第164話 萌芽

「スティーリア、か……ふふ」


 俺が思わず微笑むと、氷狼は訝しげに俺を見て尋ねる。


『何がおかしいの』


 そこで俺は勘違いさせたことに気づき、謝罪しながら言う。


「あぁ、いや。そういうことじゃない。済まなかった……どうも、この山では懐かしい《言葉》をよく聞くからな。それが何だか嬉しくて……」


『懐かしい言葉? 私の名前も?』


「あぁ、そうだ。スティーリア……それは、《氷柱》を意味する古語だ。誇り高く美しい氷狼にはよく似合う名だな……」


 氷の山に育つ透き通った、しかし先の鋭い氷の刃だ。

 まさに氷狼に相応しいと言えるだろう。

 しかしそんな俺の言葉に、意外な台詞が返される。


『そんな意味があったのね……知らなかった』


「何? そうだったのか。じゃあ、たまたまかな? それにしては発音もしっかりしているが……」


 同じ音をたまたま選んだ、という可能性はあるだろうが、はっきりと発音まで明瞭で同じ、ということは実は少ない。

 多くの言語を学んで修めて来た俺にとっては聞き分けることも普通に可能なくらいだ。

 もちろん、絶対というわけではないのだが……。

 スティーリアは俺にゆるゆると首を横に振りながら言う。


『……いえ、多分、お母様は知っていたと思う。でも、物心つく頃にはすでにいなかったから……』


「……なるほどな。じゃあ一人で育ったのか?」


 スティーリアの境遇に同情しても良かったのだが、魔物の世界ではありふれた話だ。

 いや、戦時中では人間や魔人にとっても同様で、大げさに悲しんで見せることはかえってわざとらしい。

 そう思っての軽い返答だったが、スティーリアには好ましく映ったようだ。


『同情しないのね』


「してほしいのか?」


『いいえ。でも珍しい反応だから』


「お前の仲間の氷狼たちでもか?」


『むしろ、仲間たちは群れに属する者の気持ちを大事にするわ。だから、寄り添おうとしてくれる』


「ははあ……なるほどな。確かに狼系統の魔物はそういう印象だ。しかし、そういうことなら……スティーリアは今まで一人で生きて来たわけじゃなく、群れの中で育ったわけだ」


 自らが幼いころに親が死んだ、ということは魔物の世界ではほとんど死を意味するに等しい。

 にもかかわらずスティーリアは生きている。

 そして、群れの者たちが自分の境遇に同情してくれると言っている。

 ということはつまり、どこかの段階で彼女は群れに属したわけだ。

 それとも、親と一緒に属していた群れにそのまま、ということだろうか。

 どちらもありうるな。

 これにスティーリアは言う。


『ええ……氷狼は雪豚鬼スノウ・オークスノウゴブリンと違って、ただでさえ数が少ないから。幼い子供を見つけたら、すぐに保護する文化があるの。そして自分たちの群れの中で、義理の親となって育てる……』


「愛情深いんだな……人間にも見習ってほしいやり方だ」


 もちろん人間にもそういう文化が存在しないという訳ではない。

 孤児院などで引き取り、社会全体の責任として育てるという感覚はあるからだ。

 しかし、氷狼の方はもっと直接的で分かりやすい。

 親としての責任をそのまま、拾った者が負うというものだからだ。

 人間の中でもそれをする者はたまにいるが、珍しいという目で見られるのは誰もが知っている話だ。

 氷狼の場合、そうではなく、むしろ当然のものとしている。

 これは彼女たちの愛情深さから来る、よい文化だろう。

 そう思っての俺の言葉だったが、スティーリアは少しだけそれを否定する。


『そこまで素晴らしいものでもないわ。数が少なくて、子供が大人に育ちにくい。そして大人になれば間違いなく戦力になる。そういう打算がないわけではないから』


「それはそうだろうが、本来、人間でもそれは言えることだからな。可能な限り多くの子供が立派な大人になれば、それだけ社会に還元してくれるというのは……でも、分かっていても積極的に取り組む者は少ない。だから卑下したものじゃない」


