第167話 合意

「食料? それでいいのか」


 かなり思い悩んでいる様子だったからもっととんでもないものを要求されることも考えていたが、思った以上に常識的な望みに少し驚く。

 食料など、それこそ彼ら氷狼ほどの強さであれば、簡単に入手できるように思うのだが……まぁ、この雪山では難しいか。

 しかしそれでも雪山を下りれば……とそこまで考えて、そういえば先ほど聞いた事情に、雪山を下りると弱体化してしまう、というものがあったことを思い出す。

 スティーリアは俺に言う。


『それでいい、というよりそれがいいわ。他の人間にとって価値あるものは……私たちにとってさほど意味のあるものじゃないもの』


 確かにそれはそうなのかもしれない。

 宝石や金が欲しい、という感じでもあるまいしな。

 もしも彼らが人間と交易しているというのであればそれもまた意味のあるものになってくるだろうが、スティーリアの話しぶりからして、誰かと対価を伴った契約をするのは初めてのようであるし、そうだとすれば実用品以外に価値を認めないというのはよく分かる話だ。


「そうか……一応聞いておくが、食料を手に入れたいのは……やっぱりこの山でそれを手に入れるのが困難なことと、山を下りること自体が難しいから、ということでいいか?」


『ええ。この山で食料を手に入れようとしたら、他の魔物と命を賭けた争いになってしまうし……かといって山を下りれば、弱体化してしまうかもしれない。こんな状況じゃ、食料以上に価値のあるものはないわ』


「やっぱりか……ちなみにだが、ネージュ」


 ネージュの方に振り向いて俺は尋ねる。


「なあに?」


「この山の魔物が山を下りると弱体化する理由、分かるか?」


「うーん……細かいことはわかんない。でも、お母様が昔言っていたのは、山を下りると私たちの加護から外れるって」


「加護から外れる、か……やはりな」


 まぁ、大体そんなところだろうとは思ってはいた通りらしい。

 雪豚鬼スノウ・オークの族長ハクムから聞いた話とも符合するし、この山の魔物にとって、雪竜の加護というのはかなり大きく影響しているようだ。

 ただ、細かなメカニズムなどは改めて調べてみる必要があるだろう。

 そもそも加護というのは強大な存在から下位の存在へ与えられる力の一つだが、かなり大雑把な言い方であって、仕組み自体については言及していない。

 たとえば広い意味では付与魔術も加護に入ってくる。

 しかし、ネージュなどの真竜がその治める土地にいる魔物に与える加護というのは、付与魔術とはまた異なる。

 神々の与えるそれに近く……と、話し始めるとキリがないわけだが、スティーリアやカー達のことを考えると後々研究しておく必要がある。

 短期的には問題ないだろうと思われるが、数年、数十年という期間、山から離れれば間違いなく影響が出るだろう。

 今すぐにどうにかしなければならないというほどではないにしろ、彼らの種族のためにもある程度の道筋はつけておきたい。

 他にも考えていることはあるし、そのためにも……。

 ともあれ、今は目先のことだな。


「よし。食料を契約の対価とする。それでいいだろう」


 俺が頷いてそういうと、ネージュが、


「……大丈夫なの? スティーリアたちの群れが生きるくらいの量の食料となると……結構な量になると思うの」


 と尋ねてきた。

 確かにそれはそうだろう。

 普通の狼の数倍の大きさであることだし、これが何十体もいればさもありなんという感じである。

 ただ、別に俺が直接それを用意するつもりではない。


「その辺りはボリスとの交渉になってくるだろうさ。雪晶が彼にとってどれだけの価値があるものなのか分からないが……それくらいは用意してくれるんじゃないか?」


「そうだといいの……」


 最悪の場合、俺が直接適当な魔物を狩って来るというのも手だが……運搬の手間を考えるとな。

 可能な限り商人に丸投げしておきたい部分である。

 そこはなんとか、うちの交渉担当に頑張ってもらうことにしよう。


『……これで話はまとまったと思って良いかしら?』


 スティーリアがそう言ってきたので俺は頷く。


「ああ、概ねな。後は人間の商人と俺たちが交渉して、お前達が求める食料を確保できるか、って話になってくる。ちなみにだが、群れの数と、必要な食料の量を聞いておいていいか?」


『ええ、群れの数は……』


 スティーリアがそうして話してくれた群れの数は思ったより少なく、二十匹ほどであり、食料の量もまた少なかった。

 これだけの巨体なのだからもっと大食らいなのかと思っていたのだが……。

 そんな俺の気持ちを理解したのだろう。

 スティーリアは言う。


『私たちは半ば精霊に近いから。魔素も取り込んで生きているの。その分、食料自体はそこまで必要としないわ。ただ、時期によってはどうしても沢山食べなければならないときがある……』


 これにネージュが納得したように頷いて、


「そういえば、今は繁殖の時期だったの。今年は一杯子供が生まれたの?」


『ええ、近年稀に見るほど数多くの子が。私の率いる群れは、私以外の雌は皆、仔を生みました』


「そうなの? 氷狼の仔はかわいいの。今度会いに行っても良いの?」


『も、勿論でございます……しかしその際は、出来ればそのお姿でいらしていただいた方が……いつののお姿ですと、群れの者たちも、子供たちも驚きますので……』


「分かったの。楽しみなの~」


 ……なんだか和やかなやりとりが行われているが、実際は強大な魔物の繁殖についての話なのだから、人間にとってみれば堪ったものではないかもしれない。

 ただ、氷狼は山から下りることも滅多になく、さほど下の人間達の脅威にはなっていないだろうし、問題はないだろうが。

 それから、スティーリアは改めて俺に言った。


『じゃあ、私はこれから群れの者たちに今回の話を伝えて来るわ。ネージュ様のお願いでもあるし、おそらく了承は得られると思う。ただ、細かいところはまた話し合いを求める場合もあると思うから、そこのところは分かっておいて』


「ああ、こちらも細かいところはもっと詰めたいし、そこはお互い様だろう。じゃあ、次に話し合うのは……とりあえず俺たちがボリス……商人と話をまとめた後、ってことでいいか? もちろん、契約自体はお前達との話もまとまってからのことになる」


『それでいいわ。それでは、ネージュ様、私はここでお暇させていただきます。またいずれ』


「分かったの~」


 手を振るネージュに頷き、スティーリアは風のようにその場から去って行った。

 それからしばらくして、


「……なんだよ。お前ら合流してたのか。ってことは……」


 そんなことを言いつつ、リュヌがやってくる。

 俺がリュヌに、


「ああ、もう氷狼は見つけたし、話もまとまったぞ。勝負は俺の勝ちだ」


 そう言うと、彼はがっくりした顔で、


「……こんだけ雪山を歩き回ってそりゃねぇぜ……まぁ、仕方が無いか。いい訓練にはなったが」


 そう言ったので、ネージュが気遣わしげに、


「……なんだか可哀想だから、頑張ったで賞をあげるの。お母様の秘密の武器、一杯あるし」


「俺からも魔道具をやるよ。流石にこの雪山じゃ、お前に不利すぎたしな」


「おぉっ! 太っ腹な主さまと真竜だぜ。こりゃ楽しみだ……」

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