第168話 首輪
「……この辺りなのー」
あれから、ネージュが自らの母親の秘密の武器庫に連れて行く、と先導し始めたので俺たちはぞろぞろとここまで着いてきた。
どうやらここが、ネージュの母の秘密の武器庫がある場所らしい。
しかし、一見して周囲に何かがあるという感じではない。
雪原と氷に覆われた氷壁、それから凍り付いた木々などしか見えない。
そんな辺り一面が雪に覆われた銀世界の中で、自分たちがどこにいるのかを理解するのは非常に難しい。
少なくとも単純な方法では無理だ。
俺の場合、視覚だけでなく周囲の魔素や魔力の分布、それに死霊の偏りや生命体の位置などを魔術的直感により察することで十分に位置関係を理解できるが、普通の人間なら即座に遭難するだろう。
ただ、ここにはそんなものはいない。
ここまで案内してくれたネージュはこの雪山、グースカダー山を根城とする
それに、リュヌだとて凄腕の暗殺者である……が、基本的に彼についてはいわゆる普通の人間ではある。
今の身体は俺が与えた特別製で、十分に使いこなせれば様々な機能を発揮するが、まだ全ての性能を把握してはいないだろう。
だから、この雪山での位置関係の把握は容易なことではないかも知れない、と思って彼に聞いてみる。
「……はぐれて遭難したりはするなよ」
「しねぇよ。というか、さっきだってお前らを見つけだろうが。雪山くらい普通に歩けるぜ」
意外な台詞が返ってきた。
しかし、言われてみれば全くその通りである。
ただ……。
「てっきり偶然合流できただけだと思ってたんだが……あれは意図してのことだったのか」
「あぁ。まぁ山ん中で誰か探すなら、高いところから周囲を見回せば大体なんとかなるからな。幸い、この山は真っ白だ。遠くからでも見つけるのはそんなに難しくはなかったぜ」
「そうか……? いや、普通は無理だろ。お前の視力と経験あってこそだろうな」
「そりゃそうだ。ま、そういうわけで俺の遭難の心配はいらねぇよ」
五感以外の部分はともかく、基本的な五感に関してはもう、彼は十分に俺が与えた身体の能力を発揮できているらしい。
まぁ、元の身体で出来たことまではすぐに出来るようになるのが普通だ。
暗殺者として無類の力を持っていた彼にとって、それくらいのことは最初から可能だった、ということだ。
「しっかし……本当にここなのか? 何にもねぇぜ」
リュヌがネージュにそう尋ねると、
「確かにぱっと見はそうなの。でも、こうすると……」
ネージュはそう言って、手を目の前の氷壁に翳し始めた。
その掌からは彼女特有の魔力が放出され、氷壁に吹き付ける。
すると、ガチガチに凍り付いてきた壁が、瞬間的に色を変え、そこに真っ白で巨大な扉を現出させた。
隠し扉、というわけだ。
それも決まった魔力を決まった手順で注がなければそこに扉があることすらも分からないタイプの。
俺も本気で魔力感知を発動させていれば場所くらいは分かったかも知れないが、何の気なしに通っていればまるで気づかずに通り過ぎることだろう。
やはり、ネージュの母……創造神に至るような存在の操る力にはまだまだたどり着けていないらしい。
当然と言えば当然だが、少しばかり悔しかった。
これから修行だな……。
「こいつは……凄ぇな! まるで《夜明けの教会》の奥院にある宝物庫みたいだぜ」
リュヌもこれには感心したらしい。
「奥院……教会にはそんなものがあるのか?」
「あぁ。《夜明けの教会》でも高位の聖職者か、その影しか入ることが出来ない秘院だよ。司教未満の聖職者や一般信徒は存在すら知らねぇな」
「なんでそんなものを……」
「教会の奴らの保身……ってのが大きいが、それだけじゃない。それこそ表に出せないような魔道具や武具の類を保管するためさ。史書なんかもあるし……まぁ、《夜明けの教会》にとって、ある意味、急所と呼べるところだろうな。それだけに守りも恐ろしく厳重だった」
