第121話 商会訪問
「……ここがナヴァド商会か。さびれてるねぇ……」
リュヌが一軒の店舗建物を見ながらそう呟いた。
そこにあるのは、決して襤褸ではないものの、一般家屋と大差ない程度の大きさの建物である。
もしもここが、どこかの田舎村に一軒だけしか存在しない雑貨屋だ、というのであれば十分に立派な店構えだ、と言えるが、ナヴァド商会は本来、そんなものではない。
ポルトファルゼという港湾都市に存在する大手の商会。
少なくともリュヌが以前来た時はそうだったはずだ。
もちろん、店舗も街の中に数軒持っていたし、本店建物は今、目の前にあるそれとは比べ物にならないほどに大きかった記憶がある。
働く人々も数が多く、活気があり、常に人が店の中と外を出入りしていて忙しそうにしていた。
それがどうだろう。
周りを見てもそういった店員が見当たらないのみならず、店に入る客すらもいない。
まさに、さびれている、としか表現の出来ない店。
それが今のナヴァド商会だった。
「これは当たりが外れたかね……もう少し体力が残っているかと思ったんだが……。ま、とりあえず行くだけ行ってみるか」
そう独りごちながら、リュヌは店舗の中へと向かっていく。
*****
「……おーい! 誰かいねぇのかぁ?」
さして広くもない店舗の中を、そう叫びながら進むリュヌ。
広さの割に品物の数が多い……というか、品物なのかガラクタなのか分からない物品が、しかし意外なほどに几帳面に並べられ、重ねられている。
リュヌが目利きを出来る品々もいくつかその中にあり、軽く見てみるに決して質は悪くないのが分かる。
ナヴァド商会は終わった、などと市場で女性は言っていたが、見た目より経営は悪くないのかもしれない、とリュヌはその嗅覚で理解する。
本当に終わった商会というのは、もっとひどいものだと経験上知っているからだ。
債権者たちに担保だと店に存在するありとあらゆる品々を持っていかれ、それこそ泥棒に入られた家屋のごとくグチャグチャになり、床の上には埃が溜まっているのが普通だ。
以前と比べて規模が非常に小さくなっているとはいえ、主要な取引品目を完全に失ったにもかかわらず、破産するまでではないところで踏ん張っている、ということだろう。
だとすれば見上げたものだ。
かといって、リュヌの希望に応えられるような能力があるかどうかとはまた話が別だが……外で見たときよりかは希望が持てなくもない。
「……はい、はい! お客様でしょうか? それとも、借金取りの方……?」
しばらく店員を呼び続けた結果、少し離れたところから、階段を下りる音と共に響いてきたのは若い男の声だった。
真面目そうな……商人というよりかは役人のような固さのある声だ。
実際、少ししてリュヌの前に現れた男は、そのような風体の男だった。
潮風に灼かれたような明るい茶髪とは裏腹に、真っすぐな瞳をした素直そうな青年。
それが、リュヌが彼に感じた第一印象だ。
リュヌはこれで長年、多くの人間を見、その内面を可能な限り早く看破する努力をしてきた。
その目から見て、この男は見た目通りの男だと感じられる。
つまり、商人にはそれほど向いていなさそうだった。
それにしても、借金はやはりあるらしい。
困ったものだが、リュヌが心配してやることでもない。
とりあえず、リュヌは口を開く。
「いや、借金取りじゃねぇぜ。客の方だ」
「それは珍しい! 三日ぶりですよ」
客、とリュヌが口にすると同時に、すすす、と物凄い勢いで距離を詰めてきてそう言った。
全く商売人らしくない、と思っていたが、最低限のそれらしさはあるようだ。
もちろん、そうでなければこの店はもっと早くに潰れていただろうから、おかしくはない。
少なくとも経営が街の人間にも理解できてしまえるほどに悪くなってから半年残っているという事実がある。
しかしそれでも客が来ないことを素直に言ってしまうのはどうなのか。
「……よくそんなんで店なんかやってられるな? 普通、毎日ある程度客が来なきゃ、潰れちまうだろうが」
「それは全くその通りなのですが……少しばかりの蓄えはありますので。それでなんとか」
「蓄え? さっき借金がどうとか言ってだろう」
「ええ。確かに運営資金についてはある程度借り入れております。ですから、その元金と利息の集金に月に一度、来られる方がおりまして……。といっても、怪しげなものではないのでご心配には及びません」