『……人間は、よく分からないことをするのね。得をするのが分かっているのなら、やればいいのに……』


「何を得だと考えるかは、難しいところだからな……ともあれ、そういう文化のお陰でスティーリアは今日まで生きて来られたわけだ」


『ええ。でもそういうわけだから、名前の由来は聞けず仕舞いだった。雪竜様にも尋ねたことはあるんだけど、分からなくて』


「ネージュに? そうか……まぁ、あいつの知識は結構抜けがあるからな。仕方ないと言えば仕方がない」


 母親がすべてを教える前に世界を出て行ってしまったから。

 もう百年もあれば教えられることは全て教えられたかもしれないが……その辺りについては俺が改めて埋めてやっておけばいいだろう。

 学習能力は高いし、もっと短縮できるかもしれないしな。


『でも……雪竜様すら知らないことを知っている貴方は一体何なのか気になってくるのだけど』


 スティーリアに説明した俺自身の話は大したものではない。

 ネージュに勝利した人間である、ということくらいだ。

 そして、ここにきて、魔物は人間のことをそれほど深く知らない者が多いとはいえ、流石におかしいと思って来たのだろう。

 確かに俺は極めつけにおかしい人間であり、そしてそれは前世が死霊術師であるという事実に端を発するものだ。

 だがそれを説明したところで納得するのは難しいだろうし……ここは煙に巻いておくことにしよう。

 いつかは話すこともあるかもしれないがな。


「それは内緒だ。まぁ、概ね、ど田舎の村で生まれた普通の人間だと思ってくれればそう間違ってはいないよ」


『……貴方が普通ならもう、私たち魔物は滅びているのではないかしら……?』


 流石にスティーリアも俺が普通ではないということは分かっているようで、だからこその言葉だった。

 

「すまないな。あまり語れることは多くないんだ。ただ、嘘は言っていないからそこは信用してくれ」


 俺の言葉にスティーリアはじっと俺の目を見つめる。

 巨大な狼の透き通った青い瞳は刺し貫かんばかりの意志に満ちていたが、しばらくしてそこからふっと力が抜け、


『……確かに嘘はついているようには見えないのよね。まぁ、今はそれでいいわ。それに、貴方が言っていることが本当かどうかは、雪竜様に会えば分かることだから』


 そう言った。

 そう、俺の言葉の真偽を担保してくれる最大の後援者であるネージュがいる以上、あまり心配はいらない。

 彼女に勝ったのは事実であるしな。

 ともあれ、ふと思ったことだが、俺はよくよく考えてみると、自分の素性について、この世界に生まれついてからまともに誰かに語ったことはない。

 ジールにも、リュヌにも、ネージュにも、しっかりと自分がかつての魔王軍四天王で、死霊術師の生まれ変わりだとは……。

 これは隠したいという訳ではなく、たぶん、覚悟が出来ていないのだと思っている。

 生まれ変わったこの体で、前世のことを誰かに向かって語れば何かしらの意味が生まれる気がしてしまっているからだ。

 未だに魔大陸・魔導神殿への転移する覚悟が出来ないのも同じ理由だだろう。

 過去に対してどういう態度をとればいいのか、これから何を為すべきか、まだ俺は悩んでいる。

 まぁ、好きなように楽しく生きたい、とは思っているし、そこはぶれるつもりはないのだが、かといって昔のことを完全に見ないと言うのも何か違う気がするのだよな……。

 その辺りのことについては、やはりこれからも考えていかなければならないだろう。

 ここに来て、魔物たちとの関係も深まってきていると言うのもある。

 かつて魔王陛下は、魔人も、魔物も、そして人間すらをも平等に暮らすことの出来る国を作ろうとした。

 結果は今の状況を見るに失敗されたのだろうが……だが、それは世界を巻き込むほどに大きなうねりとなったのだ。

 今、この時代に同じように出来ないものか……。

 このとき、俺は少しだけそんなことを思い始めていたような気がする……。

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