第141話 アインの浄化

「……こちらが前オーナーのニコラス・アリード氏です。そして、こちらが奥様のリース様……」


 通されたのは屋敷の中でも寝室だった。

 これほどの規模の屋敷であれば本来ならまずは応接室に、ということが普通なのだろうが、一刻も惜しいと言うことらしい。

 確かにそう思ってしまう程度には、ニコラス氏の容態は悪い。

 ボリスがニコラス氏と奥方を紹介したが、ニコラス氏の方は寝台から起き上がることも出来ないようだし、声すらも出てこないようだった。

 目だけがこちらを向いている。

 奥方のリースはそんなニコラス氏に心配そうに目を向けている。

 夫婦仲はいいようだな。

 だからこそ余計に心細いのだろう。


「あの……早速ですが、浄化していただけるとは本当なのでしょうか? 主人は……教会の司祭殿にも浄化をしていただいたのですが、一瞬症状が緩和するだけで、またすぐに伏せってしまうのです……」


 リースがそう言う。

 エスクドたちの呪いがこの街の司祭程度には祓えないが、ノルメには十分可能だ、というのは俺たちにとって自明の話だが、リースにとっては偉い司祭様が治せないのだからその辺の祓魔師エクソシスト程度にも無理だ、という認識の方が強いのだろう。

 しかしこれにノルメが言う。


「ご心配なされますな。確かにこの街の司祭殿は優秀な方ですが、浄化、というのは……一つの専門技術のようなもの。たとえば、家を建てるとき、建築士や大工、測量士、レンガ職人や材木問屋などが関わります。この場合、全体を取り仕切るのは建築士や大工でしょうが、彼らがレンガ造りや測量について高い技術をもっているかと言えば別でありましょう。祓魔師エクソシストの技術についても同じようなものなのです」

 

 この説明はうまい……というか、かなり苦心して考えたものだなと思った。

 というのも、ノルメが正直にこの街の司祭の浄化能力は高くなく、自分の方が遙かに力がある、と言ってしまえばこの街の司祭を貶したように聞こえてしまう。

 それでは教会の権威を穢すようであるし、またリースの教会に対する信頼も揺らぎ、さらにいうならノルメの立場も危うくなるだろう。

 しかし、この点、ノルメはその説明で賢く危険を回避したわけだ。

 統括する技能や立場と、専門的なそれとは異なっており、上に立つものが専門的な職人の仕事について高い技能を有していなくともそれは資質に問題があるとかそういうわけではないのだ、ということにして。

 実際にはどうか、と言えば教会の神官というのは神に仕えるものであり、神が与えた恩寵である浄化技能というのは本来、位階に直結する技能だと思われるが……。

 まぁ、ノルメの地位がさほどではないところからして、どちらかと言えば教会の権謀術数張り巡らされた環境を生き抜く技能の方が重要なのかも知れないな。

 あまりにも巨大化した組織というのはそうして腐敗していくものだ。

 けれどそんな事情など知らないリースはノルメの言葉に深く納得したようで、


「そういうことでしたか……では、ゼイムさまはその浄化に関する専門家でいらっしゃると……?」


「ええ。ただ、今回、ご主人の浄化に関しては私は補助に回ります。主にかけるのは、こちらの……アインです」


 そう言ってノルメが俺の背中を押す。

 呼び捨てなのは、ここに入る前にそういう打ち合わせをしたからだ。

 ノルメの教え子として紹介した方が受け入れられやすいだろう、ということで。

 もちろん、本当に教え子になったわけではないが……。

 ここでそういう立場で浄化を使ってしまうと後々、その辺りを利用されて本当に弟子扱いされてしまう可能性もあるだろうが、まぁ、そのときはそのときだという割り切りもあって受け入れた。

 いざとなれば別の国に逃亡が余裕で出来るという立場は楽で良いな。

 前世は何がなんでも逃げるわけにはいかなかったから大変だった……。

 逃げようと思えば逃げられたが、仲間を見捨てたくはなかったからな……。

 ともあれ、そんな紹介をされた俺を見て、リースは目を見開いて尋ねてきた。


「……失礼ながら、この方は……子供ではないのでしょうか? 浄化の御技など扱えるようには……」


 この言い方は、俺が見た目通りの年齢でないことを懸念しての前置きだな。

 世の中には子供の見た目で実は大人、という種族も存在するからだ。

 俺がそのような者かも知れない、と考えたリースは賢夫人と言えるだろう。

 実際、種族はともかく俺の年齢についてはまさに正解としか言いようがない。

 だが、そんなことは言えない。

 ノルメも俺を見た目通り五歳として扱って言う。


「おっしゃるとおり、アインはまだ子供です。しかしながら、その浄化の技能については私に匹敵すると考えております。そのことは……今回、問題になった屋敷の浄化を一人で行ったことからも明らかです」


「なんですって……あのお屋敷を浄化されたのですか……では、主人の浄化も……」


「ええ。ですから、ご心配はいらないのです。百歩譲って、アインの浄化が不十分であるとしても、私がその後にフォローいたします。ですから、心安くいらしてください」


「はい……安心しました。では、どうぞよろしくお願いいたします」


 リースがそう言って頭を下げ、俺が浄化をかけることを受け入れたのでノルメは俺の方を見て頷く。

 うまいこと話を持って行ったものだ。

 若干詐欺ではないかという気もしないでもなかったが、実際に浄化できるのだし問題ないだろう。

 そして当のニコラス氏はこちらをすがるような目で見つめている。

 彼もまた、俺の浄化能力に期待を持ってくれたらしい。

 そういうことなら、しっかりと仕事はしなければならないだろう。

 おまけに体力回復も請け負っておくとするかな……。

 俺はニコラス氏に近づき、手を掲げ、呪文を唱える。

「……長く黒き蛇により喉元を締め付けられている儚き羊よ。我が存在と信仰によりて、黒きものを地の底へと引き落とさん……《浄化プリフィカサオン》!」

 それと同時に、手のひらから大きな光が放たれ、ニコラス氏を包み込んだ。

 その発動を見ながら、俺は思う。

 

 ――しまった。やり過ぎた……。

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