つまり、真っ当な借金ということだ。
店舗の運営資金の借り入れというのは普通に行われる。
どこから借りるかは様々で、その相手によって怪しげかどうかが分かってくるが、そこまで深いことは尋ねても答えてはくれないだろう。
とりあえずもう片方の事を聞いてみる。
「なるほど。じゃあ蓄えっていうのは?」
「ええ。お客様は《雪晶》というものをご存知ですか? 以前、当商会で独占的に取引していたものですが、近年ほとんど採れなくなってしまいました。しかし、実のところその在庫はまだ、なんとかございまして……。お得意様に細々と販売しながら、店を長らえております」
《雪晶》。
それは市場の女性が言っていた、グースカダー山の《雪の洞窟》で採取できたと言う鉱石だ。
雪竜がその生産に関係していたようで、代替わりしてしまったために今はもう生産されていない、ということも言っていた。
どのように作られるのか、という質問もしたが、市場の女性はそこまでは知らないと言っていた。
その後、いくつかの人間に同様の質問をしてみたが、やはりいずれも答えは同じだった。
そして、殆どの人間にはそこまで分からないがゆえに、ナヴァド商会は独占的に採取、販売が出来ていたのだとも。
彼らはその秘密を明かさず、また《雪の洞窟》と呼ぶ場所についても秘密にしていたらしいから、さもありなんという感じだ。
「半年前に採れなくなったって市場で聞いたが、そうか……まだあるのか。ちなみに俺でも買うことは出来んのか?」
別に欲しいわけではないが、一応聞いてみただけだ。
案の定、これに青年は眉根をひそめて、
「お客様。申し訳ございません。《雪晶》はただいま非常に在庫数が少なく、すでに予約されているお客様の分しかなく……。当店にいらした理由がそちらですと、私に出来ることは……」
そう言って頭を下げようとしたため、リュヌは首を横に振って、
「いや、言ってみただけだ。手に入るなら欲しかったが、ないならないで別にいいんだ」
「さようでございますか? でしたら何か他にご用が……おっと、それをお尋ねする前に、よく考えますと自己紹介がまだでしたね。
「そういやそうだな。俺は、リュヌ。よろしく頼む」
家名を名乗らなかったのは、リュヌの家名が一応、レーヴェという隣の大陸にある村のものだからだ。
と言っても、全くどこにもないと言うほどのものではなく、比較的有り触れているのだが、念のためである。
特に商人というものに相対するには警戒してし過ぎることはない。
彼らは利益のためにならどんなこともするし、その嗅覚の鋭さは恐るべきものがある。
それでも大抵の者はその辺の一般人に毛が生えた程度だが……中には暗殺者であるリュヌですら恐れなければならないような者もいるのは事実だ。
だからこそ、今の名乗りはこれでいい。
家名を持たない者も決して少なくなく、不自然ではない。
「リュヌ様、ですね。承知しました。それで、リュヌ様。本日のご用向きは……?」
「あぁ。ちょっと知り合いの娘がこの辺りに家を持ちたい、ということでな。探している。俺はこの街の出身ではないし、その娘もそうでな。とりあえずどこの商会に任せればいいか、市場で尋ねたところ、いくつかの名前が挙がった。このナヴァド商会もその一つだ。どうだ、出来るか?」
リュヌとしては、ここでダメなら他を回ればいい、と思って来たところがあった。
それでもここを最初に選んだのは、昔と比べてどうなったのか、単純な興味が湧いたことと、そして、噂通り寂れているというのであれば、家を購入するにあたって相当な割引にも応じてくれるのではないか、と思ったからだ。
いくらでも誰にでも売れる大商会とは異なり、一軒売るだけで大分経営も楽になる状況なのだから、余程無理を言わなければ……もちろん、逆の可能性もあるが、それこそそのときはそのときである。
そして、実際にその試みはどうだったかと言えば……。
「お家をお探し、ですか? ちなみにご予算はいかほど?」
ボリスの言葉に、ネージュが持っていると言っていた財産と、以前、暗殺者時代に頭に入れたポルトファルゼの不動産価格とを鑑みて、相場より少し高めだろう、という価格を述べた。
するとボリスは、
「そのご注文、私にお任せください。必ずや良い物件をお売りしますので」
と力強く保証したのだった。
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