第119話 男の経緯
「……本当に申し訳なかった……」
怯えるような視線でチラチラとこちらを……というか、ネージュを見ながら、軽食屋のテーブルの下で土下座をしているのは、先ほどネージュに吹き飛ばされて気を失った男であった。
あのあと、俺が治癒術をかけ意識を取り戻させたのだが、思った以上の頑丈だったようで、見た目の割にそこまでの大怪我は負っていなかった。
よくよく聞いてみると彼は
片手間とかその日の小遣い稼ぎでやっているようなものではなく、いわゆる本物の
実際、思い出してみればネージュに吹き飛ばされる直前、彼は反射的に気を体に通して耐久力をあげていた。
その結果として、あれだけ吹き飛ばされても骨が二、三本折れたくらいで済んだ、というわけだ。
……それでも大怪我は大怪我だが、彼が気絶から目覚める前に回復してしまったので自覚していなかったから痛みの記憶もない。
気づいたら吹っ飛び、そしてなにがなんだか分からないが気絶していた。
それが彼のおおむねの認識だった。
だから、目覚めると同時に俺たちに食ってかかろうとしたのが、周囲で一部始終を見物していた者たちのうち、ぎりぎりネージュがなにをしたのか理解していたらしい一人が慌てて彼を止め、
「待て! 頼むから待て! あんたはこの子に吹っ飛ばされたんだよ! もう一回やってみろ! 人死にが出るぞ!」
と必死の様子でなだめた。
全くの他人がそんなことを言ったところで、ネージュの容姿である。
十代のかわいらしい少女にしか見えない彼女がそんなとんでもない存在とは思えなかっただろうが、止めたその男は、吹き飛ばされた彼の顔見知りだったようだ。
だからゆっくりとかみ砕くように話を聞き、そしてすべてを知って彼は顔を青くした。
そして、そのときから死ぬ気なのかと思うくらい必死にネージュに謝っている、というわけだ。
謝ったからといって許してやろう、なんてならない彼との経緯だが、しかし、ネージュは、
「……? 別に謝らなくていいの。あれは試合だったの」
と首を傾げている。
彼女の感覚すればたしかにそうなのだろうが、客観的に見るとこの男はネージュをどうにかしようとしたに違いなく、たまたまネージュが強かったから失敗しただけなのである。
許し難い……。
と俺の視線が語っていたのか、男は俺を見て、
「……いや! ちげぇんだよ!」
と慌てて言い始めた。
「何がだ?」
と俺は尋ねる。
思った以上に冷たい声が出ているな、と思った。
「……お前等……というか、この娘に絡んだことだよ。別に、本気じゃなかった。ちょっとからかってやろうって思っただけでよ……もう二度とやらねぇ」
男はそう言うが、すぐに信じられる話でもない。
そんな言い訳が通じるか、と言いたくなる。
が、それでも何も話を聞かないと言うのもあれだ。
嘘ではないかもしれないからだ。
「……とりあえず、理由を聞こうか。それ次第だな。ただの暇つぶしだったって言うなら、許すことは出来ない。少なくとも俺はな」
俺は男を強い視線で見つめた。。
「あ、あぁ……」
俺の見た目は五才児だ。
凄んだところで大した迫力など普通は感じないはずだ。
けれど男は日々、魔物と命のやりとりをしているからか、何か感じるものがあったようだ。
ネージュのみに向けていた怯えの色を、俺にも向け始めた。
五才の子供を怖がるなよ……と思わないでもない。
素直に話してくれる分にはいいんだが。
「といっても、そんなに深い理由があるわけじゃねぇんだが……。三日後から《狩猟祭》だろ? それに備えて俺は狩りに出てたんだが……どうも振るわなくてな。だが、これでも俺は
「すると?」
「二人は一人が十六ぐらいの男、もう一人が同い年くらいの女だったんだが、女の方が急に叫びだしてな……。甲高い声で……結果として、周りから魔物が集まりだした。驚かせたのは俺で、確かに俺が悪かったことは認める。だが、そいつらはそのあとその場から急いで逃げていってな……。しかも女の方は俺に《足止め》の魔術をかけて行きやがった。解けるのに十分くらいかかって……で、そのときには寸前に魔物が迫ってたよ。慌てて避けて、倒して……だがそれでも魔物は追ってくる。一体だけじゃないんだ。五体はいた……なんとか死にものぐるいで戦って……やっと戻ってこれたのがさっきだ。で、命があることに感謝しつつ強い酒を飲んで、今日の所は家にかえってゆっくり休もうと思ったら……お前らの姿が見えてな。急にさっきの二人組のことが思い出されて……つい絡んじまった。悪かったよ……」
聞いた印象としては、だいぶとんでもない話だな、と思った。
確かにそんな経緯なら……冷静でいられなくても仕方がないかとも。
俺とネージュに絡んだのは、若い二人組、という共通点だけで頭に血が上ったんだろう。
それでも絡むだけで済まそうとしていた、というのが本当ならまだ自制できていた方なのかもしれない。
酒も入っていたようだし。
「……なんというか、気の毒にな。それに加えて今度はネージュにやられたか……」
「……ほんと、今日は一体何なんだろうな……ついてないにもほどがある……いや、嬢ちゃんに絡んだのは明らかに俺が悪い。ついてないとか言う話でもないな。悪い」
……嘘を吐いている感じはなさそうだな。
今はかなり落ち着いて話せているし、これならまぁ……。
「ネージュ。許しても、いいか?」
俺がそう尋ねると、ネージュはやはり首を傾げて、
「……? 許すとか許さないとかよくわからないけど、別にいいの」
とあっさりした答えをくれた。
そりゃ、彼女のもとの認識からしてそうなんだから、結論もそうなるか。
なんだか俺が腹を立てているのも馬鹿らしい話なのかもしれないと思えてきた。
ただ、念のためにこれだけは言っておくことにする。
「ネージュもこう言っているし、今回のことはもう構わないことにする。だが、本当に二度とやるなよ。こういう性格の娘じゃない限り、あんなことはひどく恐ろしい経験なんだ。心に大きな傷を負ってもおかしくない……」
女性でも二人ほどネージュと似たような対応をしそうな人をしっているが。
どっかの伯母とかどっかの令嬢とか。
あれらも例外だな……。
俺の言葉に、男は深くうなずき、
「あぁ、もちろんだ。何なら魔法契約書にサインしたってかまわねぇ」
そう言った。
「魔法契約書?」
「知らねぇのか? 普通の契約書よりもずっと厳格な契約で使われる特殊な契約書のことだ。決められた契約を破ると契約書に基づいた義務を強制されるのさ。怖いもんだぜ」
なるほど。
昔もそのようなものはあり、俺の時代は魔術契約書と言ったが、名称が変わったようだ。
使い方や効力も似たようなものだろうが……ただ、魔術契約書の方は魔族の技術で作られていたから、今の技術で再現できるとも思えない。
となると、効力はいくばくか弱いと思われる。
そのうち現物を手に入れたいな……高いのだろうか。
いや、今はそれはいいか。
「……おっと、そうだった。そういえば、あんたの名前は?」
改めて男に尋ねると、
「あ? そうだ、名乗ってなかったな。俺はアキーレだ。アキーレ・ルビン。職業は……
「俺はアイン。で、もう分かってるだろうがこっちが……」
「ネージュなの」
そうお互いに自己紹介したところで、色々とわだかまりは無しに、と自然に握手をしたのだった。
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