第131話 輪廻
――これは、確かに危険だな。
部屋に入った瞬間、俺はそう思った。
普通の人間がここに足を踏み入れれば、容易に精神に異常を来し、そして立ち上がれなくなるだろう。
それほどの気配が、その部屋には満ちていた。
と言っても、邪悪なものがそこにいる、というわけではない。
むしろ正反対だ。
俺の前にいたのは……。
「……例の、惨殺されたという家族、か……」
全員が透き通った体をしている、四人家族がそこにはいた。
一人は母親。意思の強そうな目でこちらをにらみつけている。
一人は長女。母親とよく似たまなざしで、やはりこちらに向けているのは強い憎しみの目だった。
そしてその二人が後ろ手に庇うようにしている、小さな女の子。おそらくは末の娘だろう。
さらに、その三人を守るように仁王立ちして静かな目でこちらを見ているのが、父親だな。
といっても、警戒している相手はおそらくは俺ではない。
では誰なのかと言えば、彼らを襲ったらしい襲撃犯そのものだろう。
死霊というのは、死しても自らの状態をうまく認識できないものが大半だ。
死ぬ瞬間、もしくはその前後に抱いた強い気持ちのまま、その場にあり続けるようになる。 地縛霊というやつだな。
リュヌは死んだ直後から全てを認識していたが、あれは本当に珍しいことなのだと今目の前にいる家族を見れば理解できる。
この家族の時間は死を目の前にしたその瞬間で停止しているのだ。
惨い話である。
彼らは永遠にこの時のまま、いつ解放されるとも知れぬ恐怖と怯えの中に存在し続けなければならないのだ……。
というのは、まぁ、俺が来なければ、の話だが。
俺は前に一歩出る。
それだけでも一家から俺に向けられる圧力が強くなった。
近づくものすべてが、襲撃犯に見えているのだろう。
だからこそ、この家を購入した者たちは呪われた。
俺も現在進行形で呪詛を受けているわけだが、そこは死霊の専門家である。
適度に散らしているので効果は発揮されていない。
至って健康体のまま、彼らとの距離を詰めていく。
そして、目の前に立つと同時に、話しかける。
まずは、父親の霊にだ。
「……あなたたちはいつからここに?」
『……? ……さ、三年、前、から……?』
初めは何を言っているのか、よく分からないような表情をしていた。
しかし、俺の言葉には死霊との交感を可能とする特別な魔力を乗せている。
そのため、彼らはしっかりとそれを聞き取った。
そして、話してみて、自分たちの異様性に少しずつ気づき始める……。
「……そうですか。僕が聞いたには、ここでその三年前に、一つの事件があった、ということでした。貴方たちはそれによって……」
『……そう、そうだった……私たちは、あいつらに襲われて……!』
顔を歪める、父親。
母親の方も悲しげな顔に変わる。
長女もだ。
次女はまだ小さく、よく分からないのか不思議そうな表情をしていた。
俺は続ける。
「無念なお話です。皆様にはもう、体がない。霊となられ……そのまま、三年間ここに縛られておられました」
『……全く、気づかなかった。私は……いつあいつらがまた来るのかと、そればかり考えていて……』
『あなた、私もよ……』
夫婦に会話が成立する。
もう少しで、いけるな、と思った。
彼らが正常な意識を取り戻せば、俺とも完全な意思疎通が出来るようになる。
この会話は、そのためにレールを敷くような作業なのだ。
「……今は、どうですか? これからも、ここで……襲撃犯を警戒し続けるおつもりでしょうか?」
『それは……いや。もう、奴らは来ない。だからもうその必要はない……」
『でも、あなた。私たちは一体どうしたらいいの。だって、もう私たちは……死んでしまった……この子たちも……』
二人は長女と次女を見つめた。
長女の方は、両親の話を聞き、事態を理解したようだが、やはり次女の方はどういうことかはっきりと分かってはいなさそうだった。
長女の方は十五歳ほど、次女の方は三、四歳という感じだから仕方が無いだろう。
「……もしも皆さんにこれからのあてがないのでしたら……僕の方で提供できる道がいくつかあります」
俺がそう言うと、両親と長女が俺を見つめる。彼らに遅れて次女もなんとなく俺を見た。
俺は続ける。
「一つ目ですが……皆様はもう亡くなられています。ですから、人が死した後、当たり前にたどる道筋として、輪廻の環へと乗せることが出来ます。行き先は……はっきりとは申せません。しかし、確かに人の魂は世界を巡っています。次に生まれ来る時は、少しでも幸福が掴めますよう、冥府の役人との交渉も承りましょう」
『生まれ変わり、か……』
「はい。ただ、冥府がどのようになっているのかは、私にも分かりません。これは、命持つものがそこに足を踏み入れることが出来ないためです。ただ、私には冥府との伝手がある。彼らに頼むことは……出来ない相談ではないのです」
『……私にはそれで十分に思える。私たちは、死んだ。そのように、死した人のたどる正しい道に進めるなら、それでいいと。お前は?』
父親が母親に尋ねると、彼女も頷く。
『私も構わないわ……でも、何か他にも道があると……』
「ええ。そちらはあまりおすすめしないのですが……実のところ、私はこの屋敷を購入しようとしている者です。皆さんがここにおられるがゆえ、かなり低廉な価格で購入が出来そうなのですが……」
『それは……迷惑をかけたのね、私たち』
「いえ、死者の無念は生者が受けるべき責任がありますので、お気になさらず。ともあれ、そういうことで……ただ、ここに住む予定の者にはあまり、こういった館の管理について長けていない者ばかりなのです。ですから、私どもに雇われてはいただけないかと……」
『……? でも、私たちは死者ではないの? もう体もないのに、館の管理もないように思えるのだけど……』
母親がそう言ったので、俺は説明する。
「私は、死霊術師です。死者に体を与えることもまた、可能としております。ですので、望まれるのであれば、仮初めの体を与え、私に雇われてはいただけないかと……。ただ、その場合、期間がどれほどになるのか分かりません。次に輪廻の環に戻れる日が遠ざかるのは……お嫌かも知れないと思いまして」
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