「ちなみにどこにあるんだ?」
何の気なしに軽く俺が尋ねると、リュヌは、
「あんた、やっぱり油断できねぇ奴だな。ぽろっと言いそうになったぜ」
「言っても良いだろう。もう。大体お前は俺の
「……確かにそうだ。なんか擦り込まれてんのかな……」
絶対にその場所を漏らしてはならない、という暗示がリュヌの頭の中にあるのだろう。
しかし、俺が彼を従えた時点で魔術的なもの、科学的なもの問わずそういった縛鎖は全て外してある。
今あるのは残り香のようなものだ。
それだけでも無意識にある程度作用している、ということで、相当に強力な縛りだったのだろうな。
まとめて外してしまったので細かく精査しなかったのが悔やまれる。
やり方が乱暴すぎたな……。
ともあれ、俺はリュヌにその点について説明する。
「お前の頭の中には色々と刷り込みやら洗脳やらがあったが、従える時点で外したからそこは心配しなくていい。ただ、お前自身の思考方法にまで入り込んでるものは完全に消し切れたわけじゃないからな。自分で破れるはずだが、無意識のうちに避けていると縛りから抜けられないぞ」
「あ? どういうことだ」
「簡単に言うなら……たとえば俺がお前にりんごを食べさせたくないとする」
「ああ」
「だから、リュヌはりんごを食べない、という暗示をかけたとする。そうしたら、お前は当然、りんごを食べなくなるな?」
「そうだな……。それで?」
「そのあと、その暗示を外したとして……それでもお前はりんごを食べない」
「……何でだよ」
「今まで習慣的にずっと食べてこなかったからだよ。りんごを食べよう、と考える必要がなかったから、それを考えることすらしなくなってるんだ。自発的にな」
「あぁ、なるほど、なるほど……そういうことか。そいつぁ……難しいな。つまりあれだろ。俺が誰かを殺すな、って暗示をかけられてたら、その暗示が抜けても、そいつを殺そうなんてそうそう考えないってことだな?」
「まぁ、大雑把に言えばな。だが暗示自体はもうないんだ。やろうと思えば出来る。そういう状況にお前はあるから……その辺りは色々と自分で試してみた方がいいぞ。でなきゃ、お前は今までの雇い主に縛られたままだ」
「もっと早く教えて欲しかったぜ……」
「お前がその身体にしっかり定着する前にそれを教えると存在そのものが変容する可能性があったんでな。ま、しかしもう大丈夫だろうと思って言った。もうこれでお前自身のことでお前に言っていないことはないぞ」
「そうかよ……ま、あんたはそういうところ誠実だし、信用してるよ。してなかっとしても俺はあんたに従うしかないんだが」
少し不服そうなのは、自分が今の今まで、前の雇い主に支配されたままだった、ということを理解したからだろう。
首輪に繋がれ続けていたということを突然知るのは、腹立たしいものだ。
それが全く見えない透明な首輪ならなおさら。
ただ……。
「俺に従いたくないって言うなら、いずれそのくびきも外しても構わないが、どうする?」
「あぁ? 正気かよ。俺は暗殺者だぜ。あんたを殺しに回るかも知れねぇ」
「それはそれで面白いからな。ただ、残念ながら今のところ、お前は俺の脅威にはならん。やるだけ無駄だ」
「……はっきり言われるとなんだか落ち込むんだが」
「いや、年季の差だからこればっかりはな。いずれお前が超える日も来るだろうが……」
「年季の……? あんた五歳だろ。分かんねぇ奴。まぁ……いいか。別にあんたには縛られたままで」
「そうか? 首輪は嫌いなんだろ?」
「いつでも食いちぎっていいと言われるとな。愛着が生まれちまうよ。その首輪によ」
「……ふっ。まぁ、いいだろう。食いちぎりたいときはいつでも好きに食いちぎれ」
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