識で対応するようなところが、ネージュにはある。

 ……俺は一応、普人族なんだけどな、と思わないでもないが、一度実力で持って彼女を屈服させているのは間違い無いので、俺はもうネージュの中では人間枠ではないのだろう。

 そこまで考えて、俺はネージュに答える。


「……あぁ、少し事情があってな」


 実際、簡単な言葉だったが、それだけでネージュは納得し、


「そうなんだ。やっぱり昔、ここは綺麗だったの?」


 と普通に質問してくる。

 なぜ知っているのか、とか、昔のことなのに年齢が合わない、とかそういう当たり前のツッコミはなかった。


「まぁ、美しいところだったよ。多くの魔族たちが祈りを捧げていて……普人族の持っている信仰心とは意味合いが大きく違っただろうけどな」


「それはよかったの。アミトラ教の人たちみたいに、大量にお金とか食べ物を置いていかれても困るの。お金は使い道があったけど、食べ物は……山なら凍って保存できるけど、ここだときっと腐るの」


 そう言えば、ネージュ……というか、ネージュの母親は信仰対象だったか。

 今はネージュがそれを引き継いでいるわけだが、食べ物などのナマモノは確かに捧げられても困りそうだ。

 色々と氷狼などの事情が分かった今なら、彼女たちに渡す、という選択肢もあるだろうけどな。

 ともあれ、グースカダー山の宗教事情はともかく、ここではそもそも信仰する者自体、もういない。

 俺はいう。


「ここは浮遊島だからな……本来この魔導神殿を使っていた人たちも、もうどこにもいない」


「そうなの? 魔族なら……魔人なら、飛んでこられそうなの」


「まぁ、無理ではないだろうが……そもそも、そう言えばネージュは魔人に会ったことがあるのか?」


 今まで聞いてこなかったことだが、魔人は今もいるのだろうか。

 真竜や魔物が普通にいることから、いないということはないだろうとは思っていたが。

 あえて聞いてこなかったのは、たとえ今いるとしても、かつての俺たちとは異なる存在だろう、という思いが強くなってきているからだな。

 生まれてしばらくの間はその存在を確かめたいと考えてはいたが……今となっては、会えるのなら一度くらいは会ってみたい、くらいのものだ。

 もちろん、ゲゼリング老の人形のように、かつての魔人の遺産があるのであれば是が非でも欲しいものだが……。

 ネージュは俺の質問に答える。


「あるの。でも、あんまり好きじゃないの。乱暴だし、その割にあんまり強くないし。喧嘩を売りにきて、山を寄越せとか言ってきたけど、少し《試合》をしたらすぐに逃げ帰ったの。カーやスティーリアよりも、手応え、なかったの」


 大分残念そうな口調で、内容もかなり残念なものだった。

 今の魔人はやはり、かつての魔人とは大分異なるもののようだ、というのがそれだけで察せられるからだ。

 かつての魔人も血の気は多かったが、真竜に対する礼儀くらいは持っていたからな。

 土地を無理やり奪ったり、などということも主義ではなかったし。

 もちろん人間との戦争の中で、戦略上必要な土地を奪ったりすることなどはしたが、それは戦争という状況の中では当然の話だ。

 そうではなく、土着の魔物などの土地を、という意味だな。

 まぁ、それはいいか。


「しかし、弱いのか、魔人」


「うん。アインよりずっと弱いよ。リュヌよりも弱いかも」


「……それは。まぁ、あいつもあれで一流どころだし、おかしくはないが……」


 弱体化している、とまでは言えないか。

 かつての魔人でも、リュヌレベルの実力者というのはそれほど多くはなかった。

 俺やゲゼリング老のような四天王クラスはもちろん例外的だったし。

 それを考えれば、普通の魔人の実力がリュヌに満たない、というのはおかしくない。

 ただ、真竜がいると分かっているところにその程度の力しか持たない者を送るというのは……。

 勝てるはずないのに、奇妙なことをするものだ、というのが正直な感想である。

 どんな考えか聞いてみたいところだが、本人がいないのでどうしようもない。


「まぁ、魔人のことは後で考えればいいか。それより、そろそろつきそうだな」


 薄暗かった視界が、徐々に明るくなってくる。

 何か明かりがある、というわけではなく、天井部分が開けて、太陽の光が差し込んでいる

空間が目の前にあるだけだ。

 比較的広い円形の空間で、中心には空中に浮かぶ奇妙な球体が存在している。

 色は漆黒で、材質は……なんだろうな。

 堅そうにも柔らかそうにも見える、不思議な触感をしている。

 大きさは、だいたい俺の身長程度であり、結構巨大だ。

 その球体の脇に、ゲゼリング老の人形が立っていたので、そちらに俺たちが近づくと、


「おぉ、やっと来たか。来ないかと思ったぞ」


「……それなりに心の準備ってものがあったんだよ」


「それほど臆病者には見えんが……慎重だということかの。まぁ、良い。それで、覚悟は決まったか?」


「何のだ?」


「この魔導神殿を復元する覚悟じゃよ」


「それは……まぁ、復元できるというのならしたいが。どうやってやるんだ? 大工よろしくこつこつ直していくのか?」


「そんなわけなかろう……やり方は簡単じゃ。この球体に触れ、魔力を注ぐのじゃよ。それだけじゃ」

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