第165話 氷狼の驚愕

「……また負けたの……しかも自分の領域テリトリーで……これは完敗なの……」


 そんなことを言いながら、がっくりとした様子で、雪山の上からとことこと少女が近づいてくる。

 白銀の長い髪に紫水晶のような瞳、白い肌にそれらを引き立てる仕立ての良さそうなドレス姿。

 パーティーで見ればさぞ人目を引く美少女だろうが、何もないだだっ広い雪山の、しかも山頂の方から手ぶらでそんなものが現れる様子は改めて考えてみるとホラーに近い。

 絶対に普通の存在ではないからだ。

 ただ、幸いなことにこの場には、そんな彼女に驚くようなものはいない。

 俺は友人だし、スティーリアは彼女の眷属だ。

 カーはまだ気絶しているし……起きていても彼もまた、彼女の眷属なので特に驚きはしないだろうが。


「……ネージュ。来たか」


 俺がそう呟くと、小走りになって近寄ってくる。

 そうしているとまるで平凡な少女にしか見えないが、本気で動けばこんな距離、瞬きよりも素早く詰められる実力がある。

 人の姿だから、人らしく振る舞っているに過ぎない。

 彼女の場合、無意識に、という感じだろうが。


「さっきもの凄い雪崩が起きてたから、何かあったんだと思って見に来たの」


「あぁ……スティーリアとカーが戦い始めてな……その余波でそういうことになった」


「なるほど、その二人がやり合えば雪崩くらい起きるの。あ、じゃあそこにいるのはスティーリア?」


 氷狼の方を見て、ネージュがそう言った。

 俺もそちらを見ると、どうもスティーリアは氷の彫像のように固まっていた。

 ……よくよく考えてみるとあれか。

 いきなり自分の雲の上の人がやってきたような感じか。

 それだと確かにこうなっても仕方が無い。

 俺であれば、たとえば前世において、ぼんやり執務室で書類仕事をしていたら魔王陛下が突然やってきたようなものだしな。

 ……そういうことは、結構頻繁にあったので慣れてはいたが。

 玉座にあるときは威厳と威圧感を身体全体に纏った恐るべき王であられたが、そうではないときは割と気さくな方だった。

 元々、その掲げる正義は、世界からあぶれた者の生きていける場所の確保だったからな……優しい方であって当然だ。

 ネージュもそういう意味では相当に気さくな方だと思うのだが、スティーリアからしてみるとやはりそれでも恐ろしいのだろうか……?


「……スティーリア。話しかけられているぞ」


 見ていられなくなった俺がそう言うと、スティーリアは、


「……ハッ! も、申し訳なく存じます、ネージュ様。お久しぶりです、スティーリアでございます……」


 と恭しく返答する。

 まさに王と臣下のような口調だ。

 これにネージュは言う。


「やっぱりそうなの。スティーリアはもうアインと仲良くなったの?」


「な、仲良く……? あ、あの、ネージュ様、お聞きしたいことがございまして……」


「何なの?」


「この者が……ネージュ様と戦って、勝ったと……いえ、不敬な質問であるのは分かっているのですが、そのようなことを申しているのです。まさか本当のことだとは信じてはおりません。おそらく、ネージュ様が手加減をなされたのだろうと……しかし、確かにこうして生きておりますし、何かしらの友誼、のようなものを結ばれたのだと思ってよろしいのでしょうか……?」


 もの凄くへりくだった質問の仕方だが、それだけスティーリアにとってネージュは絶対の存在と言うことだろう。

 しかし俺の言うことを全く信じていないな、この氷狼は。

 まぁ、唐突に現れた普人族ヒューマンの子供に、雪竜スノウ・ドラゴンに勝ったよ、と言われても信じられるわけもないだろうが。

 それに俺の実力を全く認めていないというわけでもないのはその内容からも理解できる。

 なるほど、ネージュが手加減をした、と。

 それでも雪竜相手に生き残っているのだから、友達だ、という部分は事実なのだろうと確認をしているわけだ。

 確かにその辺りがスティーリア的に信じられる限界なのだろうな。

 けれどこの気を遣いまくったスティーリアの質問にネージュはあっけらかんと答えた。


「……? 手加減なんかしてないし、一発で負けたの。私、完敗。でも友達になる代わりに命を助けてもらったの。命乞いしたの」


 ……そうだったっけか?

 お互い様だから水に流そうって話だったと思うんだが……ネージュ的にはそういう認識なのか。

 いや、軽い冗談か。

 ただ、俺がネージュに勝ったのは事実だ。

 それを彼女本人の口から聞かされて、スティーリアは愕然とした表情で、


「ほ、本当に……敗北を……?」


「本当に負けたの。流石に命乞いは冗談だけど。友達になったのも本当。私が知らないことを一杯知っているし、一緒にいると楽しいの」


 やはり冗談だったらしい。

 スティーリアはその部分はあんまり聞こえていないようで、しばらくの間、呆然としていた。

 ネージュが俺の方に顔を近づけてきて、


「……あの子、どうしたの?」


「いや、ネージュが俺に負けたのが信じられないんだろう。この山じゃ、負け無しだったんだろ?」


「そうだけど……真竜は他の土地にもいるし、そういうのと戦えば多分、私普通に負けるの。無敵じゃないのに」


「それはまず会わない相手だろう。それに、今回はそういうのじゃなくて、俺相手にってことだからな。この見た目の奴に負けるような存在じゃないだろ、真竜って」


「……それは確かにそうなの。でもアインは普通じゃないし……」


 ネージュからしてみればもうそこははっきりとしたことのようだ。

 彼女は素直かつ、強大な力を持つ存在なので、相手の力を感じ取ればそれこそ素直に全て認められる。

 しかしスティーリアはそうではない。

 その違いが出ているのだろう。

 

「ともあれ、しばらくすれば再起動するだろう……それよりも、カーの方だな。これ以上この雪の中で気絶したままなのも良くなさそうだ。今のうちに起こしておこう」


 俺が気絶させておいて何を言う、という感じだが、そうせざるを得なかった状況なので仕方が無い。

 ネージュがここにいる以上、カーとスティーリアが一触即発、なんてことにはならないだろうし、起こしても問題ないという判断だった。

 ネージュは、


「どうやって起こすの?」


 と尋ねてきたので、俺は人差し指を立てて軽く呪文を唱えてそれを示す。


「こうやってだよ……小雷カタン・レイ


 すると人差し指から小さな雷撃が迸り、カーの指先に落ちた。

 すると、 


『……痛ッ!』


 と、呻きながら、カーが目覚める。

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