第114話 下山

「……私も行くの」


 俺の言葉に、意外にもネージュがそう言う。


「ネージュも? 別に構わないが……この辺りを縄張りにしてるんだろう? 別に行っても楽しくはないんじゃないか?」


 ネージュはこのグースカダー山を根城にする雪竜スノウ・ドラゴンだ。

 当然のことながら、この辺りのことなど誰よりも知っているだろうし、そうなると歩き回ったところでおもしろいものなどないのではないか、と思っての台詞だった。

 しかしネージュは言う。


「山の中はそうだけど、街にはほとんど行ったことがないの。お母様もネージュは世間知らずだから、人にはあんまり近づくなって。でも、ここで一人で暮らしてるのはちょっと退屈なの」


 ネージュの母親は過保護だったのかな?

 いや……ネージュは真竜である。

 その体は様々な武具や薬品の材料になる。

 人化して行ったとしても、何かの拍子にその正体がばれれば、ひどい目に遭う可能性も高い。

 十分な知識と判断力がつくまでは、と保留しておいたのかも知れない。

 結果として、ネージュが完全に成熟する前に彼女の母親は昇神してしまったわけだが……。

 さすがにこれからもずっと、人に近づかない、街には行かない、というわけにもいかないだろう。

 俺たちがついていくなら、ネージュが一人で行くよりもいいかもしれない。

 せっかく知り合ったのだし、知らない間に彼女が人に捕まって素材にされていた、なんてことになるのは避けたいところだ。

 少しずつ、俺たちで人というものについて教えていくのもいいだろう。

 ついでに俺も学んでおきたいしな。

 現代の人間の生活というものを。

 当然、教師役はリュヌになる。


 古代死霊術師と真竜に常識を教える元暗殺者の死霊……。


 なんというか、ものすごい字面だなと思わざるを得ないが、事実だから仕方がない。

 そこまで考えて、俺はネージュに言う。


「そういうことなら、一緒に行こうか」


「うん、そうするの!」


 *****


 そういうわけで、俺たちは再度、とことこと山を下りていく。

 途中、ネージュが、


「ゆっくり降りていくよりも私が背中に乗せていった方が早いの」


 と提案してきたが、これは却下した。

 なぜといって、確かにスピードだけとればその通りなのだが、五歳の子供二人が雪竜スノウ・ドラゴンの背に乗って街に降り立つとか不自然にもほどがある。

 加えて、俺たちは山の様子や街道の雰囲気も見ながら歩きたかったので、とりあえず最初の一回については一っ飛び、というのは避けたかった。

 そういうわけで少し面倒かも知れないが、歩いて、もしくはスピードを上げるために走って行くしかないだろう。

 もちろん、毎回そんなことをしているとこの周辺の調査など何年経っても終わらないので、次回は空から行ってもいいように目立たない着地場所とかを探しつつ、という感じだが。

 見つからないだけならネージュを隠匿魔術で隠す、なんてことも出来るからな。

 とにかく最初は、細心の注意を払いたいということだ。


 雪山を下っていると……。


「……ブホッ! ブホッ!」


 という、何とも野性的な息づかいがふと、聞こえてくる。

 

「……何の音だ?」


 俺がそうささやくと、まずリュヌが、


「魔物かなんかだろうな……豚鬼オークかな?」


 と言う。

 確かに、そういう感じだな。

 ただ平野で聞くものとは少し音が違う気がした。

 その違和感の答えを、ネージュが教えてくれる。


「あれは雪豚鬼スノウ・オークの呼吸音なの。普通の豚鬼オークよりも雪山に適応した魔物で、結構美味しいの」


雪豚鬼スノウ・オーク……そんなのがいるのか」


 少なくとも前世では聞いたことがない存在だった。

 これにネージュは、


「このグースカダー山にしか住んでない魔物なの。というか、お母様の魔力に当てられて進化した豚鬼オークだから、ここにしかいないの」


 と驚くべきことを言う。

 神ともなった強力な真竜の魔力は魔物の存在すら変容させてしまうのか……と思ったからだ。

 まぁ、魔力が濃い地域や、特別な地域において、そういうことは一般的にあることであるが、一個人の力でそこまでのことを起こすことは難しい。

 無理に改造を施せば出来るだろうが、存在しているだけで、というのは……。

 格が違うな。

 

 さて、雪豚鬼スノウ・オークの声……というか息は徐々に近づいてきている。

 どう対応すべきか、少し悩む。

 倒してもいいが、この山の主はネージュだ。

 一応、彼女の判断を仰いだ方がいいかな、と思って目を向けると、


「……無闇に近づかない限り、大人しい奴らなの。たまに血気盛んなのもいるけど、そう言う奴は一人で私のところに来るの。今聞こえてるのは群のものだから……放っておこうなの」


 と行ったので、俺たちは頷き、雪豚鬼スノウ・オークの群から距離をとる進路をとったのだった。


 *****


 その後、いくつかの魔物に遭遇した。

 雪豚鬼スノウ・オークのはぐれ個体もいたし、雪大熊スノウベアにも出会った。

 そしてどこにでもいる奴ら……緑小鬼ゴブリンの特殊種である、雪小鬼スノウ・ゴブリンにも。

 最後の一つ以外は倒し、その魔石や素材はありがたく頂戴した。

 持って行く手段が普通なら問題になるが、俺はここ数ヶ月で非常に便利な道具を作っている。

 大小袋エン・ソフと言われるそれは、外観上は普通の腰に下げられる小さな袋に過ぎないのだが、その内部は空間的に拡張され、見た目の数倍から数十、場合によっては数千倍から数万倍もの物を入れることが出来るという便利グッズである。

 ただ、効果の高いものを作るためには当然のことながら貴重な素材が必要になってくるので、俺が今回作れたものはせいぜい、大きめのリュック十個分位の容量に過ぎない。

 それでも十分ではあるが、倒した魔物の素材すべてを入れられるほどではなく、厳選が必要になる。

 魔石は当然のことながら、職業的に言って骨は必ず確保する。

 それと、あとでなめして使うために皮もある程度……肉については残念ながらほとんど廃棄だ。

 一応、干し肉にしたりする分くらいは確保しておくが、あんまりなんでもかんでも入れてるとすぐにいっぱいになってしまうからな……。


 そうやって山を下っていくと、とうとう俺たちは山の麓に出た。

 ここからは走って街道を進み、ポルトファルゼまで進むことになる。

 俺もリュヌもその足の速さはそれなりに走っても普通の馬車並だ。

 当然、ネージュもそれに着いてこれる。

 見ている者がいれば、恐ろしい光景だろうが、幸い、そういうことはなかった。

 街道で人とすれ違うことはあったが、そのときは速度を緩めたしな。

 そして……。


「……? 音が聞こえるな」


 それは、金属同士がぶつかりあって立てる甲高い音だった。

 おそらく……。


「戦闘してる音だな。どうする、お二人さんよ?」


 リュヌが俺たちに尋ねる。

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